怒りを鎮める方法とは?感情の鎮め方について
怒りが湧いてきて、どうしても鎮めることができなくて辛い・・・
そんなこともあるかも、知れません。
怒りというのは、第二の感情と言われていて、何かその前に、感情があって、湧き上がるものと言われています。
その前の感情(第一の感情)は、例えば、「悲しい」という感情かも知れませんし、または「悔しい」かも知れない。
この(自分の中にある、またはあった)第一の感情を知ることも、怒りを鎮めるためには必要なことになってくると思います。
少し前置きが長くなりましたが、今回は怒りやまたは悲しい気持ちがどんどん湧き上がってきて止まらない、鎮めることができない・・・という時にどうしたらいいか?
怒りを鎮める方法があるとするなら、それはどんな方法か?・・・ということについて見てゆきたいと思います。
自分の気持ちに寄り添うと消えてゆく感情
怒りがどんどん湧いてきて止まらない・・・そんなこともあるかも知れません。
その怒りの前には、悲しいという気持ちがあるのかも知れません。(第一の感情)
そんな時、考え方を変えてみることで気持ちを切り替えることができることもあります。
ただ、感情は以前にも書かせていただいたように、飛行機雲のようなもので、湧き上がってしまった後にどうにかすることがすごく難しい。
だから、怒りが湧き上がった後に、その怒りをコントロールすることも難しいわけです。
自分を苦しめる考え方を変える方法、感情は思考の後についてくる
ただ、コントロールとまではいかなくても、その怒りを鎮める方法があるとしたら、それはどんなことか・・・
ということですが、感情にはいくつか性質というか、特徴があって、その一つは、感情はあるがままに認めてあげると薄れてゆく・・・ということです。
言い換えると・・・感情は、自分の中にいるもう一人の自分のようなものでもあるのかも知れません。
その自分の中にいるもう一人の自分は、(自分に)話を聞いて欲しい、わかって欲しいと思っています。
例えば、怒りが湧いてきた時に、その怒りを何とか鎮めよう・・・と、その自分の中で湧いてきた怒りを早くなくそうとしたりすることは、自分の中にいるもう一人の自分の気持ちを無視していることになるので、そのもう一人の自分はわかってもらおうと一生懸命シグナルを送ってきます。
この状態が、怒りが止まらない・・・状態なのかも知れません。または、悲しい気持ちがとまらない状態です。
少し話を変えますが・・
例えば、すごく悲しいことがあった時。
わかって欲しくて、友人に話したら、
「そんなに気にすることじゃない。こういう風に考えてみて。」
と言われるのと、
「そっか、そんなこと言われたら、悲しくなるよね」
と言われるのと、どちらが楽な気持ちになれるかといったら、多くの方は後者の方だと言うと思うんです。
これは言い替えると、前者の方は、自分の感情(気持ち)を否定していて、後者の方は、自分の感情(気持ち)に寄り添ってくれているわけです。
早く怒りを鎮めなきゃ、怒っていちゃだめだ、悲しんでばかりじゃだめだ、早く切り替えなきゃ・・・
と思うこと、これらはすべて、自分が楽になるために思うことですが、それは自分の中にいるもう一人の自分の気持ちを否定、もしくは無視しようとしていることになります。
こんな時、先ほどの後者の友人のように、自分の気持ちに寄り添ってみたら、気持ちは楽になれるかも知れません。
もうすでに湧き上がってしまった、怒りや悲しい気持ちを鎮めるには、その感情を否定するのではなく、あるがままに認めてあげること、だと思うんです。
怒っちゃだめだと思うと怒りは鎮まらず、怒ってもいいよと自分の気持ちをあるがままに認めてあげると、怒りは不思議と、少しづつ、鎮まってゆきます。
そのために必要なことが、自分の気持ちに寄り添うということなんだと、思います。
具体的にどうやったら、自分に寄り添えるか?
