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自分の考えに自信がないのは悪いことじゃない

「自分の考えに自信がない」

・・・自分の考えや自分がやっていること、自分がやろうと決めたこと、それが果たして、自分にとって正しいことなのか、間違っていないか、または、誰かにとって、それはどう映るだろう・・そんな風に思ってしまって、自分や自分の考えに自信を持ち続けることができない。

そんな時はどうしたらいいでしょうか。

今回は、自分の考えに自信がないと思った時に、どうしたらいいか?また、何かブレないものを自分の中に持ちたいと思った時はどうしたらいいか?ということについて、書かせていただきたいと思います。

本当のブレない強さとは?

自分の考えに自信を持っているように見える人がいます。

そんな人は、自分の考えが間違っていないと、自分は正しいと思っているか・・・というと、これは人にもよると思いますし、そう思えている人もいるかも知れません。

ただ、本当の意味でブレない強さを持っている人はどうも、その反対のことを考えていることが多いようです。

ある心理の専門家の方が、「世の中に正しいことはないとわかっていることが大切です」と語っていらっしゃったことがあって、とても印象的でした。

これはどういうことかというと、世の中で言われる正しいこと・・・というのは、一部を除くと、その時々で変わってゆくもの。

例えば、今、これが正しいことだと言われていることも、時代が変わった時にもそうかというと、そうとは限らない。

もっとも、人を意図的に傷つけてはいけないとか、そういった時代が変わってもこれからも変わらないようなこともあります。

ただ、そういった一部のこと以外は変わってゆくことも多いものです。

自分の考えに自信がない・・・というお話に戻りますが・・

それはつまり、自分の考えであったり、自分がやっていること、自分が決めたことが間違っているかも知れないと思ったりして、これで間違いないと言い切れない、こっちの考え方がいいと思ったと思ったら、次はこっち・・・と揺れてしまう・・・ということでもあるかも知れません。

だけど、自分は間違っているかも知れないと思えることは、むしろ、大切なことなのかも知れません。

自分は間違っているかも知れないと思うから、自分以外の考え方に耳を傾けることができたり、興味を持てたりするのだと思うのです。

自分は間違っているかも知れないと思えるのは、ある意味、謙虚さでもあると思います。

ブレたりして、揺れるのは、悪いことのように思われるかも知れません。

だけど、揺れることができるのは、僕は時に大切なことなんじゃないかなと、そう思っています。

揺れながら持つ、強さ

以前にもご紹介させていただいたことがありましたが、小学校の教師として30年以上に渡って子供達の問題を解決し続けてきた平光雄先生という方がいらっしゃいます。

その平先生はご自身の著書の中で、「法隆寺の五重塔が何故1300年以上も倒れなかったか」ということについて語られていました。

その理由は何だと思われますか?

