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自分を犠牲にして人に尽くすこと、どこまでやってあげたらいいか?

誰かのために何かをやってあげること。

僕はそれは素晴らしいことだと思います。

誰かのために何かをしてあげたい、相手のためにやってあげたくなる・・・そんな方もいらっしゃるかも知れません。

だけど、そんなことを続けていて、疲れてしまう瞬間がやってきたり、相手に失望してしまったり、気づくと感謝であったり、お礼がないことにガッカリしてしまったり・・・そうなってしまうようであれば、それはやり過ぎているということなのかも・・知れません。

人にはどこまでやってあげたらいいか?

そうやって人のために何かをやってあげたいと思われる方は、きっと見返りを求めているわけではないのだと思います。

ただ、相手の喜ぶ顔がみたいからとか、困っている時には助けてあげたいという、そんな思いをお持ちなのだと思うんです。

「ごめんね、ちょっと辛いことがあって・・話を聞いてくれる?」

そう言われて話に付き合ってあげること。
それはとっても友達思いで素晴らしいことだと思います。

でも、毎週のようにその友達から呼び出されて、話を聞いてあげて、終わったら家に帰ってグッタリしてしまうようであれば・・・それはやっぱりやり過ぎなのかも知れません。

そうやって自分が疲れてきたり、相手に失望してしまうようであれば、やっぱりそれは何かをどこかで間違えてしまっていたのかも・・・知れません。

どこまで人に対してやってあげたらいいか・・・その線引きはとても難しいと思うんです。

ただ、どこまでなら、やっていいか・・・それは、

①感謝されなくても、やってあげたいと思える範囲まで
②自分が喜んでやってあげたいと思える範囲まで
③自分を犠牲にし続けないでできる範囲まで

・・・のどれかに当てはまるところまで・・・でいいように僕は思っています。

それは簡単に言ってしまうと、自分が笑顔でやってあげられるところまで・・ということになるのかも知れません。

相手の学びのチャンスを奪わない

困っている人がいたら助けてあげたい。そのお気持ちはとても美しくて、そんな方は素敵な方だと思います。

だけど、そのためには、自分を犠牲にすることはあっても、犠牲にし続けたのではダメなんだと思うんです。

本当の意味で誰かを助けること・・・それは、転んでしまって立ち上がれないでいる人に手を差し伸べることなのかも知れません。

だけど、その人をずっとは支えることはできません。人は自分の足でしか立つことができないと思うんです。一時なら、相手に自分に寄りかかってもらうことができます。支えてあげることもできます。

だけど、ずっとはできません。
それを続けたら、二人とも倒れてしまいます。

それにこの人生はきっと人に支えられ続けては何も学ぶことができず、転んでもいいから、自分の足で歩いてゆかなければならないのだと、僕は思うんです。

だから、誰かをずっと支え続けようとすることは、それは相手の学びのチャンスを奪っていることになります。

僕はそうやって考えていった時、人が人にしてあげられる一番のことって、それは相手に自分の足で立ち上がろうとする勇気を与えることなのかな・・・とふと思いました。

誰かを支えようとする時、自分が少し強くなれたような気持ちになります。

そして、そんな時は寂しさも弱さも、悩みさえ、感じないことがあって。誰かのためにというのは、そんなものを自分に与えてくれる大きな力があるのかも知れません。

だからこそ、ずっと頼りにされたいし、誰かを助けたい気持ちになることもあります。

だけど、自分じゃなくて、相手のことを考えた時、最後はあえて、手を離さなければならない時もあるのかも知れないと・・・思ったんです。

友達なのに話も聞いてあげないなんて、冷たいと思われるんじゃ・・・そんな気持ちや罪悪感にも似たものもあって、だけどその気持ちは、自分じゃなくて、相手のことを本当に考えたら、きっと捨てられると僕は思います。

いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。
感謝。