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誰かのために生きることより自分のために生きることを選ぶ

誰かのために何かをする、誰かのために生きる・・・というととても立派なことのように思えて、僕にもそんなことを目指していた頃がありました。

自分のためじゃなくて、誰かのために何かをする。そう思うことで自分をやる気にさせていたのかも知れません。

だけど、誰かのためにやっていることは、どうしても見返りが欲しくなったりします。
それはお金とか、そういったものではなくても、例えば、感謝であったり、笑顔であったり、わかってもらうことであったり、気づいてもらうことだったり。

気づくと恩着せがましい自分がいたりして。そして、一番聞きたくない言葉は「頼んでもいないのに。やってくれなくてもよかったのに」・・・という言葉だったりして。

全ては自分で「選択」している

それはきっと感謝されたいという気持ちが、相手のためにやっているのに・・・という気持ちが、自分の中にあるから・・なのかも知れません。

でも、頼まれてもいないのにやっているのは、本当は「自分がやりたいから」なのかも知れません。

僕はどうせなら、自分がやりたいから・・・という気持ち、つまり、自分のためにやるという気持ちはもっと大切にしてもいいのかな・・・と、ある時からそう思うようになりました。

人のためにやっていることは、どこかで見返りが欲しくなったりすることもあるかも知れませんが・・・でも、本当に自分のためにやっていることなら、やりたくてやっているだけなので、相手の感謝は必要なくなります。

家を掃除する。それが家族のためなら、掃除しても何も一言も言わない家族を見て、誰からも感謝されないことに凹んでしまうかも・・知れません。

でも、それは自分が選択してやっていることだと思えた時に、自分のためにやろうと思えた時に、他人の反応はそれほど気にならなくなるし、何より、自分のためにやっていることは自分を元気にしてくれます。

そして、自分を楽しくしてくれる。

その楽しい気持ちが自分の中から溢れた時に、それをお裾分けしてあげれば、見返りも求めなくて済むかも知れないな、と。

笑顔でいられる方を選んで生きる

僕はこのサイトでは何度も書かせていただいたのですが・・・どうせなら、正しい方ではなくて、楽しい方を選択していきたいと思っています。

自分が笑顔でいられる方を選んで生きる

・・・そんなこと、以前は頭によぎることもありませんでした。

もっとも、笑顔を求めていなかったのではありません。人の笑顔をずっとどこかで求めていたのだと思います。

でも、自分の笑顔については考えもしていなかった・・

苦しかった頃、鏡に映った自分を見ました。
そこに映った僕は笑ってはいなかった。

誰かの笑顔が見たいのに、自分自身は笑っていない。

今、鏡の前で僕は笑います。
すると、そこに映った僕は笑っている。

人の笑顔は鏡の中にいる僕のようなものなのかも・・知れません。
僕が笑えば、鏡の中の僕のように人も笑顔になってくれるかも知れません。

僕はやっと、「なんだ、自分のために生きていいんだ」と思うようになりました。

自分のため・・・は楽しいです。元気になれます。ワクワクして生きられます。嫌なことがあっても、自分のためにやっていることなんだから・・・と思ったら乗り越えられます。

そんな自分なら、笑顔でい続けることができそうです。

そして、それがきっと周りの人にとっては、僕がその人のために・・・なんて何かをすることなんかよりも、実は一番喜ばれることなのかな・・と今はそう思っています。