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人の言葉を信じられないのは何故?特定の人が信じられないことも

人の言葉が信じられない。

人が自分に言ってくれたことが、例えば、それが善意で言ってくれたのだろうとは思っても、信じられなかったり。

または、相手はただ、「その日は行けないんだ。ごめんね」と言っただけなのに、(本当は私のことが嫌いなんだ)・・と思ってしまったり。

そんなこともあるかも知れません。

そんな風にして、人の言葉が信じられないのは何故でしょうか・・?

人を信じられないということについては以前、人を信じられない。人を信じるためにはどうしたらいい?という記事を書かせていただいたことがありましたが、今回はその原因について、もう少し具体的に見てゆきたいと思います。

また、どうやったら人の言葉を信じられるようになるか?ということについてや、特定の人が信じられないこと、そして、それがきっかけで、その人と同じくくりの人たちが信じられなくなったり(例えば、以前お付き合いしていた恋人に裏切られてしまって、男性全体が、または、女性全体が信じられなくなったり)した時はどうしたらいいか?

・・ということについても記事の最後でご紹介したいと思います。

人は自分自身がしていることを相手もしているのだろうと思ってしまう

人の言葉が信じられない。

そんなこともあるかも知れません。

ただ、人の言葉というのは、全部信じようとする必要はないように思います。

ある程度の不信感というものはあった方がいいわけで、そうでなければ、自分を守ることができなくなってしまいます。

ただ、本当はこの人の言葉を信じたいのに、何かが邪魔をして信じることができない・・そんなこともあるかも知れません。

何が邪魔をしているのか・・?

・・ということですが、人によって、色々な原因があるかも知れません。

これはその中の1つになると思いますが、人は自分自身がしていることを相手もしていると思ってしまう・・という、そんな特徴があるようです

例えば、自分が、誰かのお誘いを断るのがすごく苦手だったとします。

断ると相手を傷つけてしまうと思っているためです。

だから、大勢の人がやってくる飲み会のお誘いを受けた時は、(自分は本当は大勢で飲むのが好きではなく)気乗りがしくても、「誘ってくれてありがとう!」と無理してでも、飲み会に参加してしまう・・とします。

すると、自分が誰かをお誘いした時、相手が「誘ってくれてありがとう。楽しみです♪」と言ってくれたのに・・・

「本当は、嫌だったんじゃないかな・・」
「本当は楽しみになんてしていないのでは・・」

・・と本当はそうしたくないのに、相手を疑ってしまうというか、その相手の言葉をそのまま信じることができない・・そんなこともあるかも知れません。

これは何故か?ということですが、飲み会の誘いのケースでは、本当は気乗りがしないのに、自分を偽って、「誘ってくれてありがとう!」と相手に嘘をついてしまったわけです。

相手を傷つけたくないという思いから。

すると、今度は自分が誘う側になった時に、相手も本当のことを言っていないのではないか?と感じてしまう・・そんなこともあります。

つまり、自分が自分に対して、または人に対して偽っていると、相手も同じことをしていると思ってしまうものだと思います

だから、自分が人に対して、本音を言わないようにしていると、相手も本音ではないかも知れないなと思ってしまいますし・・

例えば、相手を傷つけたくないからと、自分の気持ちに嘘をついていると、相手も同じことをしているのではないかなと思ってしまうかも、知れません。

自分が自分に対して思っていること

また、人は、自分が自分に対して思っていることは、相手も(同じように)思っているだろうと、そんな風に無意識の間に思ってしまう、ある種の性質があるようです

だから、自分のことがあまり好きではなく、いつも自分にダメ出しをしていたりすると、相手が自分のことを好きだと言ってくれても、相手が自分のことをいいと言ってくれていても、その相手の言葉を信じることができない・・そんなこともあるかも知れません。

この場合、相手が自分を好きだと言ってくれたその言葉を信じるためには、まず、自分が自分のことを好きになる必要があるのかも知れません。

自分を好きになると言っても、例えば、自分は最高だと思う必要はないと思うのです。

ただ、「こんな自分でもいいかな」と思える、そんな穏やかな自己肯定感のようなものが持てたらいいのかも知れません。

自分を好きになれない。自分を好きになるために考えたい6つのこと
自己肯定感が低い。原因と3つの高める方法とは?

自分に素直になると人の言葉が信じられるようになる

さて、先ほどは、人は自分自身がしていることを相手もしているのだろうと思ってしまう・・と書かせていただきました。

自分がしていることを相手もしていると思ってしまって、だからこそ、人の言葉が信じれない・・そんなこともあります。

そんな時はどうしたらいいかというと、先ほどの飲み会のお誘いのケースでは、自分の気持ちに嘘はつかないことだと思うのです。

それは、自分に対して嘘をつかない・・ということなのだと思います。

ただ、例えば、先ほどのケースのように、断ると相手を傷つけてしまうと思ってしまうから、断れない・・そんなこともあるかも知れません。

そんな時は、断るのではなく、自分の事情を相手に伝えると考えてみてもいいかも知れません

例えば、「大勢で飲むと萎縮しちゃって、だから、今回はごめんね」

・・と素直に自分の(大勢がいる場所だと萎縮してしまうという)「事情」を伝えると思えば、「断る」と思うよりも気持ちは楽かも知れません。

例えばそんな風にして、自分や自分の気持ちに嘘をつくことをやめてみた時、人の言葉も素直に耳に入ってくるようになることもあります。

人を信じるとは、自分を信じるようなもの

これは以前の記事でも書かせていただきましたが、人を信じるとは、自分を信じるようなものなのかなと、そう思うことがあります。

先ほど書かせていただいたように、自分を偽らないでいると、自分に嘘をつかないということをしていると、相手の言葉が素直に自分の耳に入ってくるようになることがあります。

