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共感力を高める方法とは?人に共感する方法は2つある

共感力とは、その言葉の通り、共感する力という意味ですが、この共感力というのは、人間関係をスムーズにする意味でも大切になってくることがあります。

心理の専門家はこの共感力が高い傾向にあり、反対に、共感力がない、または低いと、人間関係で悩んでしまうこともあるかも、知れません。

また、多くの人、または多くの友人達に囲まれている人達に共通することの1つもこの、共感する力のようです。

共感力が高くなると、色々な変化が起こってくることがあります。例えば、苦手な人が減ったり、嫌いだと思う人が減ったり・・ということが起こったりすることがあります。

今回は、そんな共感力について、また、共感する力を高める方法について、書いてみたいと思います。

2つある共感の方法

共感とは辞書で調べると、「他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち」とあります。

つまり、「自分も同じ意見です、自分もそう思います」そう思うことが共感するということになります。

これが1つ目の共感する方法です。

ただ、このやり方だと、自分もそう思えない限り、共感できません。

自分もそう思う。自分も同じ意見ですというやり方だけでは、共感できることは限られていて、だから、共感力を高めるという意味では、このやり方では不十分なのかも知れません。

自分は違う意見だけど、それでも、共感することができるのが、共感力の高い人、なのだと思います。

じゃあ、どうしたらいいのか?

・・ということですが(これは2つ目の共感する方法になりますが)、共感力を高めるには、自分の価値観や考え方で相手を判断するのではなく、相手の立場や考え方、価値観になってみて、1)相手ならそう思うだろうなと思ってみること、2)相手の気持ちにただ寄り添おうとすることが大切なことなのかも知れません。

1)相手ならそう思うのだろうなと思ってみる

例えば、夫や妻の話を否定することなく、共感してあげたい。そう思ったとします。

こんな時、男女の違いが邪魔をすることがあります。

男性と女性では全く違う考え方をすることが多く、例えば、何か問題が起きても、解決方法を探すことで気持ちを楽にしようとする男性と、その問題について話すことで気持ちを落ち着かせようとする女性・・・そんな違いがあったりします。

男女の違いがあるのに、夫や妻、または、彼氏彼女に共感するには、「自分も同じ意見です、自分もそう思います」というやり方ではなかなか、共感はできないと思うのです。

ただ、こんな時、自分の価値観や考え方で相手を判断するのではなく、相手の立場や考え方、価値観になってみて、「相手ならそう思うのだろうな」と思ってみる方法であれば、共感してあげることができるかも、知れません。

「夫はこういう考え方をする人だから、きっとそんな風に思ったのだろうな」

例えば、そう思えたら、それは共感していることになると思うのです。

この方法なら、例え、自分はそうは思わなかったとしても、共感してあげることができます。

2)相手の気持ちにただ寄り添おうとしてみる

例えば、リストラされてしまって、「すごく悔しい」と友人が話してくれたとします。

こんな時、「自分も同じ意見です、自分もそう思います」という共感の仕方では、相手にどのような声を掛けたらいいのかわかりません。

というのも、「すごく悔しいよね。わかるよ」と伝えるためには、自分も実際にそれと同じ体験をしていなければならないから・・です。

自分は体験していないことであれば、相手の「悔しい」という思いを本当の意味でわかってあげることはできないかも、知れません。

こんな時、相手の気持ちにただ寄り添おうとしてみるということや、または、相手の気持ちや状態をわかろうとすることそのものが、共感することにつながってゆくことがあります。

リストラされて「悔しい」と話す友人に「わかるよ。その気持ち」ではなく・・「そっか、悔しかったんだね」とただ、友人の気持ちに寄り添うこと、それが共感するということにつながると思うのです。

相手にとってみれば、「わかるよ。その気持ち」と言われるよりも、「悔しかったんだね」と言ってもらった方が、「受け入れてもらえた」「わかってもらえた」、つまり、共感してもらえたと感じるかも、知れません。

そういう意味では、共感するとは、寄り添うということでもあるのかも知れません。

共感力が高い人というのは、そんな風にして、相手から「この人ならわかってくれる」と思ってもらえる人なのかも知れません。

また、ここまで書かせていただいたように、相手の気持ちを本当の意味で理解できなくても、その気持ちを理解しようとする姿勢や態度こそが、共感するということにつながってゆくものだと思います。

