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自分を大きく見せてしまう。虚栄心を捨てる方法とは?

虚栄心とは、自分を実際の自分以上に見せようとする心や心理のことです。

自分の中にそんな気持ちが湧いてきて、恥ずかしく思ったり、その虚栄心を捨てたい、無くしてしまいたい・・・そんな風に思うこともあるかも知れません。

今回はそんな虚栄心の捨て方について見てゆきたいと思います。

それは事情があって自分の中にあるもの

虚栄心といっても、その多くは原因や事情があって自分の中にあるものだと思うんです。

ところで、子供というのは褒められたくて生きている・・・そんな風に表現する心理の専門家の方もいらっしゃいます。

例えば、そんな子供時代に(本来であれば十分褒めてもらえるはずの)親に、叱られてばかりで、褒めてもらえず、早い段階で自立を求められた人は、大人になってから、人の評価を求めてしまうようになってしまう・・・そんなこともあるようです。

色々な原因があって、色々な事情があるものだと思うんです。

ただ、どんな原因があっても、それが生まれてから得たものであったなら(虚栄心の殆どは後天的なものなので)、捨てることもできるものだと思います。

自分で自分を認めているか

人によく思われたい・・・これはきっと誰もが多少なりとも思うことだと思うのです。

だけど、多くの場合は、よく思われたらいいけど、そう思われなかったら仕方がない・・・と諦めることが多いかも知れません。

でも、虚栄心が自分の中にある場合は、「よく思われなければならない」のであって、よく思われなければ、それは自分には価値がないということにもつながってしまう・・・そして、その誰かの自分への評価というものが自分の価値そのものだと感じてしまうというか、そんなこともあるかも知れません。

そう思ってしまう原因は、自分で自分のことを認めていないから、もっというと、自分で自分のことを否定しているから・・なのかも知れません。

虚栄心とは、「実際の自分よりも大きく見せたいという心」ですが、それは「ありのままの自分」ではダメだと自分自身で思っているからこそ、やってくる気持ちなのかも、知れません。

自分で自分を否定しているからこそ、自分で自分のことを認めていないからこそ・・・誰かに認めてもらう必要があり、そのために、自分を自分が思う自分以上に見せる必要が出てくる。

もし、そうだったとしたら・・・いくら、人に認めてもらっても、本当の意味では虚栄心は解消されないのかも知れません。

虚栄心といっても、それはある程度は誰にでもあるものだと思うんです。

誰であっても、自分をよく見られたいと思うもので、それは悪いことでも何でもないと思うんです。

だけど、その気持ちが大きくなりすぎると、自分が苦しくなってくる。

そんな時は、その気持ちを少しだけ・・捨てる必要があるのかも知れません。

少し話がそれましたが、人に認めてもらっても本当の意味では虚栄心が捨てられないのだとしたら、どうしたらいいのでしょう。

虚栄心を本当の意味で捨てるには、自分で自分のことを少しづつ、認めてゆく、肯定してゆくということをする必要があるのだと思うんです。

人の評価とは?

自分で自分のことを少しづつ認めてゆく、肯定してゆくということをする・・・というお話の前に、人の評価というものについて少し考えてみたいと思います。

人によく思われたい・・・そう思っている時は評価されることをしよう、評価される自分になろうとしてしまいます。

しかし、人の評価とはとても曖昧なもので、例えば、同じことをしても、人によって評価がわかれたりします。

評価されることもあれば、そうでない時もあるわけで。

また、人の評価というのは時と共に変わってゆくものでもあります。

生前は全く評価されなかった人が、死後に高く評価されるようになることもあります。

つまり、人の評価は曖昧で、わかれやすく、変わりやすいもの・・・なわけです。

よく思われたい、評価されたいと思った時、その都度そんなことを思い出してみることも、虚栄心を捨てる1つの方法なのかも知れません。

先程、人の評価はわかれると書かせていただきましたが、世の中には必ず自分のことを評価してくれる人、評価してくれない人がいるようです。

それを数値にすると、自分が自分でいるだけでいいと言ってくれる人が2割。その反対で、何をやっても評価してくれない人が2割。

そんな風にどうもできているようです。

そういう風に世の中を見てみることもまた、虚栄心を捨てるきっかけになるかも、知れません。

人に誇れることではなくて、自分自身に誇れることをする

自分で自分のことを少しづつ認めてゆく、肯定してゆくということをする・・・というお話に戻りますが・・・

そのためには、例えば、人に誇れることよりも、自分自身に誇れること、自分で自分のことをこんな自分ならいいかなと、思えることをする・・・ということが大切なのかも知れません。

例えば・・・お金を沢山稼いで高級車に乗って人から認めてもらえれば、評価されたいという心は一時的には満たされるかも知れません。

でも、その「評価されたいと思うこと」そのものは虚栄心の本当の問題ではないと思うのです。

それは誰もが多少なりとも思うもので。

本当の原因、本当に自分を苦しめていたものは、「自分を自分で認めていない」ことで、「自分で自分を否定していること」なのだと思うんです。

だとしたら、やるべきことは、自分で自分を認められること、こんな自分なら好きになれるかなと思うことであったり、そういったことを実践してゆくことなのかも知れません。

そのためにできることはきっと沢山あると思うんです。

今、一つ挙げるとしたら、「与えてみる」ということなのかなと、思うんです。

見返りを求めず、誰かに何かを与えてみる。自分から与えてみるというか。

人は人に与えようとした時、必ず相手のことを思っているはずです。

そして、そうやって相手のことを思っている時、虚栄心は持てないもので。

与えようとしている自分なら、好きになれそうですと、そう話される方は大勢います。

与えるということは、誰かのことを思ってやることだけれど、何故か、その思いは自分を肯定する力に変わるのかも、知れません。

どんなことでも、誰かに認めてもらうことより、自分で自分のことをこんな自分ならまぁいいかなと、そう思えることをする、そして、そんなことを続けてゆくことで、虚栄心というものは少しづつ、だけど確実に薄れてゆくものではないかなと、僕はそう思っています。

そして、自分で自分のことをこんな自分ならいいかなと思えることを続けてゆくと、自分から求めなくても、自分のことを高く評価してくれる人が現れたりします。

とても不思議なものだと、思います。