不安がなくなる方法を探すと余計怖くなる理由
僕は以前に不安をどうやってなくそうか・・・ということばかりを考えていました。不安なことを1つ1つなくそうとしていたんです。
そうやって不安がなくなることが幸せになるためには必要だと考えていたのですが、そのやり方ではうまくいきませんでした。
そして、やっとわかったことがあるんです。
今回はそんなことについて少し書いてみたいと思います。
不安はシグナル
不安というのはある種のシグナルのようなものなのかも知れません。
不安も含めて感情というのはどうも、自分を守るために湧き上がるもの・・・のようです。
例えば、将来は大丈夫かな?と不安に思うから、人は貯蓄をして、いざという時に備えます。
危険なんじゃないかな?と思うから、一人で夜道を歩くのを避けようとします。
この場合は不安という感情が自分を守ってくれているわけです。
ところが、どんどん不安になってしまう・・・そんなこともあります。
そんな時は不安を取り除こうとしていることが多かったりします。不安という感情はあまり心地のよいものではないから・・・何とか不安を取り除こうとしてしまう・・
ところが、不安にはある性質というか、特徴があって、それは何かというと、不安はなくそうとするほどに増えてしまう・・・ということで。
不安というのはある種のシグナルと先ほど書きましたが、不安は、こんなことが起こるかも知れないから注意した方がいいよ・・・と自分に教えてくれることが仕事、なんだと思うんです。
そして、不安はそれしか、してくれません。
そのことがどの位の確率で起こるとか、論理的に考えて起こり得ることかどうかというのは全く教えてくれないんです。
それは、主(あるじ)である、自分(私)の役割なんだと思います。
不安はもう1つ、聞き入れてくれないと何度もシグナルを送ってくる・・・そんな特徴もあるようです。
例えば、将来への不安が湧き上がったとします。それは嫌な感覚だから・・・考えないようにしよう、何とか将来の不安を忘れようとしたとします。
すると、不安はどんどん膨らんでゆきます。そして、どんどん将来のことが不安に思えて来たりする・・・
ところが、その不安からのシグナルをわかったよと一度受け取ってしまうと・・・
例えば、「わかったよ。将来困ってしまうこともあるかも知れない。じゃあ、今日から少しづつでも貯金をはじめようかな・・・」と、一度その不安からのシグナルを受け取ってしまうと、不安が大人しくなることがあります。
これは緊張とある意味よく似ていて、緊張しちゃだめだと思うと、人はどんどん緊張してしまうものですが、緊張してもいい・・・と緊張している自分を受け入れてしまうと、不思議と緊張が和らいだりします。
不安も一度、受け取ってしまうと、薄れてゆく・・・そんな性質があるようです。
不安は行動に出ると薄れてゆく
もう1つの不安の性質というか特徴があって、それが不安は行動に出ると薄れてゆく・・・ということのようです。
先程の将来の不安も・・・一度受け入れてしまって、そして、何でもいいので、小さなことからでも、行動に出た途端に少しづつ薄れゆくことがあります。
そういう意味では行動するというのは不安につけるよい薬でもあるのかも知れません。
何をするにも行動に移すことは力のいることですが・・・不安はそうやって行動に移すための力として、自分のために利用することもできるものだと思います。
不安を受け入れる
不安はなくそうとすると大きくなって、受け入れようとすると小さくなってゆく・・
不安はある意味、駄々をこねる子供のようなものかも知れないですね・・・
「ねぇ、ねぇ、聞いて聞いて!」と言ってくる不安に対して、無視しようとしたり、黙らせようとするほどに、不安は駄々をこねるようにして、どんどん大きくなって。
反対に、「はい、はい。わかったよ。」と不安が言ってくることを「そういうことに注意しなくちゃだめなこともあるかもね」と一度受け入れてしまうと・・・不安は安心した子供のように、大人しくしてくれる・・
そんな不思議な特徴があるようです。
不安には他にもいろいろと不思議な性質というか特徴があって、それについてはまた別の機会に書いてみたいと思っています。