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面白いことが言えないと悩んだら。話の面白い人がやっていることとは?

友人と話す時や何かを人前で話す時、または、ブログやSNSに何かを書く時、などなど・・他の人は面白いことを言っているのに、自分は面白いことが言えない、書けない。

例えば、そんな風に悩んでしまった時、どうしたらいいか?

どうしたら面白いことが他の人のように言えるようになるのか?ということについて、今回は考えてみたいと思います。

また、話が面白い人がやっていることは何か?ということについても、探ってゆきたいと思います。

「面白いことが言えない=自分は面白くない人」ではない

面白いことが言えない。だから、自分は面白くない人。

そんな風に思ってしまうことも、もしかしたら、あるかも知れません。

ただ、そうとは限らないかも、知れません。

面白いとは、

「興味深い、心が引かれる、笑いたくなる、又は、楽しい」

というような意味で使われますが、面白いことを言うというのは、ある種の才能のように感じてしまうかも知れません。

そしてそれは、才能だと思うのです。

ただ、この話には続きがあります。

ここで言う才能とは、面白いことを言える才能・・ではなく、面白いこと(特定の何か)が好きだという才能です。

勿論、面白いことを言える才能を持って生まれた人もいると思います。

ただ、多くの場合、その特定の何かが好きだという才能の方が、面白いことを言えるようになるためには大事になってくるようです。

何かが好きだという才能が何故大事なのかというと・・

面白いことが言える、言えない・・・の違いは、アイディアが出る人とそうでない人の違いととても似ていて、大事なのは、どれだけそのことについて考えたか、そして、それを口に出してみたか(実践したか)・・という「時間」と「回数」が関係していると思うからです。

アイディアが浮かばない時の7つのアイディアの出し方

一発で面白いことを言えなくてもいい

大事なのは、その特定の何かについて、どれだけ考えたかという「時間」と「回数」だと先ほどは書かせていただきました。

それは、アイディアが出る人とそうでない人の違いに似ている、と。

ここで、面白いことを言える・・ということを、アイディアが出てくるということに置き換えてみたいと思います。

ちなみに、これは他のことに置き換えることもできます。例えば、英語が話せるようになる・・でも同じようなことが実は言えます。

さて、アイディアが出てくる人とそうでない人の違いはアイディアが浮かばない時の7つのアイディアの出し方でも書かせていただきましたが、それについて考えた時間と回数の違いでしかない・・のかも知れません。

これは前回も書かせていただきましたが、アイディアがどんどん出てくる人もアイディアがあまり浮かんでこないという人も、それについて考えた時間を出てきたアイディアの数で割ってみたら・・・そんなに大きな差にはならないのかも知れません。

何度も考えているうちに自然と出てくるのがアイディアであり、大事なのは、そのために費やした時間と回数・・なのだと思います。

だから、アイディアがどんどん出てくる人は、その何かについてずっと、四六時中考えているのかも、知れません。

面白いことが言える・・ということについても似たようなことが言えるのかも知れません。

つまり、面白いことが言えるかどうかは、どれだけそのことについて考えたか、そして、それを口に出してみたか、または書いてみたか・・という「時間」と「回数」が深く関係していると思うのです。

面白いことが言える人は、その何か(分野)について自分自身でも面白いと感じていて、そして、そのことについて四六時中・・考えている(インプットしている)のかも知れません。

そして、実際にそれを口に出して言っていたり、または文章にしようとしている(アウトプットしている)のかも知れません。

だから例えば、「面白いことが言えなかったな・・何故、面白く話せなかったのだろう・・」

と悩む時間を、例えば、もっとその何かについて考える時間にしてみると、また、最初はうまくいかなくても何度も口に出したり、書いてみたりする時間にしてみることで、何かが変わってくるかも、知れません。

大事なのは時間と回数で、その量が一定量に達した時・・例えば、アイディアなんかは自然と出てくるようになったりします。

一発で、またはすぐに面白いことが言えなくてもいいと思うんです。

うまくいかないと思っても、面白くないなと結果的には自分でも思ったとしても、「インプット」と「アウトプット」を増やしてゆきます。

その時間と回数が一定量に達した時、何かが変わってくるかも、知れません

じゃあ、その「一定量」とはどの位なのでしょうか?

これは個人差もあるかも知れませんが、毎日、起きている間は殆どそのことについて考えたり、実践した場合、3か月が一つの目安になるのかなと、僕はそう思ってます。

これはアイディアにしてもそうですし、例えば、英語を話せるようになることについても同じようなことが言えます。

3か月、毎日、起きている間はずっとそのことを考えたり、または実践したりしていると、何かが少し、形になるようです。

英語もそうで、3か月間、英語だけを聞きつづけて、その聞いた英語を真似しながら口にすることを続けていると、不思議と、日常生活レベルの英語であればある程度、聞ける、話せるようになる瞬間がやってきます。

ただ、実際には、1日中、そのことについて考える、または実践する、なんてことは、特殊な環境でなければできないと思います。

社会人であれば、仕事があるし、学生であれば、学業があります。

だから、3か月以上はかかるかも知れませんが、ただ、一定量というのは、その位の量なのかなと、僕はそう思っています。

その一定量に達した時から、少しづつ何かが形になっていって、例えば、アイディアであれば、少しづつ出てくるようになったり、英語であれば、少しづつ聞けるようになったり、少しづつ話せるようになっていったりします。

このやり方で一番大事なのは、才能です。

何の才能かというと、その何かが好きだ・・という才能だと思うのです。

余程好きではなければ、考え続けたりすることはできません。

アイディアもそうです。その何かが好きでなければ、そんな家に帰ってきてまでとか、お風呂の中でまでとか・・そんな自分の時間を割いてまで考え続けることはできないと思うのです。

