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空気を読みすぎることは悪いこと?周りを気にしすぎてしまう時は

「空気を読みすぎることは悪いことでしょうか?時々周りを気にしすぎて疲れてしまいます。」

そんな風に聞いてもらったことがあります。

そうですね。その場の空気を読めるということは、とてもいいことだと思いますが、読みすぎてしまうと自分が疲れてしまうかも知れませんね。

今回は、空気を読みすぎてしまうということについて考えてみたいと思います。

「空気を読むことができる」は持って生まれた能力

空気を読みすぎることは悪いことか?

・・ということですが、僕は悪いことじゃないと思います。

人とのコミュニケーションの中で空気を読める力というのは、心理学の世界では「セルフモニタリング能力」(self-monitoring)と言います。

これは、心理学者のスナイダーという人が提唱した考え方で、セルフモニタリング能力が高い人は自分やその場の状況を客観的に捉える能力に長けていて、その場の空気を読むことが得意であると言われています。

例えば、飲み会をやっている時、楽しくなさそうにしている人が気になったりする人はこの能力がある人かも、知れません。

これは誰もが持っている能力ではなくて、また、教えてもらっても、なかなか持つことのできないものなので、それは悪いことじゃなくて、素晴らしいことだと思います。

そういった能力を持った人、空気を読める人は、必ず必要だと思います。どのような場であっても。

こういう人がいてくれるとその場が和やかになったり、盛り上がったりします。

空気を読みすぎてしまうという人は、この能力が高い人なのかも知れませんし、この能力に加えて、色々なことを敏感に感じ取ることができる力を持っているのかも知れません。

どちらも人間関係でも社会生活を送ってゆく上でもいいことだと思います。

ただ、空気を読みすぎるようになると、やっぱり自分が疲れてしまうので、その場合は、空気を読むことはよしとしながらも、読みすぎてしまう部分を少しづつでもやめてゆけたらいいのかも知れません。

周りを気にしすぎて疲れたら

空気を読みすぎて、自分が疲れてしまう。または、周りを気にしすぎて疲れてしまう。

そんなこともあるかも知れません。

その理由も様々で、その人によって違っていると思います。

中には、生まれ育った環境の中で、例えば、母親の顔色を伺いながら生きてきたという人もいるかも知れません。

そういう人は、大人になってからも、その癖が抜け切れず、また、それが生まれ育った環境の中で手に入れてしまった癖であるとは気づかずにいることもあるかも知れません。

例えばそんな風にして、自分でも思わぬ形で空気を読みすぎるようになったり、周りを気にしすぎて疲れてしまう人もいます。

そんな時はどうしたらいいか?ということですが、例えば、カウンセラーなど、専門家に相談してみるのも良い方法だと思います。

もう1つは、(もし他人基準で物事を判断していた場合)自分基準で物事を判断するようにしてみる、という方法です。

その場の空気を読むことはとてもいいことだと思うのです。ただ、読みすぎてしまう場合は、何かしら、自分をそうさせてしまう原因があるのかも知れません。

その原因も色々あると思いますが、例えば、自分の言動が周りの人にどう思われるかを気にしすぎてしまうと、どうしてもその場の空気のようなものを必要以上に読もうとしてしまうかも、知れません。

反対に、同じようにセルフモニタリング能力が高い人でも、周りの空気を必要以上に読まずに済んでいる人は、周りに自分がどう思われるか?ということをそこまで気にせずに済んでいるのかも。

この違いですが、その一つは恐らく、自分を基準にしているか、他人を基準にしているかの違いだと思います。

どう思われるかを気にしすぎてしまう時は、他人が基準になっていることが多いと思います。

他人がどう思うか?が自分の行動や自分を判断する基準になっているのです。

反対にどう思われるかがそれほど気にならない時は、自分が基準になっていることが多いと思います。

他人ではなく、自分自身がどう思ったか、どんな思いでそれをしたのか・・・ということが自分の行動や自分を判断する基準になっているのです。

少し自分基準にシフトしてみる

自分基準で・・・なんていうと自分勝手に振る舞うことのように聞こえてしまうかも知れませんが、そうではなくて、自分基準というのは、自分がどうありたいかという自分の在り方を大切にする考え方だと思います。

例えば、誰かに何かを伝える時も、自分がどんな思いでそれを伝えようとしたかという自分の在り方を大切にする。

これも自分基準になります。

もっとも、例えば、相手に「どう受け取られたかな?」と考えることは、人間関係では大切なことだと思います。

空気を読みすぎてしまうような人は、そういうことを無意識のうちに考えることができる人だと思います。(多くの場合は、そのように相手のことを考えるのは難しいことだと思います)

ただ、空気を読みすぎて自分が疲れてしまうような場合は、もしかしたら他人基準に傾きすぎているのかも知れません。

そんな時は自分基準の方に少しシフトしてみると、周りがそれほど気にならなくなることがあります。

先ほどの何かを伝える場面でも、「どう受け取られたかな?」と考えるのではなく、「自分がどんな思いでそれを伝えたか」ということを大切にしてゆきます。

「どう受け取られたかな?」と他人基準で考えると不安になりやすいと思いますし、必要以上に周りのことが気になってしまいます。

それは、どう受け取るかは人それぞれで、1つの答えがないからだと思います。人によって様々な受け取り方をするものなので。だから、そこを気にし始めると、必要以上に人のことが気になってしまったりします。

ただ、自分の在り方ですとか、自分がどんな思いでそれを言ったのか、したのか・・・ということであれば、自分でわかります。

そして、そういう自分の在り方というものを大切にしてゆくと、相手のことを気にしすぎずに済みます。

例えば、「余計なことを言っちゃったかな」と思ったとしても、「自分がどんな思いで相手と向き合っていたか」という自分の在り方で、その自分の発言を判断してゆきます。

すると、言い方はもっとあったかも知れないけど、言ったことは悪くはないと自分で思えるかも、知れません。

これが他人基準で「どう思われたかな?」と考えると、答えが出ません。人は色々なことを思うものだからです。

だから、他人基準に傾きすぎてしまうと、周りが気になり過ぎてしまったり、または結果的に周りの空気を読みすぎて疲れる・・・なんてこともあるかも知れません。

そんな時は少し、自分基準で、自分の在り方というものを大切にしてみると、周りを気にしすぎずに済むかも知れません。

空気を読めるという特技を生かして

冒頭でも書かせていただきましたが、読みすぎてしまうほど空気を読むことができるというのは、特別な能力だと思います。

人に空気の読み方を教えるのはすごく難しいことだと思います。それは教えられても、なかなかできないことなので。

もっとも、空気を読みすぎて疲れてしまう・・といったマイナスな点もあるかも知れませんが、ただ、そういう人にしかできないことがあると思うんです。

空気が読める人は、相手や周りのことを敏感に察知できる人だと思いますが、そういう自分の特徴、力を生かして、人をサポートする仕事をしている人もいますし、人に喜ばれる仕事をしている人も大勢います。

空気を読みすぎてしまうほど、周りのことを察知できる人にしかできないことが、沢山あるのではないかなと思います。

だから僕は、それは悪いことではなくて、素晴らしい能力ではないかなと思います。

最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。