一番共感してもらえる人は、一番共感しようとしてきた人

2つ目の共感の仕方で共感しようとすることを続けてゆくと、相手を「判断」するということが減ってゆくと思います。

相手を判断するというのは、自分の価値観や考え方で判断しているわけですが、相手の価値観や考え方になろうとした時、変な言い方ですが、相手を「こうだ」「ああだ」と判断できなくなります。

相手の価値観で考えようとするわけで、相手ならそう思うのだろうなと思うわけなので、そう考えると、良いとか悪いという風に「判断」したり、強い言い方だと「裁いたり」することが減ってゆくと言いましょうか。

そんなことを続けてゆくと、例えば、冒頭でも書かせていただきましたが、苦手な人が減っていったり、または、嫌いな人が減っていったりすることがあるかも知れません。

勿論、苦手な人も嫌いな人もいていいと思うのです。

ただ、そういった人達があまりにも多くなってしまうと、自分にとって生きづらい世の中になってしまうことがあるかも知れません。

そんな時には、共感力を高めることで自分が楽になれるかも、知れません。

また、共感力が高い人は好かれる人でもあると思います。

人は、「わかってもらいたい」と思っているものですが、ただ、「わかってあげよう」と思ってくれる人はとても少ないです。

だから、自分のことを「わかってくれる人」「わかろうとしてくれる人」は多くの人にとって、とても貴重な存在で、そういう人は、好かれる人でもあると思います。

また、人に共感しようとする人は、人から共感してもらえる人でもあるのかなと思います。

人には、してもらったことを返そうとする心理がどうもあるようです。

だから、共感してもらえると、共感したくなる。一番、共感してもらえる人は、一番共感しようとしてきた人・・なのかも知れません。

共感することに疲れる。共感することで依存されてしまう?

共感すること、共感力を高めることはいいことばかり・・・なのですが、時に、共感することに疲れてしまったり、または、共感しようとしたつもりが、依存されてしまうこともあります。

共感することに疲れてしまう原因は色々あると思います。

無理をしてまで共感しようとしていれば、どうしてもいずれは疲れてきます。

何故、無理をしてまで共感するのか・・という理由も人それぞれだと思いますが、その中の1つは、いい人でいなければならないという自分の中にある種の「思い込み」が存在するから・・かも知れません。

いい人でいようとしてしまって、それが原因で心の調子を崩してしまう方の多くには共通することがあると指摘する専門家もいます。

それは何かと言うと、子供の頃の「母親との関係」だそうです。

そういう方々の多く(殆ど)は、子供の頃に自分の母親が不幸に見えていて、そして、それが自分のせいではないかと思っていたそうです。

これについてはまた、別の機会に書いてみたいと思いますが、ただ、そんな理由から、または他の自分の中にある、ある種の思い込みから、いい人でいようとしてしまって、そのために、無理をしてまで共感しようとしてしまう、そして、気づくと疲れている自分に気づく・・・そんなこともあるかも知れません。

そんな時は、無理はしなくていいと思うのです。

自分が共感したいと思った人にだけ、共感することが大事なことなのかなと、思います。

共感したいと思う人というのは、もし、何も見返りがなくても、何も返ってこなかったとしても、それでも共感してあげたいと思った人です。

勿論、仕事などプロとして働く場ではまた話は変わってくるかと思いますが、プライベートではそうやって、共感したいと思った人にだけ、共感するようにしてみます。

また、まだ本当の意味でよく知らない相手やに対して必要以上に共感する必要はないかも、知れません。

人は「わかってほしい」と思っているものですが、「わかってほしい」と思っている人達の中にも2つのタイプの人がいます。

1つは、自分の足で立ち上がる気がある人。もう1つは、自分の足では立てないと思っている人です。

前者の方はわかってもらえるとそれを力に変えて、立ち上がろうとする人。

後者の中にはわかってもらえたと思うと、今度は支えてもらおうとする人もいて、そういった人に共感しようとすると、依存されてしまうこともあります。

どちらのケースにしても、無理はしない、共感したいと思えた相手にだけ、共感しようとしてみるということが大切なことだと思います。

そういう意味では、本当の共感力には厳しさのようなものも必要なのかも知れません。