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人の嫌いなところは自分の投影?人を嫌いにならない秘訣は?

人の嫌いなところというのは、実は自分でもどこかで認めている自分の嫌なところである。

心理学の世界では、そんな風に言われることがあります。

言い換えると、人に見える嫌なところというのは、自分がどこかで感じている自分の嫌なところの投影のようなもの・・・ということになるでしょうか。

今回は、そんなことについて、また、その相手に見える嫌なところのその裏にあるもの(裏の投影)についても、見てゆきたいと思います。

また、人を嫌いになってしまうということについても、その理由や、どうやったら人を嫌いにならずに済むかということについて、書いてみたいと思います。

自分の中にあるものが見える

人は不思議なもので自分の中にあるものが、相手に対しても見えるようです。

これは以前に少しお話させていただいたことがありましたが、例えば、友達と話をしていて、「心の優しい人だなあ」・・と思われることがあるかも知れません。

それは、その友達が心の優しい人だったから・・・かも知れませんが、でも同時に自分の中にも同じような心の優しさがなければ、それは見えないものだと思います。

「心の優しい人だなあ」

そう思った方も、心の優しい人なのだと思います。

「思いやりのある人だなあ」

そう誰かに対して思った方も、思いやりがある人なのだと思います。

例えば、Aさんという人がいます。Aさんは今、「コーチのバッグが欲しいなあ」・・と思っているとします。

すると、街でコーチのバッグを持った人がAさんの目に飛び込んできます。

もう一人、Bさんという人がいます。

Bさんは「車を買い替えなきゃな」・・と思っているとします。

Bさんは子供がいるからスライドドアの車がいいかなと思っています。

すると、駐車場を歩きながら、やっぱりスライドドアの車が目に飛び込んできます。

でも、Bさんは目の前にいるコーチのバッグを持った人のことは、全く目に入っていません。

同じようにAさんもスライドドアの車が目の前にあっても、全く目に入ってこない。

自分の中にあるものが見える。

そして、ある意味、自分の中にあるものしか、見えないのかも知れません。

じゃあ、人の嫌いなところは自分自身の嫌いなところの投影なのでしょうか・・?

そういうことももしかしたらあるかも知れません。

例えば、せっかちなところが自分の欠点だと思っていると、せっかちな人を見た時に、自分の欠点を見せられているようで、嫌な気持ちになることがあるかも知れません。

だけど、おっとりした方を見ても何も思わない。むしろ、大らかな性格で素敵だなぁと思ったりして。

そういう意味では、人の嫌なところというのは、自分の中にある「自分が思っている自分の欠点」でもあるのかも知れません。

自分の欠点を認めてしまえば、相手の嫌なところも消える

もし、人の嫌なところが、自分の中にある自分が思っている欠点だとしたら、自分の欠点を「まぁ、いいか」と思えた時、その相手の嫌なところも消えることになります。

自分にあるものが見えているのだとしたら、それがなくなった時に、その相手の嫌なところは見えなくなるはず、です。

もっとも、自分が自分で思う自分の欠点というのは捨てることはなかなかできないものだったりしますが・・

ただ、そういう欠点を捨てるとまではいかなくても、欠点があってもいいかなと、思えた時、つまり、少しだけ、自分のその欠点を許してみた時・・・不思議と相手に見えていたモノも見えなくなったりするかも知れません。

投影の裏にあるものが自分に何かを教えてくれる

ここまでご紹介してきた投影は、自分の中にあるものが相手に対しても見える・・・という意味で書かせていただきました。

実はその投影には、裏の投影のようなものもあるようです。

どういうことかと言うと・・・

自分に対して抑圧しているものを相手が持っていた時(相手がそれを抑圧していなかった時、またはそう感じた時)、その相手を嫌だなと思ってしまう・・・というある種の心理です。

例えば、あまり自分が目立つのはよくないと思っていると、目立つ人やまたはでしゃばっている(ように見える)人が嫌だなと、思ってしまう。

先程の投影の反対のようなもので、自分に対して持ってはいけないと抑圧しているものを相手が持っていた時、その相手が嫌になったりします。

もしそうだったなら、その嫌な人の嫌なところ・・・というのは、自分が自分に対してどこかで強く抑圧している(又は禁止している)ものに気づかせてくれるかも・・知れません。

そして、その抑圧しているものの中に、自分にとって必要な何かが隠れているということもあるようです。

抑圧が教えてくれること

例えば、先ほどのように、目立ってはいけない、出しゃばってはいけない・・と自分に対して、目立つことを抑圧(禁止)していたとします。

すると、目立つ人やまたは出しゃばっている(ように見える)人が嫌いになってしまったりする・・先ほどはそんなお話をさせていただきました。

これには続きがあって、この抑圧しているものの中には何か自分に必要なものが隠れていることがあるようです。

例えば、子供の頃に自分を押さえつけられて育って、(怒られないために)自分を出さないようにしてきた人は、大人になってからも、同じように自分を抑圧してしまうことがあるかも知れません。

だけど、本当は、もっと自分を(親に)見てもらいたかったのかも知れない。本当はもっと自分らしくいることを認めてもらいたかったのかも知れない。

この場合、自分に必要なのは、失った自分らしさなのかも知れませんし、自分のままでいいと受け入れてくれる人(愛情)なのかも知れませんし・・

または、抑圧するということは自分で自分を押さえつけているわけですから、自分に対して似たようなことをしていることになるかも知れません。

そんな自分に必要なのは、(色々な面を持った)自分に対する肯定感なのかも知れませんし、またはもっと他に何か自分が必要なものがあるのかも知れません。

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いずれにしても、自分に対して抑圧しているもの(禁止しているもの)の中に、自分が本当は必要としていたことが隠れていることもあるように思います。

人の嫌なところというのは、ここまで書かせていただいたように、投影や、投影の裏にあるもの、だけではないわけですが・・

ただ、嫌いな人は、時に自分に何かを教えてくれる人でもあるのかも知れませんね。

人を嫌う理由とは?

