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「人の期待に応えられない」と気負いすぎる、背負いすぎる時は?

人の期待に応えたいのに、その期待に応えられないと思って自分を責めたり、気負い過ぎてしまったり、背負い過ぎてしまって、落ち込んでしまう。

または、期待に応えようとし過ぎた結果、自分を見失ってしまう。

そんな時はどうしたらいいか?

どうしたら、気負い過ぎず、また、背負い過ぎずに自分なりの力を出すことができるか?

今回はそんなことについて考えてみたいと思います。

自分に期待してくれる人達の2つのタイプ

人の期待に応えられていないと気負ってしまったり、背負い過ぎてしまう。

そんな時はどうしたらいいか?

ということですが、少し自分の立場を離れて、応援してくれている人達、自分に期待してくれている人達の立場になってみると・・

その気負い過ぎてしまって、または背負い過ぎてしまうことであったり、そうすることで自分でいられなくなってしまうといった問題を解決するヒントが見つかることがあるかも知れません。

人が人に期待する時、多くの場合は、何か自分のために、誰かに期待する、応援するということが殆どだと思います。

恐らく8割弱は、そういう期待の仕方かも知れません。

自分がその期待する人から何かを得られるから・・期待する、応援する。

期待して、応援して、その人が何か結果を出してくれて、そこに何か自分が得るものがあるからこそ・・・期待する、応援するという形です。

それは別に悪いことではなくて、僕もそうですが、そういう期待をすることってあると思うのです。

ただ、こういう期待の仕方をしている人達の期待に応えようとすると、毎回結果を出さなくてはいけなくなり、途中で自分を見失ってしまうこともあるかも・・知れません。

この場合、結果的に、期待に応えられていた・・・という形に持ってゆければいいかも知れません。

そのためにどうしたらいいか?

ということですが、期待してくれる人達、応援してくれる人達にも、上記とはまた別のタイプの人達がいます。

それは、どういうタイプかというと、自分が何をやるかということや、結果に関わらず、自分を応援してくれる、自分に期待してくれる人達です。

こういった人達は、そんなには多くはなくて、(多くても)先ほどの最初のタイプの人達の3分の1程度、でしょうか。

数としてはもっともっと少ないかも、知れません。ただ、応援してくれる度合いで考えると、最初の人達の3分の1程度・・ということになるかも知れません。

このタイプの人達は、物事をもっと大局で、または大きな視点で見ていて、一つ一つを細かく見ていたり、一つ一つの結果に期待しているわけではないようです。

この人達は、自分がやろうとすること、そのものに期待するのであって、応援したいと思うのであって、極端なことを言えば、自分がやることの内容で応援したり、しなかったりということはないようです。

こういう人達にとっては、結果よりも過程が大事で、自分が自分らしくあること、そのために一生懸命、自分なりにやれることをやってゆくことが、その人達の期待に応えることにつながってゆくのかも知れません。

じゃあ、どちらの期待に応えたらいいか?

ということですが、例えば、仕事など、どちらの期待にも応えなければならないシチュエーションもあるかも知れません。

ただ、そんなケースでも、まず、後者の方、結果に関わらず、応援してくれる、期待してくれる人達の期待に応えようとしてみてもいいかも知れません。

この人達の期待に応えるということは、自分が自分でいるために、または自分が自分なりにできることに一生懸命になるということでもあって、だから、この人達の期待に応えようとすればするほど、元気や勇気が湧いてきます。

それが結果的に、よい結果につながることもあるようです。

そうすることで、前者のタイプの人達の期待に結果的に、応えてゆく・・・そんなやり方もあるかも、知れません。

「人の期待に応えよう」と思ってもうまくいかないのは何故?

「人の期待に応えよう」

そう思っても、なかなかうまくいかないこともあるかも知れません。

それはきっと、やり方が間違っているのだと思うのです。

例えば、「結果を出すことが期待に応えること」だと思っていると、なかなかうまくいかないことが多いかも知れません。(もっとも、結果を出すことが先ほどの前者のタイプの人達にとっては、期待に応えることになるわけですが)

というのも、結果というのは、自分ではコントロールできない要素が多く含まれているからです。

また、「結果を出そう」と思ってみても、そう思うことの中に、自分に実践できることがなく、だから、うまくいかなかったりします。

そんな時は、結果の一歩手前にある、過程の部分に注目してみるのも一つの方法だと思います。

例えば、水泳の選手の場合、「勝とう」、「一番になろう」と思っても、そう思うことの中に何一つ、今、自分にできることが含まれていません。

だけど、例えば、「ゆっくり、大きくストロークしよう」であれば、今すぐに実践できます。

そしてそれが結果的に、結果につながるかも、知れない。

少なくとも、実践できないことを思うより、実践できることを思った方が、結果は(結果的に)伴ってくることが多いようです。

「人の期待に応えよう」と思ってもうまくいかないのは何故?というお話に戻りますが、結果を出すことで期待に応えようとしてしまうと、そんな風にして、自分の力を発揮できなくなってゆくことがあります。

そんな時は、結果ではなくて、過程の部分に気持ちを向けてみる必要があるのかも知れません。

自分が満足できること、自分が納得できることをしてみる

誰かを満足させるには、まず、自分がその何かに満足、または納得していなければならないと僕は、そう思っています。

いくら人の期待に応えるためであっても、自分が満足していないこと、納得していないことでは、一時的にはよい結果になったとしても、それを続けてゆくことで、どんどん自分が何をやるべきかがわからなくなってゆくことがあるからです。

だからまず、自分が満足できること、自分が納得できることをしてみようとする必要があるのかも知れません。

そうやって自分が納得できることを実践してゆくことは、冒頭でご紹介した、後者の方、結果に限らず、自分を応援してくれる人達を喜ばせることになると思うのです。

そうなった時、その喜んでもらうことが自分に不思議な力を与えてくれて、それが(結果的に)自分に期待してくれる、応援してくれるもう1つのタイプの人達が求めている「結果」につながってゆくこともあるようです。