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学歴コンプレックスを克服する方法。人と比べるのがやめられないのは何故?

おかしな相談室

「学歴に対してコンプレックスがあり、自分よりもいい大学を出ている人の話を聞くと、落ち込んでしまいます。」

「自分の会社は大卒ばかりで、自分は高卒です。それがコンプレックスです。どうやったら克服できるでしょうか?」

おかしな相談室について

学歴コンプレックスを克服するためにはどうしたらいいか?

ということですが、コンプレックスは劣等感の一種だと思います。(コンプレックスには別の意味もありますが、ここではコンプレックスを劣等感と表現したいと思います)

劣等感とは、他人と自分を比べて自分が劣っていると感じた時に感じるものですが、劣等感を捨てるためには、人と自分を比べないことが大事だとよく言われます。

そして、その通りだと思うのです。

ただ、人と比べても意味はないと思いながら、どうしても比べてしまうこともあるかも知れません。

それにはある理由があると思うのです。

今回はそんなことも含めて、学歴コンプレックスを克服するためにはどんなことをしたらいいか?ということについて見てゆきたいと思います。

人と比べても意味がないと思いながら、どうしても比べてしまうのは何故?

冒頭でも少し書かせていただきましたが、学歴コンプレックスとは、自分と他人の学歴を比べて、自分の方が劣っていると感じた時に感じるある種の劣等感です。

人と比べてしまうことが原因で感じるものであれば、人と比べなければいい・・と思われる人もいらっしゃるかもしれません。

ただ、それができないことがあります。

どうしても比べてしまうというか、比べたくなってしまうことがあります。

それは何故でしょうか?

これは以前にも少し書かせていただいたのですが、あることをしていると、人と自分を比べて(この場合は学歴を比べて)しまいたくなるのです。

そのあることとは、自分自身の評価方法に関係しています。

具体的に言うと、例えば、自分自身に対して、成績や結果、持っているものや肩書き、収入など、そういった目に見えるもので、自分を評価しようとしていたとします。

そういった目に見えるものや結果で自分の価値のようなものを見い出そうとしたり、自分を評価するということを続けていると、人と比べたくなってしまうことがあります

例えば、自分の収入の多さで自分を判断、評価しようとしていたとします。

収入が多い自分は「よし」。収入が少ない自分はダメ。

・・・という風に。

この場合、どの程度の収入が多いのか、少ないのか・・・ということが案外曖昧です。

そのため、多いか少ないかを判断するための基準が必要になってきます。

言い換えると、自分よりも収入が少ない人を見つける必要が出てきます。

自分は収入が多いのだと自分を納得させるため、そして、そう思うことで自分のことを「よし」と評価(判断)するために、です。

そうやって、知らず知らずの間にやってしまうのが、人と自分(の収入)を比べてしまう・・ということなのかも知れません。

収入を例にしましたが、これは他のことにも言えます。家でも車でも、肩書きでも、学校の成績でも。

結果、例えば、多い、少ない、または例えば、優れている、劣っているということは何か比べるものがあってはじめて生まれてくる概念で、だから、そういった「多い」「少ない」といった結果のようなもので、自分を判断しようとしていると、どうしても人と自分を比べなくてはならなくなります。

学歴コンプレックスもこれと似ているように思います。

学歴コンプレックスがあるという方は、自分自身の価値のようなものを結果や成績、成し遂げたこと、または肩書き、収入など・・目に見えるもので自分を評価しているということはありませんか?

もしそうだとしたら、その自分自身の評価方法、判断方法を変えてあげる必要があるかも知れません。

学歴コンプレックスを捨てるために、です。

結果ではなく、目に見えないもので自分を判断してゆく

じゃあ、どうしたらいいか?