さて、ここまでは嫌いな人、人の嫌なところと投影について(そして、投影の裏にあるものについて)ご紹介してきました。

人を嫌いになってしまう理由は、この投影や投影の裏側にあるものだけではなくて、他にもいくつかあるようです。

嫌いという感情は、ある意味、攻撃のようなものですが、人は自分や自分の何かを守るために攻撃する(人を嫌う)ものだと思います。

その何かとは、例えば、自分のプライドであったり、自分のアイデンティティ(自分らしさ、自分を自分たらしめているもの)であったり、自己重要感であったり、自分の存在そのものであったり。

だから、こういったものを守るために、こういったものを自分から奪う人を攻撃する(嫌う)のかも、知れません。

つまり、嫌う(攻撃する)ことで、自分の何かを守っているわけです。

だから、人は自分の気持ちを無視する人は嫌いですし、自分を否定する人も嫌いだし、自分を粗末に扱う人も嫌い・・・なのだと思います。

だけど、それはあくまでも主観的に自分がそう感じているということであって、相手にそのつもりがあるとは限らないと思います。

例えば、何かを押し付けてくる人は、押し付けられた人からすれば、自分の気持ちを無視されたと感じるわけですが、押し付けてきた側は、相手のために・・と思っているのかも知れません(実際には相手のためにはなっていなくても)

人を嫌いにならないために何をすればいい?

では、このようなケースでは、人を嫌いにならないためには何をしたらいいのでしょう・・?

これはすごく難しいことだと思うのです。

先ほどの、何かを押し付けてくる人の話。

押し付けられた・・・と感じるのは、自分の中にある「ビリーフ」と呼ばれるものが関係していることがあります。

ビリーフとは日本語にすると信念のようなものです。

このビリーフ、または信念は悪いものではなく、むしろ、必要なものなのですが、このビリーフの中でも、イラショナル・ビリーフというものが関係していることもあります。

このイラショナルとは「非合理的」という意味ですが、イラショナル・ビリーフとは、簡単に言うと、偏った、または非合理的な考え方のことになります。

何かを押し付けてくる人ですが、その人のことを嫌いにならない人もいます。

これは何が違うかというと、嫌いにならずに済んだ人の中にあるビリーフが違うのかも、知れません。

つまり、

何かを押し付けてくる人 = 自分を否定する人

・・というビリーフ(考え方)があれば、何かを押し付けてくる人が嫌いになるかも知れません。

一方、

何かを押し付けてくる人 = 悪気はないけど、一方通行な人

・・というビリーフ(考え方)があれば、何かを押し付けてくる人のことを好きとはいかなくても、嫌いというところまでいかなくて済むかも知れません。

何が言いたいかというと、物事、または人に対する捉え方、考え方に柔軟性を持たせてゆくことが、人を嫌わずに済む1つの方法なのかも知れません。

考え方に柔軟性を持たせてゆくのもとても大変なことですが、ただ、そのためにできることは沢山あります。

例えば、視点を変えてみたり(相手の気持ちになってみたり)。

やり方は色々と、あると思います。

自分を守ろうとすることを少し、やめてみる

自分をガードしよう、ガードしよう・・・と思うほど、傷つきやすくなってしまうことがあります。

そして、自分を傷つける人を嫌う必要が出てきたりする。

だけど、ガードを下せば、下すほどに・・・反対に傷つきにくい自分になれたりすることがあります。

自分の中に、守るべき自分がいると、人は傷つきやすくなってしまうのかも知れませんし、自分を守る必要が出てきてしまいます。

例えば、自分の仕事について、大したことをしているわけじゃない。

・・そう自分で認めていると、誰かに自分の仕事を軽く見られてしまっても、「そう、その通り」と思うわけで、自分を守る必要も、相手を嫌いになる(攻撃する)必要もなくなるかも、知れません。

嫌いな人をゼロにする必要なんてない

さて、ここまで嫌いという感情について色々と見てきました。

嫌いという感情は、時に諸刃の剣のようなもので、自分を守ることができる一方で、その感情が強くなりすぎると、自分も傷つけてしまうことがあるかも知れません。

だから、嫌いという感情が強くなりすぎた時には、少しだけでもその気持ちを捨てることができればいいのかも知れません。

ただ、嫌いという感情や嫌いな人をゼロにする必要はないと思います。

嫌ってはいけないと思うと、その感情がかえって捨てられなくなります。

だから、嫌いという感情を手放したいと思った時でも、矛盾するようですが、まずは、嫌ってもいいと自分の感情を受け入れてみるところから始めてもいいのかも知れません。

そうやって感じたことをありのままに受け入れてみると、感情は不思議と大人しくしてくれます。

そうなった後で、今度は感情そのもので考えるのではなくて、理性で考える、または論理的に考えてみると(今回の記事のようなことを考えてもいいし、他のことでもいいですが、いずれにしてもそうやって理性で考えてみると)、自分の中にある感情を少しづつ手放せるようになってゆくこともあります。

嫌いという感情のみならず、感情というものを手放したいと思った時は、この、まず受け入れて、次に理性で考える・・という順番が大切なのかなと、思います。

最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。