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愚痴の聞き役を続けること、愚痴を聞いてあげることは本当にいいことか?

前回は、愚痴や悪口ばかり言う人の話を上手に聞き流す方法とは?という記事を書かせていただきました。

その時は、どうやったら愚痴や悪口を聞き流すことができるか?ということについて書かせていただきました。

今回は、そもそも愚痴を聞いてあげること、愚痴の聞き役を続けることは、相手にとって、また、自分にとって本当にいいことなのか?ということについて考えてみたいと思います。

また、愚痴を聞いてあげることでそれを力に変えてくれる人とそうでない人の違いについてや、また、無理をして愚痴を聞いてあげること、自分を犠牲にして愚痴を聞いてあげることがいいことなのか?ということについても記事の最後で考えてみたいと思います。

愚痴を聞いてあげた方がいい人、聞く必要のない人

愚痴を聞いてあげた方がいい人と愚痴を聞かなくてもいい人がいるとすれば、それはどんな人達でしょうか?

愚痴を聞いてあげることで、元気になれる人は大勢います。

だから、そういう意味では、愚痴というのは、聞いてあげることがストレスではない限り、聞いてあげることは喜ばれることなのかも知れません。

ただ、聞き続けるとなると少し話は変わってくるかも知れません。

ここからは、愚痴をただ聞くということではなく、愚痴を「聞き続けること」が本当にいいことかどうか?ということについて考えてみたいと思います。

しっかりとした信頼関係のない相手の愚痴は聞かない

しっかりとした信頼関係のない相手の愚痴を聞き続けることは、あまりよい方向に行かないことが多いようです。

愚痴だとわかっていても、相手が元気になれるならと聞いてあげたくなることがあります。

そして、それで元気になって、話を聞いてもらったことを力に変えてくれる人も多くいます。

ただ、そうではない人もいます。

その違いは、「あなた」に背中を押してもらうことで前に進もうとする人と、前に進むつもりはなく、ただ支えてほしいだけの人の違いかも知れません。

信頼関係のない人で、後者の人、前に進むつもりがない人だった場合、愚痴を聞き続けようとすると、依存されてしまうことがあります。

依存されることに疲れたら。依存されない人になる方法とは?

愚痴は、時にとてもプライベートな話になる場合もあります。

そして、自分にそんなプライベートなことを話してくれたという思いが、自分は頼られているんだという感覚に変わることがあるかも知れません。

そして、頼られることで、自分の存在意義のようなものを感じられるということも、あるかも知れません。

しかし、頼られることと、依存されることは全くの別のモノです。

頼られることと利用されることの違い。利用されやすい自分を変えるには?

頼られている場合、(相手にとっては)「あなた」でなくてはいけない場合が多いです。

一方、依存されている場合、(相手にとっては)依存させてくれる人が欲しいのであって、(相手は「あなた」を依存できる人というフィルターを通して見ているので)本当の「あなた」を見ていないことが多いものです。

そのため、依存できないとわかると、相手は離れてゆくことが多いです。

あなたを頼りにしている人の場合、愚痴を聞いてもらえなかったと思っても、関係は変わりませんが、あなたに依存している人の場合、愚痴を聞いてもらえないと怒り出したりするかも、知れません。

あなたを頼りにしている人の場合は、あなたを尊重しようとしてくれますが、あなたに依存している人は、あなたを尊重してくれません。

あなたを頼りにしている人は、あなたに興味を持っていますが、あなたに依存している人は、あなたに興味があるというより、自分に興味を持ってもらいたいのです。

しっかりとした信頼関係のない人に対して、一方的に愚痴を聞いてもらい続けようとする人は、依存体質の人が多く、そういった人の愚痴をいくら聞いてあげようとしても、その人はあなたのその行為を力に変えようとはしてくれないので、そういう人の愚痴を聞き続けようとすると、どんどん自分から元気がなくなってゆきます。

それは相手にとっても、自分にとっても、良いことではないように思います。

ここから先は、しっかりとした信頼関係がある相手であることを前提に続けてゆきたいと思います。

愚痴を聞いてもらって、それを力に変えようとする人、しない人

先ほどの「あなた」に背中を押してほしい人の場合、愚痴を聞いてもらうことで、それを力に変えられる人が多く、愚痴を聞いてあげることがその人のためになることが多いようです。

言い換えると、前に進もうとしている人の場合は、愚痴を聞いてもらうことで元気になってくれることも多いですが、前に進むつもりのない人の場合は、愚痴を聞いてあげても、それを力に変えようとしてくれることが少ないかも、知れません。