ここからは、もう少し具体的に怒りや悲しい気持ちを鎮めるやり方について見てゆきたいと思います。
怒りや悲しい気持ちを静めるには、自分の気持ちをあるがままに認めて、寄り添うこと・・・と書かせていただきました。
じゃあ、具体的にはどうやって?
ということですが、怒りが湧いてきたとします。そしたら、まず、1)第一の感情を探します。
怒りの前にある自分の言ってみれば、正直な気持ちです。それは「悲しい」かも知れないし、「悔しい」かも知れないし、「すごく残念だった」かも知れませんし・・
それがわかったら、2)自分の気持ちに寄り添おうとしてみます。
例えば、怒りが湧いてきます。そしたら、
「あぁ、自分は悲しかったのかも知れないな。信じていた人にあんな風に裏切られてしまったんだから。」
「悔しかったのかも知れないな。自分の気持ちを無視されて。」
「残念だったんだよね。大好きだった人があんな風に変わってしまって。」
そんな風にして、第一の感情(自分の正直な気持ち)を見つけてゆきます。
そしたら、
「あぁ、私は悔しかったんだな・・」
「あぁ、私は悲しいんだな・・」
「あぁ、私は残念な気持ちで一杯なんだな・・」
もし第一の感情が見つからない場合は怒りについても同じように、
「あぁ、私は怒っているんだな・・」
・・・と、その感情をどうにかするわけでもなく、怒っちゃだめだと言い聞かせるわけでもなく、早く怒りを鎮めようとするわけでもなく、
ただ、自分は悲しいのだなと、自分の気持ちをあるがままに認めてあげようとしてみます。
僕はそうやって自分の気持ちを否定せず、あるがままに認めようとすることを「自分に寄り添う」と言うのだと、思ってます。
これについてはまた機会がある時にもう少し詳しく書いてみたいと思います。
ただ、こんな風にして、自分の気持ちを否定せず、何とかしようとすることもなく、ただ、あぁ、自分は悲しかったんだね、悔しかったんだね・・・と受け入れてみると、不思議と、自分の気持ちが少しづつ楽になってゆきます。
先ほどの否定せずに共感してくれた友人の言葉がそうしてくれたように。
怒りや悲しい気持ちを鎮める方法は、鎮めようとしないこと・・・とはまた、何だか矛盾しているようですが・・・
ただ、そんな感情の鎮め方もあるようです。
自分が変われば、感じ方も変わる
感情というのはまた、(否定しなければ)時間と共に必ずおさまってゆくものですから、「この気持ちはいずれ鎮まってゆく」と思ってみるのもよい方法かも知れません。
いつか楽になれる。いつか手放せる。
そう思い続けてみます。
冒頭で感情は飛行機雲・・・と書かせていただきましたが、何度も怒りや悲しい気持ちが湧いてきて、それをその度に鎮めてゆくのも大変なことだと思うんですね。
そんな時は、その飛行機雲の前の飛行機の部分、つまり、考え方の部分を変えてゆくのも一つの方法だと思うんです。
考え方、捉え方が変わると、感じ方が変わってゆきます。
勿論、それは簡単なことではなくて、時間もかかります。訓練も必要です。だけど、僕はすべてではないかも知れないけど、自分の考え方というのは変えることができると思ってます。
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例えば、対人関係で何か理不尽なことであったり、納得なんて到底できないようなことが起こったとします。
そんな時(対人関係では)、相手をどうにかすることはすごく難しいことだと思うんです。
だけど、自分ならどうにかできるかも知れない。
自分が今の自分より、もう少し大人になったら、または少しだけ考え方を変えることができたら、今の悩みは悩みではなくなるかも知れない。
僕は何か悩みに直面した時には、よくそんなことを思います。
僕は人格者になろうとも、なれるとも思ってはいませんが、ただ、それでも自分を磨いてゆこうと思って実践を続けてきたのは、自分が楽しく生きるためでした。
それは決して人に誇れるような理由ではないかも知れませんが、正しさを自分や人に求めて手放せなかったものも、楽しさを追い求めるようになってからは少しづつ手放せるようになっていきました。
そういう執着の手放し方もあるようです。
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