人と比べる癖。人と比べてしまう原因と直し方とは?
前回、自信がない、自信が持てない自分を変える方法とは?の最後でどうしても人と比べて自信を失ってしまう理由について書かせていただきました。
今回はその続き、人と比べてしまう自分を変えるために必要なことは何か?ということについて書いてみたいと思います。
また、少し前になりますが、人と比べてしまう、劣等感を捨てるには?という記事を書かせていただいたことがありましたが、その中で以前の僕(筆者)自身が人と自分をよく比べていたことを書かせていただきました。
以前の僕はどこかで、自分と他人との比較の中に、自分の何か、自分のアイデンティティ(自分らしさ)のようなもの、大袈裟に言うと、自分の存在意義のようなもの、自分の存在価値のようなものを見出そうとしていたのかも知れません。
今回は、その続きについても書いてみたいと思います。
人と比べてしまうことは悪いことばかりじゃない
人と比べることをやめるためにどうしたらいいか?ということをお話する前に、矛盾するかも知れませんが、人と比べてしまうことは悪いことばかりではないのかも知れません。
2012年、ロンドンオリンピック、ボクシングミドル級の金メダリストでプロ転向後にWBA世界ミドル級王者になった、村田諒太さんは、心の奥から払いきれないトラウマがあり、「いつも人と自分を比べている。そういう性格が嫌いなんです」(出典:101%のプライド p.70 村田諒太著)と語っています。
その話をカウンセラーにしたところ、「何かにつけ人と比べる性格だから、頑張ろうと思う。弱気かもしれないけれど、その分、あなたは練習をしたんでしょう?そういう性格だから頑張れたのですよ」(出典:101%のプライド p.70 村田諒太著)そう言われたそうです。
村田さんはその言葉に励まされ、自分の性格としばらくはポジティブに付き合ってゆこうと思えたそうです。
人と比べてしまうからこそ、頑張れることもあるのかも知れませんし、そう思うと、人と比べてしまうことは悪いことばかりではないと思うのです。
それに、人と比べてしまうのは、まだ、自分にできることがあるから、また、自分に可能性があるから、なのかも知れません。
だから、人と比べてしまう自分の性格を生かしてゆく道もあるのかも知れません。
そういう、自分の欠点だと思っていたことを自分のために、長所に変えてゆく方法もあるように思います。
少なくとも、悪いものだから排除しようと思って変えようとするより、そんなところがあってもいいと一度受け入れた上で、そこから、それまでとは別の自分を目指していったほうがうまくいくことが多いようです。
自分を変えるという意味では。
人と比べてしまう原因について。自分自身への評価の仕方を変えてゆく
人と比べてしまうというのは、先ほどの村田さんのお話のように何かトラウマのようなことが原因になっていることもあるし、また、他の何かが原因になっていることもあるかも知れません。
人と比べてしまう原因というのは、そういう意味では1つだけではなくて、色々な原因があるのかも知れません。
ただ、今ここでその原因を1つ挙げるとすると、自分が自分自身をどのように評価しているか?・・ということが、その必要はない、「人と比べる必要なんてないんだ」と思いながら、それでも、どうしても人と自分を比べてしまう原因になっていることがあります。
これはどういうことかというと、自分自身に対して、例えば、成績や実績、持っているものであったり、または、肩書きや役職、収入であったり、そういった「目に見えるもの」や「結果」で自分を評価しようとしていたり、または、そういったもので自分の価値そのものを評価しようとしていたとします。
そういった「目に見えるもの」や「結果」の中に自分の価値のようなものを見出そうとしたり、そういった結果を出すことでしか、自分を評価しない・・ということを続けていると、人と自分を比べたくなってゆくかも、知れません。
目に見えるものや結果ですが、例えば、友達の数もそうかも知れません。
例えば、友達の数で自分を何かしら判断、評価しようとしていたとします。
友達の数が多ければよし。友達が少ない自分はダメ。
・・という風に。
ただ、一つ問題があって、友達の数は何人だったら「多い」のか、何人なら「少ない」のか・・ということが曖昧です。
そこで、何か基準が必要になってきます。
言い方を変えると、誰か自分よりも友達の数が少ない人を見つける必要が出てきます。
自分は友達が多いのだと自分を納得させるため、そして、そう思うことで自分を「よし」と評価(判断)するためにです。
それで、知らず知らずの間にやってしまうのが、他人の友達の数と自分の友達の数を比べる・・・ということかも、知れません。
「多い」「少ない」というのは、何か比べるものがあってはじめて生まれてくるモノで、だから、この場合のように、何かが「多い」「少ない」ということで自分を判断しようとしていると、何かや誰かと比べなければならなくなるかも、知れません。
今度は、違う例です。
例えば、自分の収入で自分を評価、判断しようとしていたとします。
そのやり方にも、先ほどの友達の数で自分を判断しようとするやり方と一緒で、問題があります。
収入の多さで自分を評価しようと思った時、どの位の額が多いのか、どの位の額だと少ないのかということは曖昧です。
そこで、また、何か基準が必要になってきます。自分の収入は多いのだと判断することで、自分で自分を認めるために、です。
この場合、人の収入は、飛び抜けているもの以外は、すべて、基準になってしまうかも、知れません。
例えば、自分は20万円もらっていたとします。このままではこれが多いか、少ないのか、判断できません(このままでは自分を「よし」とは判断できません)
