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妬まれるという悩みについて。成功や幸せを喜んでもらえない辛さも

一生懸命努力をして、頑張ってきて、何かを、例えば、成功ですとか、幸せですとか、そういったものが手に入ることがあるかも知れません。

ただ、何事もただ何もなく手に入る・・ということはないわけで、成功の陰には努力があったり、幸せを手にする前には不幸なことを乗り越えていたり・・

成功や幸せを手にされたとしても、色々なことがあって、そして、色々なことを乗り越えて、手にいれた成功であり、幸せ・・ということが多いのではないかなと、思います。

ところが、そんな風にして手に入れた自分の幸せや成功を喜んでもらえない、または、妬まれてしまう・・そんなこともあるかも知れません。

自分の友人や友人だと思っていた人から妬まれることもあれば、全く知らない人、または仕事であれば、同僚であったり、同業者であったり・・そんな人達から妬まれることもあるかも知れません。

そういった人達は、その成功や幸せという一点だけを見て、妬んでいることが多いもので、そのために重ねた努力も何も、考えてはくれません。

だから、妬まれるということは辛いことでもあるし、悔しいことでもあるのではないかなと、思います。

今回は、そんな妬まれるということについて、何故人は妬むのか?また、妬まれないために必要なことは何か?そして、成功や幸せを喜んでもらえないことの辛さについても、考えてみたいと思います。

目次

「この世は妬み、そねみ、ひがみでできています」

幸せな人は、いつの時代も妬まれてきたように思います。それは今に限ったことではなくて。

美輪明宏さんが

「この世は妬み、そねみ、ひがみでできています」

・・そんな風におっしゃっていたことがありましたが、幸せを得るということ、成功するということ、何かを得る、注目される・・ということは、妬まれる・・ということでもあるのかも知れません。

芸能人の方たちは、脚光を浴びて、色々なモノを手にしているように見えますが、その一方で、妬まれたり、見知らぬ人から足を引っ張られたりすることも多いように思います。

芸能界で長い間、活躍される方はそういうことを理解されていて、だから、(名前が売れるということは)悪く言われたり、妬まれたり、足を引っ張られたり「するもの」であると、そう語る方は多くいらっしゃいます。

また、だからこそ、そういった方は謙虚な方が多く、成功しても、「誰々さんのお蔭です」、「みなさんのお蔭です」と語られる方が多いです。

それは、勿論、感謝の気持ちからでもあると思いますし、また、妬みというものが世の中に存在するものであるとわかっていらっしゃるからでもあると思うのです。

勿論、妬むということは、好ましいことではないと思いますし、また、妬みという感情は自分を苦しくさせるものでもあって、だから、誰かを妬んでいる人であっても、本当はそんな感情など抱きたくはないものだと思います。

だけど、幸せや成功やまたは、何かを得ること、注目されるということは、喜ばしいことである一方で、妬まれてしまうことでもあるということを知っておくことも、自分を守ってゆくためには必要なことなのかも、知れません。

妬みとはどういう感情か?

話は少し変わりますが、妬みとはどういった感情でしょうか。

妬みとは、辞書で調べると、「他人が自分よりすぐれている状態をうらやましく思って憎む。ねたましく思う。そねむ。」(出典:デジタル大辞泉(小学館))とあります。

他人が自分より優れている状態をうらやましく思うことって結構あると思うのです。僕自身、誰かをすごいなぁ、羨ましいなぁと思うことはよくあります。

だけど、人は自分より優れていたり、何か自分が持っていないものを持っていても、それを「憎む」のは何故でしょうか・・?

何故、「憎む」必要があるのか?