自分がしたこと(愚痴を聞いてあげたこと)を力に変えてもらえば、自分も嬉しくなりますが、自分がしたことが何にもならなかったと思えば、自分の元気はどんどん失われてゆくかも、知れません。

前に歩き出すつもりがあるかないかの見分け方は案外簡単で、言葉と行動が伴っているかどうかを見るとわかりやすいかも知れません

前に歩き出そうとしている人は、言うだけではなくて、行動している人です。

前に歩き出すつもりのない人は、言葉に対して、行動が伴っていないことが多いかも知れません。

言葉に行動が伴っている人は、愚痴を聞いてもらったことを力に変えることで、いつか、愚痴そのものがストップすることも多いですが、そうでない人の場合は、同じことの繰り返しになってしまう可能性があって、それは本当の意味では相手のためにはならないかも知れません。

自分を犠牲にして愚痴の聞き役を続けることはいいことか?

本当はストレスになっているのに、無理をして、自分を犠牲にして愚痴を聞いてあげていますという方もいらっしゃいます。

相手が職場の人など、限られた関係の場合は別として、相手が自分の友達だったりすると、なかなか・・聞かないというわけにもいかないかも知れません。

かといって、少し距離を置くというのも友達に悪いと思ってしまう・・・そんな時はどうしたらいいでしょうか。

「愚痴を聞きたくない」と自分の大事な人に伝えることは悪いことか?

ストレスというのは、どうも自分の中でたまってゆくもののようです。

だから、ストレスを発散させる必要があるわけですが、ストレスがたまり続けてゆくと、いつかは、発散することが追い付かずに、爆発してしまうこともあります。

相手が嫌になったり、または、色々なことが嫌になったり、それが原因でうつ状態になる人もいます。

だから、たとえ、相手がたとえ自分の親友であっても、無理をして、自分を犠牲にして愚痴の聞き役で居続けようとすることは、自分にとっても、また、結局は相手にとっても、よいことではないのかも知れません。

そんな時は、自分が笑って相手の話を聞いてあげられるまで、少し距離や時間を置いてみるのも一つの方法だと思います。

だけど、愚痴や悪口ばかり言う人の話を上手に聞き流す方法とは?でも書かせていただきましたが、それが相手に悪くてできない、愚痴を聞かないようにすることに対して、罪悪感のようなものを感じるという人もいます。

友達として、愚痴くらい聞いてあげるべきと自分に対して思っていて、それが罪悪感につながっているようなケースです。

勿論、聞いてあげることができればいいのでしょうけれど・・自分の本当の気持ちを偽って、愚痴を聞こうとすること、自分の本当の気持ちを偽って、断らないでいることは、本当はいいことではないのかも知れません。

それでも、相手に悪いから(本当は断りたいけど)なかなか断れない、離れられないという場合は、断るのは(離れるのは)、また、自分の気持ちに嘘をつかないのは、相手と誠実に向き合うためなのだと、そう思ってみるのも一つの方法なのかも知れません。

相手を断るのではなくて、相手に対して誠実でいるために、相手と誠実に向き合うためにと思うことで、自分の気持ちに正直になれることもあるかも知れません。

そしてそれがお互いのためになるということもあるように思います。

自分のために、聞こうとしてみる・・でいい

相手の愚痴を聞き続けようとするのは、自分のため・・でいいと思うのです。

自分を犠牲にして、相手のために我慢して聞いていると、どうしても、相手からのお返しを求めてしまいたくなったりする・・そんなこともあるかも知れません。

それは結局は自分のためにもならないし、相手にとってもそれは本当はいいことではないのかも知れません。

そうではなくて、自分のために相手の話を聞こうとする・・でいいと思うのです。

例えば、自分が何かを相手からもらっているから、自分も相手を支えたいという気持ちで聞いてみたり。

話を聞いてあげると、相手が元気になって、それは自分にとっても嬉しいことだから、だから、自分のために、話を聞こうとする・・

例えば、そんな風に、「自分のために」でいいと思うのです。

相手のために愚痴を聞いてあげようとすると、いつか、そのお返しを無意識の間に求めてしまったり、それが(愚痴を聞き続けることは)大変なことなんだと相手にわかってもらいたくなることがあるかも知れません。

ただ、自分のためにやっているのだと思えば、相手にお返しを求めたり、相手にわかってほしいと思わずに済む・・そんなこともあるように思います。

最後まで記事にお付き合いいただいて、ありがとうございました。