ただ、それでも、それで全員の言葉が信じられるかというとそうではないですし、また、そんな風にして、誰の言葉でも信じてしまったら、むしろ、危ないわけです。

だから、ある程度は、信じないということも必要なのだと思います。

ただ、この人のことは信じたいなと思うこともあるかも知れません。

だけど、自分はその相手の人じゃないから、その人のことが全部わかるわけじゃないと思うのです。

それなのに、その相手を100%信じることは、時に難しいことかも知れません。

ただそれでも、その人を信じたいと思ったなら、その相手を信じるというよりも、その相手を信じようと思った自分を信じる・・ということをしてみてもいいかも知れません。

相手そのものではなくて、相手を信用しようとした「自分」を信じてみるのです。

それならば、もし、最悪裏切られてしまったとしても、自分が間違っていたのだなと諦められるかも、知れません。

これがもし、相手に裏切られたと思ったら、大きなショックを受けてしまいます。

そうではなくて、自分を信じてみようすれば、たとえ、相手に裏切られても、あぁ、自分に見る目がなかったのだな、まだまだ、自分は未熟だなと、そう諦められるかも・・知れません。

そんな人の信じ方もあるように思います。

さて、ここから先は少し話を変えて、裏切られてしまったことで、特定の人や特定の人達のことが信じられない時はどうしたらいいか?ということについて考えてみたいと思います。

特定の人や特定の人達のことが信じられない時は?

例えば、信じていた人に裏切られてしまったりすると、とても大きなショックを受けてしまうものだと思います。

特にその相手が自分にとても近い人だったりすると・・計り知れないショックを受けることがあります。

すると、その相手だけではなくて、その相手と同じような人達のことも信じられなくなってしまうことがあります。

例えば、以前付き合っていた彼氏に裏切られてしまって、男性が信じられなくなったり。

以前の奥さんに裏切られて離婚したけれど、それからは、お付き合いする女性のことをどこかで疑ってしまうようになったり。

この場合の人に対する不信感というものは、裏切られた時のショックが大きいだけに、(その不信感を)捨てることがとても難しいものだと思います。

不信感を持ち続けるのは、傷が癒えていないから

この場合、例えば、男性全体とか、女性全体が信じられない、不信感が消えないのは、自分の心の傷がまだ癒えていないから・・かも知れません。

不信感というのは、自分を守るためにやってくるある種の感情で、だから、問題は信じられないということそのものというより、不信感そのものよりも(不信感は自分を守ってくれているわけですので)、心にある傷がまだ癒えていないことが本当の問題なのかも知れません

この場合、その傷を例えば、カウンセリングを受けて癒すことで、その不信感が不思議と消えてゆくこともあります。

そういった専門家の助けを借りることも時には大切なことだと思います。

自分では何ができるか?

じゃあ、自分自身では何ができるか?

・・ということですが、その裏切られてしまったことでできた心の傷の癒し方は色々あるように思います。

裏切られたことを思い出した時、人はきっと、そんなことを思い出すのは(嫌な気分になるから)やめようと、そう思われることが多いと思います。

ただ、それは自分の気持ちに寄り添っていないことになります。

例えてみれば、「こんなに辛いことがあってね」と友達に話を聞いてもらいたくて、話したのに、「そんなこと考えない方がいいよ」と話を聞いてもらえなかったようなもの・・かも知れません。

人の感情(悲しいとか辛いという感情)は、受け入れてもらえると、癒えてゆくという特徴があります。

辛かった記憶が何度もフラッシュバックしてくる・・ということがあるかも知れません。

それは何故、何度もフラッシュバックしてくるのかというと、癒されたいからなのかも、知れません。

癒えていない傷が、癒してもらいたくて、フラッシュバックする・・ということがあります。

じゃあ、誰に癒してもらいたいかというと、一番は自分自身に・・なのかも知れません

嫌なことを思い出した時に、「考えないようにしよう」「忘れよう」と思うのは、その傷を無視していることになります。

その感情そのものを受け入れていないので、傷は癒されていなくて、だからこそ、その傷は自分に癒してもらいたいから、何度もフラッシュバックするようにやってくる・・のかも。

そんな時は、「辛かったね」「本当に嫌な思いをしたね」と、自分の感情をどうにかしようとせず、ただ、その気持ちに寄り添ってみると、その「辛かった気持ち」が何故か、す~っと薄れてゆくことがあります。

辛い、悲しい・・というネガティブな感情に寄り添うということは、勇気のいることだと、思います。

ただ、そうやって、辛い記憶が蘇ってくる度に、その気持ちを何とかしようとせず、そのまま受け入れて、寄り添う・・ということを続けてゆくと、不信感のようなもの、その特定の人達への不信感のようなものも少しづつ、薄れてゆく・・そんなこともあります。

長文になりましたが、最後まで記事にお付き合いいただいて、ありがとうございました。