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怒りやイライラを2方向から抑える方法

自分がイライラしていることに嫌気がさしてくることがあります。ちょっとしたことで怒りがわいてきて、他人が許せなくなることがあります。

このままではいつか自分は誰かを傷つけてしまうのではないか?と怖くなることがあります。

イライラが頂点に達して、怒りが爆発してしまって、言ってはいけないことを言ってしまったり、最悪の場合は誰かを傷つけるのではないか・・・?と。

・・・自分が頻繁にイライラしていることに気づいた時、こんな風に考えてしまうことがあります。

僕がそうでした。以前は常にイライラしていました。何でこんなにイライラするのだろう?いつから自分はこんなに他人に厳しい人になったのだろう?・・・そう思ったところから、その理由がわかるまでに長い時間がかかりました。

でも今はその理由が少しわかって、少し実践できて、そして生きるのがその実践した分だけ楽になったように思っています。

2つの方向から怒りやイライラを抑える

僕はイライラや怒りというのは、2つの方向から考えてみてもいいのかなと・・・思うんです。

1つは、根本的な原因を探る・・・ということです。怒りやイライラがわいてくる原因が自分の中に必ずあるからです。

これを放っておいて、何をしてもそれでは怒りやイライラはとまらないので、その場で対処することはできても、それを常に繰り返してゆかなければならなくなります。

これでは意味がないと思うのです。

2つ目は、怒りであったり、イライラが「湧いてくるのを抑える」方法です。怒りは湧いた後ではもう遅いと思うんです。

そこから怒りを鎮めるのはとても大変です。勿論、そういう方法もあります。

でも今回はそういう対処法ではなくて、そもそも「怒りというものが湧いてこないようにするための方法」について書いてみたいと思います。

1)根本的な原因を探る

さて、まずは根本的な原因についてです。

怒りやイライラの原因と言われて、僕は以前は例えば、「人に迷惑をかける人」だったり、「自分勝手な人」だったり、「思いやりにかける人」・・・という風に考えていました。

その考え方が変わったきっかけを作ってくれたのが妻の存在でした。彼女は僕のようにイライラしたり、ちょっとしたことで怒ったりはしなかったのです。

彼女は僕から見れば、飛んでくる石をササッとかわしながら、軽快な足取りで前に進んでいる、そんな人に見えました。それに比べて僕は、飛んでくる石に自分からぶつかっていたのです。

自分にとってイライラさせる人であっても、それが全ての人にとってイライラさせる人ではない・・・ということに僕は気づきました。

つまり、本当は自分の中にイライラする原因があるのではないか・・・と思ったのです。

自分を許していないことが原因

怒りの原因・・・それは自分を許していないことではないか・・・と思うようになりました。

僕は自分の中に沢山のこだわりを持っていました。こだわりとは、例えば、「~であるべき」という語尾で終わるものだったり、「~してはいけない」というものです。

正義感が強いというと聞こえがいいですが、常に自分に正しいことを求め、それを知らず知らずのうちに他人にも求めていたのかも知れません。

だから、自分の中では常識だと思っていることを他人が破ると、とても腹が立ったり、怒りが湧いてきたのかも知れません。

考えてみると、僕は後悔と自己嫌悪をよく繰り返していました。

後悔して、自己嫌悪に陥る時は、何故あんなことをしたんだ、もっとこういう風に話せたのに、あんな風にイライラしなくてもよかったのに・・・という風に必ず、自分を責めていました。

自分を責めて、許さなかった。自分に厳しかったんですね。

でもその自覚は自分にはなかったんです。何であんなことを言ったのだろうか?と思った時に自分を無意識のうちに責めていて、許していなかった。

その時、「まぁ、そういうこともあるさ」と自分を許したらどうなるだろう?とふと考えました。

自分を許していない人は、必ず同じレベルで他人にも厳しい。それが他人へのイライラや怒りの原因であるとすれば、自分を許した方がいい、自分を許すことで他人にイライラしたり、怒ったりすることが減るのではないかと思ったんです。

例えば、休日に朝寝坊をしてしまった自分を僕は必ず責めていました。もっと早く起きて、やるべきことがあるだろう・・・と。すると、朝寝坊をする家族のことも、もっと早く起きた方がいいのに・・・とどこかでイライラしてしまいます。

でも、朝寝坊をした時に自分を「まぁ、疲れている時もあるさ」と自分を許していたら、自分以外の人間が朝寝坊をしても、イライラしたりはしないと思うんです。

僕はこういう「自分を責める」「自分を許さない」ということを大きなことから小さなことまで、いたるところでやっていたようです。

キーワードは後悔と自己嫌悪でした。

自己嫌悪に陥ったり、後悔した後に自分を責める、自分を許さない・・・というパターンでした。

だから、後悔した時、自己嫌悪に陥りそうになった時に、積極的に自分を許すようにしたんです。

そして、それが大袈裟ではなくて・・・生きることを楽にしてくれました。

2)怒りは「思考」が生むもの

怒りというのは、自分の思考が生むようです。

例えば、車の窓からゴミを捨てる人がいました。「マナーの悪い人だ。」と思うと怒りの感情が湧いてきます。

でも、例えば、ゴミを捨てるのが見えた直後に、その車に乗っている小さな子供が「あ~○○落としちゃったぁ~」と泣き顔で言っているのが見えたら、「あー落としちゃって可哀そうに」と思ったりして、怒りは湧いてきません。

車からモノを落としたことに変わりはなかったはずなのに。

つまり、怒りというのは何かがあった後にそれについて「何を考えるか」によって湧いて来たり湧いてこなかったりするものだと思うんです。

猛スピードで走ってくる自転車に「危ないだろう!」と思うとイライラします。

でもその自転車の人が泣いていたとしたら「何かあったのだろうか?」と逆に心配しちゃったりします。

何を考えるか、どんな思考を走らせるかで感情が決定されるとしたら、その思考を無闇に走らせないことで怒りは湧いてこないのではないか?と思うようになりました。

例えば、先ほどの猛スピードで走る自転車、これを見た時に「常識のないやつだ」「歩道だぞここは」「どっちが優先だと思ってんだ?」というような思考を走らせると、必ず後から「怒り」や「イライラ」という感情が付いてきます。

でも、そこで無闇にそういった「思考」を走らせなければ当然、「怒り」や「イライラ」というものはついてこないことになります。

常にイライラしていた頃の僕はこの「思考」を頻繁に走らせていました。その思考は多くの場合「正論」のようなものでした。例えば、「マナーは守るべきだろう」というような。

でもその思考を走らせなければ「怒り」もわかないということに気づいてから、意識して積極的に「思考を走らせない」ようにしました。

最初はかなり戸惑いました。癖になっていたんです・・。だから、何かあった時に思考をつい走らせてしまって、「正論」を考えてしまってイライラすることもよくあったんです。

でも、10回に1回とか、思考を走らせないことに成功すると、不思議とイライラしてこないのです。その実感を得てからは、「よし、またやってみよ」と思うようになりました。

これだけは絶対に無理!という僕にとってのイライラの大きな原因だと思っていた人や出来事でさえ、不思議とイライラしないことに気づいて僕は嬉しくなりました。

そして気づきました。「待てよ・・・これを応用したら、色々なことに使えるのではないか・・・」と。嫌な感情というのは、怒りだけではないぞ・・・と。

そう思ったら僕は何だか楽しくなってきたんです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
いつも感謝です。