失敗が怖い。失敗が怖くて行動できない、動けない時は?
何かに挑戦したり、何か自分がこれだと思えるもの、仕事であったり、暮らしであったり、そういうものを手に入れたいとは思うけど、失敗することが怖くて、行動できない。
または、周りの人のことが気になって、何もできない、何もチャレンジすることができない。
そんなこともあるかも知れません。
今回はそんな失敗が怖いという気持ちについて、また、その失敗が怖いという気持ちの乗り越え方について見てゆきたいと思います。
失敗が怖いのか、失敗することで失う何かが怖いのか?
恐らく、失敗が怖いという気持ちは誰にでもあるものだと思います。
失敗が全く怖くなくなるなんてことは、むしろ、良いことではないかも知れません。
失敗が怖いから、慎重になれるのだと思うし、失敗が怖いから準備をするようになるものだと思います。
だから、失敗が怖いことは悪いことではないと思います。
ただ、失敗を極端に恐れたり、そのせいで行動できなかったりするようであれば、それは失敗以外に怖いものが他にあるのかも知れません。
例えば、失敗することで失う何か、とか。
失敗することで失う何かといっても、色々あるかも知れませんが、例えば、評価ですとか。
失敗することで、ダメなヤツだと、周りの自分に対する評価が下がることを恐れていて、それが失敗をひどく怖がる理由になっていることもあるかも知れません。
失敗=自分がダメなヤツだと思われる。自分に対する周りからの評価がひどく下がる。
・・・という思いがあると、失敗することを恐れて、行動できなくなってしまうかも、知れません。
ただ、それは(失敗=自分がダメなヤツだと思われるというのは)、ある種の思い込みかも知れません。
思い込みとは柔軟性のない考え方になります。
本当は、失敗しても、ダメなヤツだとは思われないかも知れないわけです。中には、挑戦したことそのものに対して、すごいと思う人もいるかもわからないわけです。
例えば職場でも、失敗をどう評価するかはわからないわけで、勿論、失敗をマイナスに捉える会社もあるかも知れませんが、仕事で挑戦するということの難しさを理解している上司、社長であれば、一度や二度の失敗でその人そのものを判断したりはしないかも知れません。
仕事では成功者でも1割バッターと言われることがあって、それはつまり、10回のうち、1回でも成功すれば、成功という意味になります。
だから、失敗をそこまで大きく捉えることは一般的にはないかも知れません。
少し話がそれましたが、
失敗=自分がダメなヤツだと思われる。自分に対する周りからの評価がひどく下がる
・・という思い込みは、過去に思わぬ形で手に入れてしまうこともあるかも知れません。
例えば、過去にクラスで何か失敗をして、大勢のクラスメートから笑われた過去がある種のトラウマのようになって自分の中に残っていて、それは普段は全く意識していないし、考えているわけでもないけど、そんな遠い昔の体験が、説明できない怖さにどこかでつながっていることもあるようです。
失敗をどう捉えているか?
もし、そういった自分でも説明できない失敗への怖さがある場合は、自分は失敗というものをどう捉えているだろうか?と考えてみてもいいかも知れません。
失敗することは、恥ずかしいことだと思っていないだろうか?
失敗することは、情けないことだと思っていないだろうか?
そんな風にして、自分自身が失敗、または、失敗する人に対して、どんな捉え方をしているだろうか?と考えてみます。
そして、もし、失敗を恥ずかしいこと、笑われるようなことだと捉えているなら、失敗が怖くなくなる方法を探す前に、その失敗に対する捉え方を変えてみてもいいかも知れません。
失敗は恥ずかしいことだと、笑われることなんだと捉えている以上は、失敗への怖さもなかなか捨てられないかも知れません。
この場合、本当に恐れているのは、失敗そのものというよりも、恥をかくこと、笑われることだからです。
失敗することは、恥ずかしいことか?
失敗することは、恥ずかしいことでしょうか?
