自分だけ浮いている、馴染めないと悩んだら。職場など集団の中での自分
例えば、一対一の人間関係ではそんなことは思わないのに・・
大勢の中に入ると、職場や大学であったり、サークル、グループ、または地域や親戚の集まりなどなど・・・多くの人の中だと、自分が浮いてるような、その場に馴染めない気がする。
そんなこともあるかも知れません。
今回は、そんなことについて、浮いていると感じてしまう原因や周りに合わせようとして違和感を感じてしまうこと、また、自分らしさというものについても少し、考えてみたいと思います。
目次
集団の中での人間関係は期限があるもの
以前、自分の居場所がないと思った時に考える3つのことという記事を書かせていただきました。
その中でも書かせていただきましたが、人には波長というものがあって、その波長が周りと違っている時に、人は違和感を感じたり、自分だけが浮いているように感じてしまうのかも知れません。
ただ、この自分の波長というのは、実はずっと同じではなくて、その時々で少しづつ、変化してゆくもののようです。
だから今、何か違う、馴染めない、浮いていると思ったとしても、それがずっと続くかというと、それではないかも知れません。
今、この時だけ、馴染めていないだけかも、知れないわけです。
また、集団の中での関係というものは、例えば、職場であったり、学校、サークルというものは、ずっと続くものではなくて、期限があって、しかも、変化してゆく関係であることが殆どだと思います。
学校であれば、学年が変われば関係も変わりますし、サークルでも、誰かが抜けて、誰かが入ってくることもあります。
職場も退職してゆく人もいれば、新卒や中途採用で入社してくる人もいます。
自分の役職や所属する部署も変わってゆくかも知れません。社内で求められる自分の立場や仕事もずっと一緒ということは稀で、多くの場合は、少しづつ変化してゆくわけです。
集団の中での人間関係というものは、こんな風にして、流動的なものであることが多いので、波長という意味でも、その場に流れている波長もどんどん変わってゆきます。
だから、今、馴染めないと感じてしまってもそれがずっと続くかというと、そうではないことの方が多いのではないかなと、思います。
自分に合う場所はある
これも以前の記事の中でも書かせていただいたのですが、僕は人には、自分に合った場所というものが必ずあると思っています。
ただ、その反対で、自分には合わない場所というものもあると思っています。
自分に合わない場所がある。
それは自分にはもっと合う場所があるということでもあるのかも知れません。(勿論、それが先ほどお話した波長の問題であることもあると思います)
だから、何だか自分がその場に馴染めなくても、それは自分のせいではないかも知れません。
勿論、自分にもできることはあると思います。(それについては後述します)
だけどもし、自分にできることをやってみても、それでも、馴染めなかったら、浮いていると感じたら、それはただ、その場所が自分には合わなかっただけなのかも知れません。
このお話は自分の居場所がないと思った時に考える3つのことで書かせていただいているので、この辺にしたいと思いますが、ただ、自分に合う場所は必ずあると思います。
自分にできることは何か?
自分だけ浮いていると感じた時、馴染めないと感じた時、自分には何ができるでしょうか?