そこで、過去の自分の収入を思い出してみます。そうだ、大卒の時は18万円だったな、と。
すると、その18万円が基準になります。
そして、今の収入はそれより上なのですから、自分を「よし」と評価、判断できます。
そう判断できた時、自分がこれまで頑張ってきたことを思い出して、「よくやってきたよな」と、そう思えるかも知れません。
ところが、同い年の友人Aの収入が25万円だと知ったとします。
すると、今度はその25万円が基準になってしまって、自分を「よし」と評価できなくなってしまう。
自分がこれまで頑張ってきたことに変わりはないのに、「よくやってきた」とは、もう思えなくなってしまったりします。
家の大きさ、車の値段、肩書、学歴・・などにも同じようなことが言えるかも知れませんが、目に見えるものや結果で自分を判断、評価しようとしていると・・自分で自分のことを「よし」と評価、判断するための基準を見つけなくてはいけなくて(人と比べなくてはならなくて)、そして、その基準よりも自分が上回っている必要があります。
自分で自分のことを「よし」と評価、判断するために、です。
ただ、このやり方だと、きりがないことになります。
自分が上だと思えて、その時は自分を「よし」と評価、判断できても、自分よりも上の人が出てきたら、もう自分を「よし」とは評価できなくなります。
このやり方は、自分がやってきたこと、過程というものを無視しています。自分がどんな思いでやってきたかを無視しているわけです。
こんな風にして、目に見えるものや結果で自分自身を判断しようとしていると、いつか負けるのではないか、自分よりも上の人がいるのではないかと、常に考えなくてはならなくなります。
それもすべて、自分で自分のことを「よし」と思えるために、です。
そういった、自分の自分自身への評価の仕方というのは、もしかしたら、知らぬ間に手に入れたものかも、知れません。
育ってきた環境の中で、結果を出した時にだけ、評価されることが続くと、結果を出すことがイコール、自分が認められること・・になってしまうこともあります。
そうなると、結果や目に見えるものを手にしない限り、認めてもらえないと思うようになってゆき、また、そういったものを手に入れない限りは、自分で自分のことを「よし」と認めることもできなくなってゆく・・・そんなこともあるかも知れません。
そこから抜け出すには、自分自身への評価の仕方を変える・・ということが必要なのだと思います。
目に見えないもので自分を判断してゆく
自分自身への評価の仕方を変えるということですが、では、結果や目に見える何かではなくて、どんなことに目を向けたらいいのでしょうか?
それは、恐らく、結果のような目に見えるものではなくて、もっと、目に見えないもの、例えば、自分の在り方のようなものでもいいのかも知れません。
「自分が何をしたか」・・という結果より、「自分がどんな思いでそれをしたのか」・・という自分の在り方、どんな自分でいようとしたかという、言ってみれば、結果の一歩手前の過程の部分と言ってもいいでしょうか、そういったものを大切にしてみます。
そのためには、どんな自分でいたら、自分のことを自分で「よし」と言えるだろうか、どんな自分でいようとしたなら、自分で自分のことを「それでいい」と思えるか・・・ということをまず、考えてみます。
そして、その自分自身で自分を認めて(評価して)あげることができる、「自分の在り方」というものを自分の軸(基準)にして、自分で「よし」と思える自分を目指してゆきます。
そのやり方なら、そういう自分自身への評価の仕方だと、人と比べる必要がなくなってゆきます。
先ほどの目に見えるものや、結果で自分を評価するやり方だと、人と比べたくはなくても、どうしても人と比べなくてはならなくなります。
一方で、目に見えないもの、自分で決めた自分を「よし」と言える在り方を軸(基準)に自分を判断するやり方では、自分のその基準以外、比べようがありません。
そして、そういうやり方で自分自身を「よし」と思えたり、この自分でいいと認めることができるようになると、人のことがそれほど気にならなくなってゆきます。
別に自分を最高だと評価する必要はないと思うのです。ただ、「こんな自分ならいいかな」と思える自分を目指してゆく。
結果で自分を評価しようとしていると、結果を出し続けなければならなくなり、結果が出なかった時に、自信を失ったり、自分を見失ったりすることがあります。
一方、自分の在り方を大切にしてゆくやり方で得た自信であったり、自己肯定感というものは、簡単には失ったりしない、そんな自信であったり、自分に対する肯定感になります。
もっとも、結果が大事ではない・・ということではないと思います。
結果は大事だと思います。
仕事であれば、結果を出さなければならないこともあると思いますし、目に見える何かを目指してゆくことが必要なこともあると思います。
ただ、「結果=自分」というやり方を離れてみると言いますか、結果と過程をわけて考えてみると言うか、「過程=自分」というようなやり方と言えばいいでしょうか。
繰り返すようですが、結果は結果で勿論大事なのですが、それそのものは直接自分ではコントロールできないことが多いものだと思います。
一方で過程であれば、自分である程度コントロールできます。そして、過程は結果につながることも多いものだと思います。
そういう意味では、「過程」で自分を判断してゆくというやり方は、「結果」にもつながってゆくこともあるのかも知れません。
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