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飽きること、飽きない人になるためにできることは何?

人は良くも悪くも飽きやすいという特徴があります。

それはもう様々な分野で研究されていたり、色々な○○の法則のようなものまであります。どんなに楽しいと感じることであっても、感動したと感じたものであっても繰り返していくうちにどうしても、飽きが来ます。

それはある意味大切なことだったりもして。

例えば、同じことにずっと同じような強い刺激を受けることが人にできたら、楽しいことはいいけれど、辛いこと、苦しいことも同じようにずっと続いてしまうようになります。

時間が解決してくれることも沢山あって・・・そういう意味では飽きというものが自分を救ってくれることもあるわけで。

では、飽きない人になることはできないかと言うとそうではないようです。

飽きない人がやっていること

何をやってもすぐに飽きてしまう人とそうでない人がいて、それについては飽きっぽい性格の治し方で少し書かせていただきました。

それを振り返りながら、また違った角度から飽きない人がやっていることについて書いてみたいと思います。

人は同じ刺激を繰り返し受けるとそれに慣れてしまう・・・という特徴があります。それが飽きる・・・ということなのだと思います。

例えば、趣味にピアノをはじめよう・・・と思って、ピアノの練習をします。

でもここが飽きる人と飽きない人のちょっとした違いなのだと思うのですが、飽きやすい人はちゃんと弾けるまで同じような練習を何度も行ってしまうのかも・・知れません。

こんなことを言うと僕の親戚のピアノの先生に怒られそうですが・・・。

でも、その同じ刺激を受け続けること、同じようなレベルに留まり続けていることこそが・・・飽きる原因になると思うんです。

飽きないためには、自分から新しい刺激を求めなければならないと思うんです。だから、次のレベルを自分から求める工夫であったり、同じところに留まる期間を自分から減らしてゆく工夫といったものが必要なのだと思います。

次のレベルを目指す時は、今の自分ではちょっと難しいな・・・と感じるところにあえて飛び込んでみることがコツだと思います。

同時に・・・が秘訣?

ちょっと矛盾しているようですが・・・飽きない人になるためには、飽きたという気持ちの前にやってくる「なんだか気が向かない」気持ちに素直に従うことが大事・・・なのかも知れません。

飽きっぽい人はそのサインを受け取らずに飽きるまでやってしまう、頑張ってしまったり、一気にやってしまったり、完璧にやろうとしたりすることがあるのかも・・知れません。

でもそうやってしまうと、疲れたり、気が向かなくなったり、飽きてきたかなと感じてしまったり・・・することがあって。

飽きない人は、そういう気持ちに素直に従っていて、だからこそ、頑張らないし、一気にやろうとしないし、完璧にこなそうとはしなかったりするのかも知れません。

そして、「同時進行で」何かをする・・・ということが1つのコツなんだと思います。

飽きない方は、あまり1つのことを集中的にはやっていないのかも知れません。どちらかというと複数のことを同時進行で進めていたりして・・。

例えば、パン作りにはまったとします。

でも、それだけやってしまうといずれ飽きてしまうかも・・知れません。だから、その1つのことにすべてを注いで飽きてしまうよりも、その情熱をいくつかのものにあえて振り分けてみます。

例えば、パン作りと同時に洋裁もやってみる・・・ランニングもはじめてみようかな・・・という風に自分のやる気というものを複数のものに振り分けてそれを同時進行で進めてみると、飽きる暇さえなくなるのかも・・・知れません。

同じ眺めを3年間見て飽きた夫婦と飽きなかった夫婦のたった1つの違い

僕の知人に眺めのいいマンションが欲しくてずっと探して探して、やっと買った、という夫婦がいます。その眺めは確かに素晴らしいものでした。

彼らはそのマンションに住んでその時3年ほど経っていました。僕は旦那さんの方に「いい眺めだね。でも、毎日見ていて飽きたりはしないの?」と聞いてみました。すると彼は、「いや、全然。飽きるなんてないよ」と答えました。

奥さんも同じなのだとか。僕は「そっか、こういう眺めって飽きないんだね」と言うと、彼は「いや、同じ階に同じような年代の夫婦が何組かいるんだけど、みんな眺めには飽きちゃったとか言ってたよ。信じられないけどね」と。

ん?なんでだろ・・・?

そう思うと聞かずにはいられませんでした。「外を眺める時、何か頭の中で考えていることってない?」と聞くと彼は、「こんなとこに住めてありがたいなぁとか、いつも思ってるかも」と言うんです。

なるほどね・・・と僕は思いました。
だから、飽きないのか・・・と。

飽きずに済んでいたのは彼が飽きない人だったからではなくて、その眺めを当たり前だとは思わずに、感謝してきたからなんだと思ったんです。

他の夫婦はきっとその眺めが当たり前になってしまったのかも・・知れません。3年も経てば無理もないことだと思います。

でも、彼ら夫婦はそうではなかった。当たり前ではなくて、それに感謝していた・・・たったそれだけの、たった1つの違いなのに、ここまで感じ方は変わるんだ・・・と僕は思ったんです。

同じ風景を見て、ずっとそれを楽しみ続けることができる・・・なんて素晴らしいことでしょうか。きっと毎日は何も刺激がなくたって、それだけで楽しいものになりそうです。

当たり前は自分を飽きっぽい人に、感謝は自分を飽きないでずっと楽しんでいられる人にしてくれるのかも・・・知れません。