自分から離れていく人に悲しくなった時、気持ちを切り替えるには?
親しくしていた人が自分から離れてゆく。
そんな時は、とても寂しくなったり、自分が悪かったのかなと不安になったりすることもあるかも知れません。
そんな時、どんなことを考えたら気持ちを切り替えることができるでしょう?
今日はそんなことについて見てゆきたいと思います。
目次
今はこれでいい
人が離れてゆく理由も色々あると思いますが、1)自分やまたは相手の人生のステージが変わったり、または、2)自分が成長することで、これまで付き合いのあった人が自分から離れてゆく・・ということがよくあります。
1)人生のステージが変わると離れてゆく人
人生のステージのようなものがあるとすると、自分の(または相手の)人生のステージが変わることで、これまで付き合いのあった人が離れてゆくことがあります。
例えば、結婚してから疎遠になってゆく人もいますし、子供ができてから疎遠になってゆく人もいるかも知れません。
または、仕事が変わってから疎遠になってゆく人もいるかも知れません。
色々なケースがあると思いますが、これは恐らく誰が悪いというわけではなくて、ただ、長い人生の中ではそうやって、それぞれが今のその自分のステージでやるべきことに一生懸命になる時期というものがあるのかも知れません。
2)自分が成長することで離れてゆく人
また、中には自分が成長することで、離れてゆく人もいます。
自分が成長することで、新しい考え方や価値観を手にして、それで生きるのが楽になったり、人生が楽しくなったりすることってあると思うのです。
ただ、その新しい考え方や価値観についてゆけない人は、自分からは離れてゆくかも知れません。
もっとも、相手も成長を続けているわけで、疎遠になってゆくのは、お互いが成長したからかも知れません。
人生のステージが変わったり、自分自身が変わったりすることで、離れてゆく人もいるし、疎遠になってゆく人もいるわけですが、ただ、世の中のすべての物事は変わり続けていて、変わらないものは何もないと言われています。
自分も相手も、またここから変わり続けてゆくわけで、人生のステージも常に変わってゆくものだと思います。
だから、いつかまた、同じ場所に立てることもあるかも知れません。
もし、自分から離れていく人や親しい人と疎遠になった時は、そんなことを思ってみたり、「今はこれでいい」と思ってみることも、気持ちを切り替えるための1つの方法かなと思います。
変わらず一緒にいてくれる人に気持ちを向ける
自分が変わると離れてゆく人がいる・・ということでしたが、皆が皆離れていくわけではなくて、自分が変わっても、それでも変わらず一緒にいてくれる人もいます。
自分が変わるといっても、全部が変わるわけじゃないと思うのです。やっぱり、ずっと変わらない部分もあるわけです。
人の性格というのは、半分が生まれ持ったものだという研究結果もありますが、もしそうだとしたら、半分は生まれ持ったもので、残りの半分は、後天的なものであり、環境や自分次第で変わってゆく可能性があるものです。
自分が変わるというのは、この残りの半分のどこかが変わるということだと思います。
自分が変わっても変わらずに一緒にいてくれる人というのは、その残りの半分の後天的なものを見ているのではなく、自分が生まれ持った本質的なものを見てくれている、その生まれ持った本質的な部分を好きでいてくれているのかも、知れません。
こういう人は、何があっても一緒にいてくれる人であることが多いようです。
その自分の生まれ持った本質的な部分は変わらないわけなので。
もっとも、後天的な部分をいいと思ってくれる人達も自分にとっては大切な人であることに変わりはないわけですが、そんな風にして、自分が変わっても、変わらずに一緒にいてくれる人も必ずいるように思います。
離れていった人達への寂しさを、そういう風に変わらずに一緒にいてくれる人への感謝に変えてみるというのも1つの考え方なのかなと思います。
また、そういう風に、気持ちを向ける先を少し変えてみることも、悲しい気持ちを切り替えるためには大切なことかも知れません。
幸せや成功を喜んでくれず、離れてゆく人
中には、自分が仕事で成功したり、または何かの幸せをつかんだ後、離れてゆく人もいるかも知れません。
喜んでくれると思って話したら、喜んでもらえなかったと悩む人もいます。
そんな時はとても寂しい気持ちになってしまうかも知れません。
成功したり、幸せをつかむためには、多くの場合、その裏で多くの努力があったり、試練や困難など、乗り越えてきたものがあると思うんですね。
だからこそ、一緒に喜んでもらいたいと思ってしまうものだし、その思いが叶わないのはとても悲しいことだと思います。
何故、喜んでくれないのか、離れてゆくのか?