・・ということですが、この場合は結果のような目に見えるものではなく、もっと目に見えないようなもので、自分を評価、判断してゆく必要があるかも知れません。

例えば、自分の在り方でもいいかも知れません。

自分がどんなことを成し遂げたかではなく、自分がどんな思いでそれをしたか・・・という自分の在り方で自分自身を判断しようとするというか。

言い方を変えると、結果ではなく、過程で自分を判断してゆくということかも知れません。

そのためには、どんな自分でいようとしたら、自分で自分のことを「よし」と言えるか?どんな自分でいようとしたら、自分のことを「それでいい」と思えるか?考えてみる必要があります。

そして、その自分で自分を認めてあげることができる「自分の在り方」を自分を判断する際の軸にしてゆきます。

例えば、仕事であれば、こんな思いで仕事をしている自分は自分でも「よし」と思えるかな・・・というものを見つけます。

そして、それができていたら、自分を自分で「よし」と評価するようにしてゆきます。

このやり方だと、自分と他人を比べる必要がなくなります。それに、そもそも、人と比べることができなくなります。

自分を判断する軸が自分の中にしかないからです。

目に見えるもので自分を評価することをやめて、自分の在り方のような目に見えないもので自分を評価、判断するようにしてゆくと、どんどん人のことが良い意味で気にならなくなってゆきます。

人と比べて、優越感を感じることもなくなりますが、劣等感を感じることもなくなってゆきます。

また、面白いことい、そうやって人と比べることをやめた途端に、自分が本当にやりたかったことや自分が本当に好きなことであったり、自分が本当に求めていたことが見つかったりすることもあります。

人と比べることが癖になってしまうと、どうしても、人よりも抜きんでるために何かをしてしまったりすることがあります。

例えば、ある方は、外車に乗っていました。

周りよりもいい車に乗ることで、自分で自分のことを「よし」と評価するために、です。

だけど、ある時、いつも誰かと自分を比べて、優越感を感じたり、劣等感を感じたりすることに意味がないような気がして、思い切って人と比べない生き方をしようと思ったそうです。

その方は、「外車は実はそんなに好きではなかったんだと気づきました。」とおっしゃっていました。

そして、そう気づいてから、自分が本当にやりたいことが次々に見つかるようになっていったそうです。

人よりも抜きんでるためにやることが、自分が本当に好きなこととは、限らないのかも知れません。

カッコイイ人

先ほど、自分の在り方・・・というお話をさせていただきましたが、そういう意味では、自分はどんな人をカッコイイと思うだろうか?と考えてみてもいいかも知れません。

高学歴の人をカッコイイと思いますか?
高学歴ではない人をかっこよくないと思いますか?

人が人をカッコイイかどうか判断する時、本当は「学歴」のような結果とは違ったところで判断していることが多いのかも知れません。

例えば、スポーツの話になりますが、大会で優勝した人を、観ていた人がカッコイイと判断するかどうかは、勝ったかどうかだけではないかも知れません。

勝った人をカッコイイと思うのではなく、例えば、どんな勝ち方をしたかということであったり、どんな境遇の中、どんな思いでプレーし続けてきたかというところであったり・・・そんな結果以外の何かに人は魅力を感じたり、カッコイイと感じるものなのかな、と。

反対に負けてもカッコイイ人もいます。

この場合もどんな負け方をしたかが、カッコイイかどうかを決めたりするのかなと、思います。

勿論、結果で人を判断する人もいます。また、結果が大事なこともあるかも知れません。例えば、仕事ですとか、結果は結果で重要だと思うのです。

ただ、人は多くの場合、人を表面的なもの、目に見えるものだけで判断しないようです。

だから、どの世界でも人気がある人達の多くは人格者だったりします。

自分はどんな人をカッコイイと思うか?

・・と考えて、そして、その人のような在り方を目指してゆこうとすることもまた、目に見えるもので自分を判断、評価してしまう癖であったり、人と比べてしまう癖を捨てるためのよい方法なのかなと、思います。

冒頭の「高卒ということがコンプレックスになっている」という方の話になりますが、高卒ということで人を判断するような人も世の中にはいるかも知れません。

ただ、学歴で人を判断する人はカッコイイか?

・・そう考えてみてもいいかも知れませんね。

そして、何より大事なことは、学歴という目に見えるものだけで自分自身を判断しないということだと思います。

他人は色々なことを言うものだし、色々なことを思うものです。

でも一番大事なことは、自分自身がどう思うか・・ということではないかなと、僕はそう思います。