失敗が怖いという方は、恥ずかしいことと答えるかも知れません。
しかし、全員がそうか?と言われると、そうではないかも知れません。挑戦したことに対して、勇気があることだと思ってくれる人もいます。
それはつまり、失敗に意味を与えているのは、その人自身・・ということなのだと思います。
失敗は色々な捉え方をされるものかも知れません。
中には、あなたが何かに失敗した時、恥ずかしいことだと言う人もいるかも知れませんが、よく挑戦したよと言ってくれる人もいるかも知れません。
失敗は挑戦にはつきものだと言ってくれる人もいるかも知れないわけです。
そういうことを考えてゆくと、失敗することは、恥ずかしいこと、とは限らないわけです。失敗すると笑われるとも、限らないわけです。
もし、自分の中に、失敗することは恥ずかしいこと、笑われることという思い込みがあって、それが失敗が怖い大きな原因となっている場合・・・
そんなこと、失敗に対する捉え方は実はいくつもあるということを知るということも、自分の中にある失敗することに対する思い込みを捨てるためには大切なことになってくるかも知れません。
失敗することを覚悟で挑戦できる人は何が違う?
失敗することを覚悟で挑戦できる人には、ある共通点のようなものがあるようです。
それは何かといったら、成功や失敗、成績といった目に見える何かで自分を評価していない・・ということです。
一方、目に見える何か、成績ですとか、成功、勝ち負け、給料もそうですし、肩書もそうですし、そういった何か目に見えるもので自分自身を評価しようとすると、どうしても、失敗が怖くなってくることがあります。
失敗するということは、自分自身への評価が下がることを意味しているからです。
反対にそういった目に見える何かではなく、自分の在り方のようなもので自分自身を判断、評価しようとする人の場合、例えば、挑戦しようとした自分の在り方に対して自分を評価してゆくので、自分への評価は結果が出る前の段階でできています。
勿論、それでも、どんな人にとっても失敗は怖いわけで、先ほども書かせていただいたように、それでいいと思うんです。
ただ、こういった自分の在り方で自分を評価する人の場合は、結果に自分自身の評価を大きく左右されないので、だから、失敗することがそこまで、怖くはないのかも。だから、失敗を覚悟で、挑戦できるのかも知れません。
目に見えるもので自分を評価することを続ける限り、失敗への怖さはなかなか手放せないかも知れません。
また、失敗が怖いという人の中には、小さい頃から、失敗することを許されない状況にあった・・ということもあるようです。
例えば、親が何かをうまくできた時だけ、褒めてくれた(認めてくれた)、失敗した時は、残念な言葉を掛けられたり、叱られた・・etc.
このような場合では、失敗するということが、イコール、自分を否定されることにつながることもあって、だから、失敗が怖い・・ということもあるかも、知れません。
この場合も、目に見えるもので、自分を評価されてきたことになるかも知れません。
色々なケースがあるかと思いますが、ただ、失敗を極度の恐れる気持ちの裏にはそんな自分自身への評価の仕方が関係していることもあるようです。
そんな時は、目に見えるもので自分を評価することから、目に見えないもの、こんな自分であろうとした自分なら「よし」と思える自分の在り方のようなもので、自分を評価するようにしてみると、その失敗への極度の恐れを手放せるようになることがあるかも知れません。
実はみんな失敗の連続、うまくいかないことの連続
「何をやってもうまくいきません。こんな自分を変えるにはどうしたらいいですか?」
そんな風に聞かれたことがあります。
勿論、やり方というものもあると思うのですが、長い期間で見てみると、何をやってもうまくいった・・という人は恐らくいないのではないかなと、思います。
みんな失敗の連続、うまくいかないことの連続で、うまくいっているように見える人に話を聞いてみても、
「今、うまくいっているように見えるかも知れないけど、これまで失敗の連続だった」、「今も思うようにいかないことばかり」、「こんなはずじゃないって思いながら生きてる」
・・・そんな答えが返ってきたりします。
実はみんな失敗の連続だったり、こんなはずじゃないって思いながら生きていたりするのかも知れません。
ただ、このうまくいっているように見える人達が違うところは、それでも歩みを止めないで生きているということなのかも知れません。
失敗して、悔しい思いをしたり、挫折感を味わったりしながらも、それでも歩みを止めないからこそ、何かをつかめるのかも知れません。