というのは、人それぞれ、その理由も違っているかも知れませんが、ただ、1つ言えることは、誰かの幸せを自分のことのように喜ぶためには、本当の意味での優しさがないとできないかも知れません。
優しさとは、思いやりがあるということですが、思いやりは「他人に心を配る」という意味があります。
その心を人に配るためには、配るだけの心の余裕がないといけないのかも知れません。
だから、心に余裕がない時は、人のことを自分のことのように喜んであげることができないかも知れません。本当は、喜んであげたくても、です。
もっとも、友達であれば、何があったとしても、相手の幸せや成功を喜んであげるべきだと思うんですね。
ただ、例えば、自分が同じような状況ではない中でそうするためには、心の強さが必要なのかも知れません。
こんな時、気持ちを前向きにするのは難しいことですが、ただ、「相手にも事情があるのだろう」と思ってみたり、「自分は友達の幸せを喜べる人になろう」と思ってみるのも1つの方法かなと思います。
わかろうとすることで、わかってもらえない苦しみが手放せることがあります。
また、「自分は~しよう」と思ってみると相手と自分の問題を切り離して考えることができます。
友達のことを喜んであげることができないのは、相手の事情、相手の問題。
だけど、それについて思い悩んでいるのは自分の問題。
そんな風に問題を2つに切り離して考えてみると、自分が本当に向き合わないといけないことが見えてくることがあります。
こんな人には注意して
少し話は変わりますが、こんな人はこんな時、自分から離れてゆくようです。
・自分を利用しようとしていた人は、利用できなくなると離れてゆきます
・自分を都合のいいように扱っていた人は、そのように扱えなくなると離れてゆきます
・自分に依存しようとしていた人は、依存できなくなると離れてゆきます
・助けてもらうことだけを考えていた人は、助ける立場になると離れてゆきます
特に人から頼られることが多い人、相手に合わせようとする人や自分を犠牲にすることが多い人は、こういった人達には注意しないといけないかも知れません。
友人が離れていったのは自分のせいかもと思ったら
例えば、ちょっとした言葉で離れてゆく人もいます。
その人のためにと思って言った一言でその相手が離れてゆくこともあります。
色々なケースがあると思うのですが、友人が離れていったのは自分のせいかもと思った時、大事なのは、自分がその友人に対してどんな思いで接してきたか?ということなのかなと思います。
何をしても、プラスに受け取る人もいるし、マイナスに受け取る人もいて、同じことを言っても、「親身に考えてくれてありがたい」と思う人もいるし、反対に怒ってしまう人もいるかも知れません。
つまり、どう感じるかというのは殆どの場合、その言葉そのものではなくて、それを受け取った本人が決めているのだと思います。
だから、「自分の言い方が悪かったかな」「どう思われたかな?」と考えても答えは出ないかも知れません。人の受け取り方は様々だから、です。
友人が離れていったのは自分のせいかもと思った時も、「どう思われたか?」と考えても答えは出ないかも知れません。
ただ、自分がどんな思いで相手と接してこようとしたか?自分は相手にとってどんな友人でいようとしてきたか?ということであれば、自分でわかると思うのです。
そして、そういうこと、自分の在り方(自分が相手に対してどんな自分でいようとしたかということ)で友人との関係や友人との間にあったことを判断してゆくようにすると、何が問題で何が問題ではないのかをはっきりさせやすいのではないかなと思います。