・・というと、何か理由があってそうしているのだと思うのです。

それは何のためにやっているかというと、相手を憎む、または悪く言うことで相手を自分のところまで引き下げようとしているのかも、知れません。

妬むといっても、あからさまに羨ましいという気持ちだけを素直に出してくる人は少なくて、例えば、批判という形で相手を憎んでくることもあります。

妬むということは、(相手が、自分が本当は欲しいと思っている何かを手にしていていることで)相手が自分よりも上にいると思っている・・ということでもあると思います。

その状態、相手が上で自分が下という状態が苦しいので、相手を悪く言うことで、その相手を自分のところまで引き下げようとしているのかも、知れません。

もっとも、本当は人には、上も下もなくて、自分の心がそう決めているだけ・・なのだと思います。

ただ、いずれにしても、妬まれるということは、自分より上だと認められたということでもあるように思います。

だから、多くの人に妬まれる人は、多くの人に認められた人なのだと思います。

幸せを「話す」ことは「離す」こと

ここで少し、妬まれないためにはどうしたらいいのか?ということについて考えてみたいと思います。

謙虚な方をよく見ていると、自分を出す相手と場所、タイミングというものを選んでいらっしゃるように見えます。

いくら自分に良いことがあっても、それを無闇に話したりはしない。それは自分のためということを知っているから・・なのかも知れません。

「話す」ということは「離す」という風に言われることがあります。

これはどういうことかと言うと、話してしまうことで、その話したことが自分から離れてゆく・・ということです。

だから、例えば、何か嫌な思いをした時に友達に話して、聞いてもらえた時は、気持ちが楽になれたりします。

「聞いてくれて、ありがとう」

・・そんな風に思えたりして。

それは、自分が「話した」ことで、嫌な思いが自分から「離れていった」から、かも知れません。

これはでも、逆のことにも言えるようです。

例えば、自分の幸せ。とっても嬉しかったことや良かったこと。

そんなものも同じように「話す」ことで自分から離れていってしまうことがあったりもします。

「こんなに幸せなことがあってね」

そう話すことで、その幸せが思わぬ形で自分から離れてゆくことがあったりします。

人の幸せは、やっぱり自分も幸せだと思っている時にしか、素直には喜べないものかも知れません。

相手のことを自分のことのように喜ぶには、その相手のことを思ってあげられる心の余裕がなくてはダメだと思うのです。

だから、その心の余裕がない時はどんなに心の優しい方であったとしても・・心から祝福してあげられないことも、もしかしたらあるかも知れません。

そんな時に自分の幸せを話すと、わかってもらえなくて、それはきっと残念な気持ちで・・何だか落ち込んでしまう。

そうなると、「話した」ことで、「離してしまった」ことになるわけです。

幸せだと思ったことやよかったことは全て話さない方がいい・・というわけではないと思うのです。

ただ、話す相手と場所、タイミング・・・というものは選んだ方が自分のためなのかも知れません。

また、話さないでいた方が自分のその幸せを長く感じていられる事柄やケースも中にはあるのかも知れません。

その場合は、「話さない」ことで、その幸せも「離さない」でいることができるように思います。

見知らぬ人からの妬みは上昇気流に変える

もし、見知らぬ人から妬まれることが多いような場合はどうしたらいいでしょうか?

その時は、先ほどの話のように、「話さない」ことで、自分の幸せを守ることができるかも知れません。

じゃあ、話さなくても、妬まれてしまう時はどうでしょうか?

何も自分からは発言していなくても、妬まれてしまう方は多くいます。有名な方の多くはそんな経験をされていることと思います。

何もしていないのに、多くの、しかも、会ったこともないような人達から妬まれてしまう人もいます。

それは、本当に悲しいことではありますが、ただ、多くの人に妬まれることで、あることが起きることがあります。

それは何かというと、「上昇気流」です。

芸能界を見てみても、特に売れている人ほど・・多くの人から妬まれています。悪く言われたり、無茶苦茶な批判をされたり。

これは売れてゆくタイミングで起こることも多いのですが、妬まれることで、その(妬まれている)人に余計注目が集まります。

すると、もっと売れる・・・そんな上昇気流のような力が働くことがどうもあるようです。

だから、妬まれることを、自分の上昇気流に変えて、さらに上を目指していってもいいのかも知れません。

そういう意味では多くの人に妬まれるということは、自分にとってはチャンスでもあるのかも知れません。

友人に成功や幸せを喜んでもらえない辛さ

最後に、自分が苦労して手に入れた幸せや成功といったものを、例えば、友人など自分がよく知る人に喜んでもらえない辛さについて考えてみたいと思います。

成功や幸せも、何もせずに手に入ることは稀なことだと思います。

幸せの陰には不幸な体験があるかも知れないし、試練があったかも知れないし、成功の陰にも、努力があったと思うのです。

そういうことを見ずに、成功や幸せだけを見て、妬まれるというのは、非常に残念で、そして、悔しいことだと思います。

そして、それを相手にわかってもらいたいと、思ってしまうこともあるかも知れません。

だけど、先ほども書かせていただきましたが、人の幸せを心から喜んであげるためには、自分自身が幸せでいる必要があるのかも知れません。

自分の幸せを喜んでくれない人はだから、もしかしたら、今、そういう状況にないのかも知れませんし、何か、今は事情があるのかも知れない。

その事情はわからないし、事情があったとしても本当は、人の幸せを喜んであげるべきなのかも知れません。

ただ、そういう風に思ってしまう道は、つまり、何故、一緒に喜んでくれないんだ?と思う道は、自分が辛くなってしまう道なのかも知れません。

だけど、一旦、相手を諦めてしまった上で、何か相手にも事情があるのだろうと思ってみると、少し、気持ちが楽になれることもあるかも知れません。

幸せを喜んでもらえない辛さをわかってもらうことを一旦手放して、反対のこと、つまり、わかってあげようとするわけですが、そうすることで、自分が楽になれることもあるように思います。