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人の顔色ばかりをうかがってしまう、気にしてしまう

人の顔色ばかりをうかがってしまう、気にし過ぎてしまって、自分が苦しんでしまう・・・という方もいらっしゃるかも知れません。

それには勿論何かしらの原因があると思うんです。

その原因の1つが親との関係にあると指摘する心の専門家の方が大勢います。

それはどういうことかと言うと、親の顔色をうかがいながら育った子供は、大人になってもその思いを持ち続けていることが多く、相手が親ではなくても同じように顔色をうかがってしまう・・・ということです。

多くの場合は気づかれていないか、気づいていてもどうしていいかわからない・・・というケースが多いのではないかな・・と思います。

僕自身が親との関係では色々な思いを抱えてきたので、そういうお話をお聞きするととても切ない気持ちになります。

不機嫌な親と拒否されたくない子供

作家でコーチングもされていらっしゃる野口嘉則氏は、親が子供がすることに何か不機嫌な態度をとったりした時、子供は自分が拒否された・・・と感じることが多い、といったことを語っていらっしゃいます。(参考、これでいいと心から思える生き方 ※ただしこの件に関する記述はほんの一部分のみ

親はただ自分を困らせる子供のその態度や行動に対して不機嫌になっているだけ・・・なのかも知れません。

でも、子供にしてみれば、自分の行動ではなくて、自分の存在そのものを否定されたかのように感じることがあるかも知れません。

そんなことが繰り返されると、自分を拒否されまいと、親の期待に応えようとしてしまったり、親の顔色を気にするようになることもあるかも・・・知れません。

それは子供なりに自分を守ろうとしていたからこその行動であり、それが大人になってからも、自分が人との人間関係の中で核となる部分になってしまうこともあるようです。

そういう風に幼いころ、子供の頃に人は自分なりの生き方のようなものを決めることがあって、それは「幼児決断」という風に呼ばれています。

その子供の頃に身に付けてしまった対人関係の自分なりのやり方というものが、大人になってから自分を苦しめてしまうこともあるのかも知れません。

それが顔色をうかがってしまうことであったり、何か言われると断れない自分だったり、相手の期待にはどうしても応えなければならないと思うことであったり、そういった考え方の根本にあるのかも・・・知れません。

氷を溶かすように、少しづつ捨ててゆく

この子供の頃に得たものが根本にもしあったとしたら、それを少しづつ捨ててゆくことで自分が生きるのが楽になると思うんです。

少なくとも僕はそう思っていて、冒頭でもお話しましたが、親との関係の中で得た考え方というのを僕は少しづつ、悩んだり、迷ったりしながら捨ててきました。

それはその方が楽しく生きられると思ったからです。

人が不機嫌になってしまうことが怖くなると、どうしても顔色をうかがってしまいます。自分のせいで不機嫌にしてしまったのではないか・・・そう思うことがあるかも知れません。

だけど、僕はどこか人間関係はなるようにしかならない・・・と思っています。

不機嫌になってしまった原因が自分にあるのかも・・知れません。その時はそう聞いて、謝ることも必要なのかも知れません。

でも、それが続くようなら、それはそういう関係にしかなれない運命にある相手・・・ということなのだと思うんです。

自分が幸せになるには、自分が楽しく生きようと思った時、相手をどうにかして、楽しませよう、不機嫌にならないでいてもらおう・・・と相手を変えようとするより、例えば、自分が自分でいるだけで喜んでくれる人を探した方がいいのかも知れません。

世の中には、自分が自分でいるだけで・・・好きでいてくれる人がいるし、喜んでくれる人もいるようにできているようです。

だけど、それは自分が自分でいるだけで、認めてくれない人もいるということでもあって。

そうやって考えてゆくと、自分を好きでいてくれる人と自分がどう頑張ってもそうはならない人、頑張って相手に合わせて何かほかの自分を演じることでしか繋ぎ止めることのできない人・・・にわかれるようです。

「あなたのことが好きですよ。ただし、こういうあなたであったならね」

・・・というのは条件付きの愛情であったり、友情なんだと思います。

だけど、本当の友情って相手に欠点がないから好きなのではなくて、欠点も含めてその人が好きだと・・・そう思うことなんだと僕は思うんです。

愛情も同じで、「こういう風に行動してくれるあなたが好き」というのは、それは相手をコントロールしたいという欲がもれなくくっついてくる、偽の愛情の姿ではないかな・・と。

本当の友情であったり、愛情は、「あなたはあなたのままでいい」そういう形なんだと思います。

今、自分が追っているのは偽の愛情なのか、本物の愛情なのか・・・本物の愛情は自然と自分が自分でいられるように感じさせてくれるものだと思います。

もしかしたら、相手の顔色をうかがって相手の思うような人を演じようとするより、自分が自分でいる方を選択した方がいいのかも知れません。それは自分が楽しくいられる選択でもあると思うんです。

僕は楽しく生きることを目的に生きようと思った時、自分が楽しいと思える方を選択してゆこうと決めました。

どちらが正しいかと考えるとどうしても過去に身に付けた自分の中に子供の頃からある思いに縛られてしまいがちです・・・でも、それを捨てることはできると思うんです。

自分が楽しい方を選ぶこと、それは時には簡単なことではないし、勇気がいることだけど・・・生きることはその選択を繰り返すたびに楽しくなってゆくのだと僕はそう思っています。

今日は最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。
感謝。