人間関係というものは面白いもので、相手に対して、投げかけたものが返ってくるという不思議なルールのようなものがあるようです。
例えば、相手に微笑みかけると、相手もにこっとしてくれることってあると思うんです。
だけど、相手を睨みつければ、相手もこちらを睨んでくるかも、知れません。
相手のことをもっと知りたいと、相手に興味を持つと、今度は不思議と相手が自分に興味を持ってくれたりします。
相手のことを「大丈夫?仕事大変だったね。」とねぎらえば、今度は相手が自分のことをねぎらってくれるかも知れません。
こんな風にして、人間関係はどうも、投げかけたものが自分に返ってくるようにできているようです。
これは心理学の世界では、「返報性の原理」などと呼ばれるものですが、人はもらったものを返したくなるという心理がどうもあるようです。
だから、投げかけたものが返ってくるのかも、知れません。
さて、前置きが長くなりましたが、自分だけ浮いてる、馴染めないと思った時に自分にできることは、何かを投げかけてみるということなのかも知れません。
浮いていると感じてしまうことについてはこの後で詳しく書きたいと思いますが、自分の中にある何かをわかってもらえないと感じる時に、寂しさを感じて、その寂しさが自分を浮いていると、馴染めないと感じさせることがあります。
こんな時は、何かを投げかけてみる、例えば、相手を自分からわかろうとしてみることで、何かが返ってくることもあります。
わかろうとしてみることで、わかってもらえることもあって、それが浮いているという気持ちをどこかに吹き飛ばしてくれる・・そんなこともあるかも知れません。
また、同じように、自分から心を開くと、相手も心を開いてくれるもので、ちょっと勇気を出して心を開いてみることも、自分にできることの一つなのかも知れません。
また、例えば職場では、自分だけで悩むのではなくて、上司など、信頼できる人(しかるべき人)に相談してみることも大切なことだと思います。
特に入社したばかりであれば、新入社員の方であったり、中途採用の方もそうですが、その場に馴染むというのは大変なことだと思います。
ただでさえ、新しい仕事を覚えないといけないわけです。
色々な負担や負荷がかかってくる中での人間関係ですから、いつもの自分らしさというものはなかなか・・・そんな時には出てこないもので、だから、そんな時は、上手に自分を許したり、または、上司などしかるべき人に相談してみることは大切なことではないかなと、思います。
さて、ここからは少し話を変えたいと思います。
自分にできることをやっても、どうしても浮いてしまう。どうしても馴染めない。
どこか特定の場ではなくて、(一対一なら大丈夫なのに)相手が複数になったり、集団の中、グループの中に入ると、途端に浮いていると感じてしまう・・・
ということについて、考えてみたいと思います。
浮いているとは、どういうことか?
浮いているとは、どういうことか?
・・・ということですが、浮いているとは、色々な定義があると思いますが、自分の中にあるモノ(感性や感覚、価値観...etc.)を周りの多くの人達と共有できない時に感じるものではないかなと、思います。
それは言い換えると、自分の中に、多くの人が持っていないものがあるということなのかなと、思います。
多くの人が持っていない感性であったり、価値観、人にはない才能であったり、または、人にはない、何か信念のようなものであったり。
だけど、それを共有できないからと、自分を曲げてまで、周りに合わせようとすると、浮いてしまうことは解決できても、それは本当の自分ではないわけなので、かえってその合わせようとする行為が自分を孤独にさせてしまうこともあるかも知れません。
「思い」であれば、共有できる
先ほど、浮いているとは、自分の中にあるモノ(感性や感覚、価値観...etc.)を周りの多くの人達と共有できない時に感じるもの・・と書かせていただきました。
そういった多くの人が持っていない何かを持っていることを悪いことだと思えば、それが悩みになり、それが自己否定につながってしまうかも知れません。
もっとも、そんな他の多数の人にはない何かがあるからこそ、馴染めなかったり、浮いているのではないかと、思ってしまうこともあるわけで、もしそうだとしたら、それは辛いことであることに違いはないと思うのです。
だけど、他の多くの人にはない自分の感性や感覚、信念ですとか・・・そういうものが自分にあることは、悪いことばかりじゃないと思ってみると、そういう自分にしかできないこともあるのではないかと、思えてくるかも知れません。
何か特別な感覚、または例えば、才能であったり、そんなものを持っている人、突出しているものを持っている人は、案外、一匹狼の人も多かったりします。
そんな人は、周りから見れば、何だか孤独に見えるかも知れません。
だけど、そうとは限らないと思うのです。
多くの人にはない感覚であったり、感性であったり、そういうものを生かして、例えば、何かの作品を作っている方もいます。
自分の中にある感覚や感性そのものは共有できなくても、その感覚や感性を生かして、それを何か別の形にしてみることで、その出来上がったものが誰かの心に伝わることもあります。
そして、その時に、何かの「思い」を共有できて、それが自分と人との「つながり」を感じさせてくれたりすることもあるかも知れません。
感覚ですとか、感性ですとか、そういったものの中には、人とは共有できないものも多いかも知れません。
ただ、「思い」であれば、共有できるものも多いのかも知れません。
例えば、温かい思いとか、そういうものは、多くの人が持っているもので、だから、共有できるのだと思います。
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