それは「揺れやすいから」なのだそうです。

平先生は、それは人も一緒なのだと。

つまり、まったく悩まない人、安定している人はいなくて、信念を曲げない人は案外もろいものだ、と。

自分に迷ったり、悩んだりして、それでも、つまり、揺れながらでも前に進んでいる人の方が案外強いものだと。

自分の考えに絶対の自信が持てなくても、それでも、揺れながらでも、持てる強さというものがあるのかも知れません。

自分が正しいとは限らないと、そんな風に思うことができる人もいます。

そんな人は、何故か自信があるように見えたりします。

自信とは、自分が間違っていないと思えることで得るもの・・ではないのかも知れないなと、僕はある時からそう思うようになりました。

自分が間違っていることもあると・・そう思えるからこそ、その時々で、法隆寺の五重塔のようにしなやかなに、自分を、自分の考えを変えてゆける。

それも一つの強さなのかなと、思うのです。

そして、そんな強さを持った人はどこか自分に自信を持っているように見えたりします。

だけど、そんな人が持っていたのは自分は間違っていないという絶対的な自信というより、自分は間違っているかも知れないと思える、そんな「潔さ」なのかも知れません。

迷いながら、悩みながら進むことに意味がある

ここまで書いてきて、こんなことを書くのも変ですが、僕自身、よく迷うことがあります。

自分に迷うこともあるし、自分がやっていることに迷うこともあります。

そんな時は、答えを出すことが大事だと、そう思ってきました。

確かに、そういう場面もあると思うのです。
そして、そうやって答えを出そうとしてきました。

時にはそこで立ち止まってしまうこともよくありました。

そして、そうやって出てきた答えもありました。

だけど、今は、そうやってその時々で答えを出すことも大事だけど、迷いながらでも、前に進むこともとても大事なことなんじゃないかと、そう思うようになりました。

答えを出してから進むのではなくて、迷ったままでも、確信のようなものはなくても、その時の自分がこうかな?と思ったことを、その時は信じて前に進んでみる。

そこに、迷っても進んでみることに意味があるというか。

そんな風にして迷いながらでも、その時に自分がこうじゃないかと思ったことをやってみることが何よりも大事なことなんじゃないかな、と。

迷っても、進んだことで得るものがあって、それは考えても出てこないもので、進むことでしか得ることができないものだったりします。

だから、時に、こうじゃないかな?と思ったことであれば、自分を思い切って信じて前に突き進んでゆくことは、僕は大事なことだと思ってます。

勿論、何でもかんでも信じて突き進むことがいいとは限らないと思うんです。やってはいけないこともあるし、やらない方がいいこともあります。

また、迷った時、決断できない時に決断する9つの方法でも書かせていただきましたが、自分なりに迷った時の流儀というか、決断方法を持っておくのもよいことかも知れません。

ただ、上記の記事でも書かせていただきましたが、僕は、迷ったらやってみた方がいい、迷っても進んでみる価値がある場面というものはあるように思っています。

そして、そういう場面は案外多くあったりします。

それはどんな場面かというと、失敗しても、結果的に自分は間違っていたと思っても、そこから何か、得るものがある場面です。

先ほどの話のように、進んでみて、はじめて見えること、進んでみて、はじめてわかることもあると思うのです。

だから、自分の考えに自信がなくても、後でやっぱり間違っていたと思っても、そこから何かを得る(学ぶ)ことができるなら・・迷っても進んでみる価値はあるのかも知れません。

自分の理想の人ならどう考えるか?

ブレたりすること、自分の考えに自信がないことはむしろいいことだと思いますと、ここまで書かせていただいてきました。

ただ、それでも何かしっかりとした考え方というか、自分の中でブレない何かを手に入れたいと思った時はどうしたらいいでしょうか。

その一つの方法は、先ほども書かせていただいた通り、ブレても、それでも前に進むことだと思うのです。

迷っても、進む。前に進みながら、考えるというか。

そういうことを繰り返すうちに、自分の中にブレないものが生まれてゆくことがあるからです。

もう1つ、ブレない自分の芯を手に入れる方法があるとすれば、真似るということだと思います。

学ぶという言葉は、真似ると同じ語源だと言われますが、まず、自分がこんな風になりたいなと思った人(例えば、自分の考えに自信を持っているように見える人など)の真似をしてみます。

真似ることは学ぶことでもあるのだと思います。

こんな人のようになりたいなと思ったら、その人であれば、こんな時、どう思うだろうか?と考えてみます。

何かある度にそうやって、その自分の理想の人ならどう考えるか?と考えてみることを繰り返してゆきます。

ただし、実際にその人に「どう思いますか?」とは聞く必要はありません。

自分で「あの人ならどう考えるだろうか?」と考えることに意味があって、自分であの人なら・・と考えるからこそ、その考え方が少しづつ自分なりのものになってゆくのだと思います。

また、真似をしても、実際には全く同じにはならないと思います。

必ず、自分なりの何かがそこに加わってゆきます。

人にどう思われるか?と考えて自分の考えに自信が持てない時は?

人にどう思われるか?と考えてしまって、それで自分の考えに自信が持てない・・そんなこともあるかも知れません。

人にどう思われるか?
人はどう感じるだろうか?
人の目にはどう映るだろうか?

そう考えることは時にとても大事なことだと思います。

そう思える人だからこそ、相手の人の気持ちになってあげることができたりして、それは、例えば、仕事では一つの大きな才能、武器になることがあると思うのです。

ただ、人のことを考えすぎて、自分の考えに自信が持てなくなってしまったり、自分が結局何をしたいのかを見失ってしまう・・そんなこともあるかも知れません。

そんな時は、自分基準で考えてみるのも一つの方法です。

人にどう思われるか?と考えることは、他人が基準です。

相手のことを考えるのはいいことだと思うのですが、相手が基準(軸)になってしまうと、自分を見失ってしまうことがあります。

そんな時は、自分を軸にして、自分を基準にしてみてもいいかも知れません。

まずは、自分が基準でいいと思うです。

例えば、お客さんが欲しいものは何か?と考える代わりに、自分がお客さんだったら何を欲しいと思うか?と考えてみる。

これも自分基準だと思います。

作詞家で、数々のヒット曲を手掛けてきた秋元康さんも「自分基準でいい」と語られています。

作詞する際は、自分がその曲のリスナーの立場だったら聴きたいと思うだろうなと思う歌を作るそうです。

人が何を思うかは本当の意味ではわからないもので、また、人の感じ方、考え方、好みのようなものも千差万別なので、そこを考えるとどうしてもブレてしまいやすくなります。

ただ、自分が好きなものであれば、ある程度はっきりしています。

そして、自分が好きなものは、他の誰かも好きであることも多いもので、だから、迷った時、自分の考えに自信がなくなった時は、一度、自分基準に戻ってみてもいいのかも、知れません。