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友人に依存してしまう、求めすぎてしまう心を捨てる 完結編

友人に依存してしまう、求めすぎてしまう心を捨てるの続き、今日はその完結編になります。

頼って、また立ち上がって、今度は頼られる存在になる

僕は人はそんな完璧に強くはなれなくて、時々人に頼ったり、甘えることも大切なことだと思いますし、そうやって、自分の弱さを知ることで、相手に対しても優しくなれたり、人に対して寛大な自分でいれるようになるのではないかな・・・と思うんです。

だけど、相手に頼り過ぎてしまうと、相手に寄りかかり過ぎてしまうと、いずれ、その重さに相手は耐えられなくなって、いつか二人とも倒れてしまいます・・・。

だから、いつかは自分の足で立ち上がる必要があります。

そして、しっかりと自分の足で立ち上がったら、今度は隣にいた友人が立てなくなっているかも・・・知れません。そしたら、今度は自分が支えてあげる番なんだと・・・思います。

よく「人」という字は人と人が支え合っている・・・という風なことが言われますが、本当に人はお互いに支え合ってはじめて生きていけるのだと思うんです。

でもその人という字そのものは、「人が足を広げて一人で立っている姿」・・・そんな風に表現される方もいて、僕もきっとそうなんだろうなぁ・・と思うのです。

自分がまず一人でしっかりと立っているからこそ、相手を支えてあげることができるんだと思うんです。

そうやって、頼って、立ち上がって、今度は頼られる・・・それを繰り返していくのが本来の人間関係なのかも・・知れません。

でも、頼ってばかりでは相手も倒れてしまい、頼られてばかりだといずれ自分も倒れてしまい、お互いに寄りかかって支えようとしても、どちらも立っていないので、結局はお互いに倒れてしまう・・・。

だから、友人との関係では自分が頼られるばかりの役でも続かないし、頼るだけでもだめなんだと思います。

そういう意味で、人に甘えることができない・・・という方は頼られる役を自分から続けてしまうことがあって、でもそれはいつか自分を疲れさせてしまうようになると・・思うんです。

だから、その関係を続けてゆくためには、甘えたい時は甘える役にまわることも、時には大切なことなんじゃないかなと、僕は思うんです。

みんな前に向かって「一人で」走っている

人生は後ろ向きには行けなくて、常に前向きにしか進むことができません。時間も前にしか進みません。

人生は誰もがそういう意味で前に向かって走っているわけです。

走っていてふと横を見たら、友人がいた。友人でいてくれることに感謝したくなるようなそんな人です。

だけど、どんなに仲のいい人であっても、皆、一人でしか走れない、自分の足でしか走れなくて、肩を組んで二人三脚では走れなくて。そんなことをしようとしたら、足がもつれて倒れてしまいます・・。

どちらかが相手の肩に一時つかまらせてもらうことはあっても、それをずっと続けると相手も自分も倒れてしまう。

だから、相手に求めすぎてしまうと、相手に依存してしまうと、その関係はいずれ終わってしまうわけで。

その求めすぎてしまう心の奥にはわかりあえない寂しさがあるのかも知れません。一人で走らなければならない人間には、そういう宿命があるのかも・・・知れません。

でも、それは受け入れる他ないのだと思うんです。

一人でしか走れない・・・でも、できることがあって、それが、相手に声を掛ける・・・ということなんだと思います。

「大丈夫?」「元気で走ってる?」って。

そういう相手を思いやる気持ちが相手を支えたり、時にはその自分の中にある思いが自分自身の支えになることもあって。

寂しさは、相手に何かを求めるよりも、そういう相手を思いやる気持ちに変えれば、きっと薄れてゆくと、僕はそう思っています。

今日は記事を最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
感謝。