英語もそうだと思います。

好きでなければ、英語を聞きつづけようとしたり、英語を口にしようとし続けたりすることはできません。

その一定量は毎日、起きている間ずっと実践して3か月なので・・・かなりの量なわけです。

そこまでやり続けられるのは、コツもありますが、何より大事なのは、それが好きだという気持ちなのだと思います。

その気持ちさえあれば、道はいくらでもあるのではないかなと、僕なんかはそう思っています。

「何故(千原)ジュニアさんの周りでは面白いことばかり起こるのですか?」

お笑い芸人、千原ジュニアさんが「よしもと」の養成所に特別講師として行った時のこんなエピソードがあります。

ある人が千原ジュニアさんにこんな質問をしました。

「何故、ジュニアさんの周りではそんな面白いことばかりが起こるんですか?」・・・と。

千原ジュニアさんはこんな風に答えたと言います。

「お笑い芸人の周りだけで面白いことが起こるわけがない。だけど、自分達は人に面白い話をしてゆこうと決めて生きている。だから、面白いことが見つかる」・・と。

これは言い替えると、千原ジュニアさんは、面白いこと(この場合は笑いたくなるもの)に焦点を当て続けながら生活をされているのかなと、思うのです。

全く同じ世界、世の中なのですが、だけど、人によって見えているものが違っていたりします。

面白いことは偶然見つかることもありますが、自分で意識して、探し続けてゆくと見つかったりするのかも、知れませんね。

ジュニアさんはまた、「ネタはいつ作っていますか?」という質問に対して、こんな風に答えたそうです。

「今と言えば、今。さっきと言えば、さっき。これからと言えば、これから。つまり、オレは24時間、お笑いのことを考えています」、と。

人は人に共鳴する

話は少し変わりますが、

バラエティ番組などを観ていると、そこに観客はいないはずなのに、笑い声が聴こえてきたりすることがあります。

すると、何だか面白くなって自分も笑ってしまったりすることってあると思うんです。

勿論、そのバラエティに出ている芸人さんが言ったことそのものも面白いわけです。

なのにわざわざ笑い声を番組の中に挿入する演出があって、何故そんなことをするのかというと、人は人が笑っていると自分も楽しくなったりして笑いたくなるから・・・だと思うんです。

これは人の1つの心理で、共鳴作用などと言われることもあるようですが、例えば、目の前にすごく落ち込んでいる人がいると、何だか自分も悲しくなったり、気分が暗くなったりすることがあります。

テレビに映っている人が感動して涙を流していると・・・もらい泣きをすることもあるかも知れません。

これも共鳴していることになると思います。

逆にすごく楽しそうにしている人、笑っている人がいると、自分も何故かそれに合わせるように・・楽しくなったりします。

だから、自分が楽しそうに話していると、その話を聴いている人も共鳴するようにして・・楽しくなってくるようです。

例えば、明石家さんまさんは、誰よりも楽しそうに話をされますし、よく笑っていらっしゃって、あの独特の笑い声を聞いただけでも、つられて笑ってしまいます。

自分が心から楽しいな、面白いなと思ったことを話そうとすれば、自然と笑顔で話すようになるし、話しながら笑いが込み上げてきて、思わず自分でも笑ったりします。

人はその様子に共鳴してくれるかも、知れません。

目的が変わると見えてくるものも変わってくる

話はまた少し変わりますが、

僕の知人でとにかく「うまいなぁ・・」と思うような写真を撮る人がいるんです。

実は僕もカメラが好きで、家電ショップに行くとよくカメラのコーナーに立ち寄ったりします。

ただ・・彼のようには写真は撮れない。

本や参考書に書いてある構図通りに撮ることはできます。だけど、彼のような写真にはならないのです。

僕は彼に、なんでこんな写真が撮れるのかと聞いてみたことがあります。

すると彼は「いつも探しているんだよ」と教えてくれました。

「いい被写体はないか」と、撮りたいと思える被写体を探している、シャッターチャンスをいつも待っている、と。

僕はカメラは好きだけど、四六時中、いい被写体はないか・・・とは思っていません。

だから、もし僕に彼のような撮影テクニックがあったとしても・・彼のような写真は撮れないのだろうなと・・・その時、思いました。

ただ、それでもある時、目的を変えて歩いてみることにしたのです。

「いい被写体はないかな」と彼のように思って歩いてみよう、と。

そんなことをしばらく続けていたある日、「あ、これ撮ったら結構面白いかもな・・」といつもの変わらない風景の中に撮りたいと思えるものが見つかって、そこから、少しづつ、これも撮りたいなと思えるものが増えてゆくようになりました。

目的が変わると、または視点を変えてみると、見えてくるものは変わってくるのかも知れないなと、そう思いました。

もっとも、それを四六時中続けている彼のようにはなれないけど、カメラだけではなくて、とても好きだけど、うまくできない・・というものに対して、彼と同じようなことをすれば、いつか、何かが形になるかも知れないと、思いました。

勿論、一流の人やプロの方々のようになれるかというと、それはまた別の話になってくるとは思います。

ただ、何かに秀でている方の多くは、千原ジュニアさんのお話ではありませんが、いつも、どんな時もその何かについて考えていることが多いようです。

 * * *

最後にこんなことを言うのもおかしな話かも知れませんが、いつも面白いことが言えなくたっていいと思うんですね。

ここまで書かせていただいた通り、いつも面白いことを言っているような人はいつもそのことについて考えていることが多いわけで、それはつまり、そこに自分の時間の多くを捧げているということであって。

だから、いつも面白いことを言えるようになるには、多くのことを犠牲にする必要があるし、そのために失うものもあるわけで。

だけど、それでも「そうなりたい」と思えたら、それこそが才能なのかも知れませんね。