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空海の「人間関係」の座右の銘は実に簡単なことだった

弘法大師として知られ、真言宗をつくったのが空海です。

空海は多くの人に親しまれ、そして信頼されていたそうです。出会う人出会う人が空海を「素晴らしい人物だ」と評価したようです。

その空海が大切にしていた座右の銘がありました。それが

「己の長を説くことなかれ、他人の短を言うことなかれ」(淡々と生きる 小林正観 p161)

・・・ということだったそうです。つまり、「自分の長所を自慢するな、他人の欠点を指摘しようとするな」ということでした。

これが空海の座右の銘?・・・と思ってしまうほど、実は簡単なことを空海は大切にしていたようです。

そんな簡単なことを空海はずっとやり続けていたのかも知れません。だからこそ、多くの人に信頼され、多くの人が空海の味方になっていったのだと。

当たり前のことを当たり前じゃない程に続けてゆく

空海ほどの人物が大切にしていたことが、あれだけ簡単なことだった。でもその当たり前に思えることを空海ほど続けて行った人はいなかったのかも知れません。

人間関係を良好にするために必要なこととは、本当は難しいことなんかじゃなくて、簡単で誰もが知っているようなことの中にあるのかも知れません。

そして、好かれる人、多くの人を味方にできる人というのは、そういう当たり前に思えることを当たり前じゃない程に続けてゆける人なんだと思うのです。

人から信頼を得るのって本当に大変だなって思うんです。
でも信頼を失うのって一瞬だったりして・・。

当たり前のことを呆れる位続けてゆく、その実践し続ける中で人は信頼してくれるものだと思うし、逆に、ちょっとしたことでも当たり前と思ってしまえば、それがどんなに小さなことであってもそれが重なっていつかは人間関係が崩れてしまう。

人間関係って案外もろいものなのかも知れませんね。

そして、それを崩してしまうのが「慣れ」と「当たり前」なんだと・・・思うんです。

「当たり前」をやめたら自分が楽しくなる

例えば、夫婦関係の悩み・・・それはもう尽きないと思います。でもそれを良好にする秘訣があるとしたら「当たり前」だと思うのをやめてみる・・・ということかも知れません。

これは友人関係でもどんな関係であっても言えることだと思うんです。

当たり前だと思うことをやめる・・・これは悩まないための秘訣だと思うのです。当たり前だと思った瞬間に、それが当たり前に行われなかった時にイライラします。

当たり前と思うことはそもそも執着なのだと思うんです。だから、それが叶わなかった時に自分が苦しくなる。

でも、その当たり前を手放した時、やってくれたらそれは当たり前ではなくて、「ありがたいこと」に変わると思うんです。誰かが自分にやってくれたことはすべて当たり前ではないとそう思った時から、自分が楽しくなります。嬉しくなります。

奥さんが料理を作ってくれた。それを当たり前と思うこともできて、その時は何も感じません。でも、もし自分が一人暮らしだったら・・・と思えば、当たり前じゃないんだと思うこともできます。その時はありがたいなと嬉しく思うことができます。

夫が残業して連絡も入れずに帰ってきた。連絡くらいしてよね、と思えば腹が立ちます。でも、家族のために働いてくれてありがたいなと思えば、少し優しい気持ちになれます。

それらは「自分の選択」だと思うんです。

どっちをとるのかは自分の自由です。でもどうせ選択できるのだったら、どちらが正しいかとか間違っているかではなくて、結果的に自分が楽しい、自分が嬉しい方がいいなと僕は思っています。