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自信がない、自信が持てない自分を変える方法とは?

自分に自信がない。
自分に自信が持てない。

そんなこともあるかも知れません。

でも、どうやったら、自分に自信を持つことができるでしょう。自信とは、どこからやってくるものでしょう。

今回はそんなことについて見てゆきたいと思います。

自信とは「自分はできる」と思うこと・・ではない?

心理学の世界では(専門家の中には)、自分の親、特に母親に認めてもらえなかった人は、大人になってからも、自分に自信が持てないことがある・・・そんな風に指摘する人もいます。

ある調査では、自分に自信がないと思う人のおよそ半分は、「幼少期の環境が関係していると思う」と回答しています。

自信がないということと育った環境は全てではなくても、少なからず関係しているのかも知れません。

じゃあ、もう自信が持てないのか?といったら、そんなことは決してなくて、自信とは後天的なもので、大人になってからは育んでゆくものでもあると、思います。

さて、自信とはどんなものでしょうか?

自信とは、自分は○○ができると思うことや、または自分は人と比べて優れていると思うこと、ではなくて、「自分は自分のままでいいと思える心」なのかなと、思います。

教師として30年以上に渡って子供達の問題を解決してきた平光雄先生という方がいらっしゃいます。

平先生は著書の中で、自信とは、「自尊」の念にとても近いものと語っていらっしゃいます。

少し古い記事になりますが、以前、自分に自信がない時の2つの自信のつけ方という記事を書かせていただいたことがありました。

その中で書いたことなのですが、この「自尊の念」とは、自分が自分に対して「こういう自分でいいと思う心」のことです。

それは言い換えると、自分が自分に対して、「こんな自分でいようとすること」をよしとすることなのかなと思います。

何かに成功することで得る自信もあると思います。

そのやり方で得る自信は結果が伴っている必要があります。

何度も失敗を重ねて、その中で結果を出すことで得るのも、1つの自信の形だと思います。

ただ、このやり方では、自分に自信がない、自信を持ちたいと思った時、何かしらの結果を出してゆく必要があります。

そして、それはそれで大切な時もあると思います。

一方で、「自尊」の念に似た自信とは、「結果が伴わないことがあっても仕方がないという潔さがセットである」と平先生はおっしゃいます。

それは、結果よりも過程を大事にする気持ち、もっというと、こんな自分であろうとする思いそのものを大切にする気持ち、というか。

自信は、例えば、誰かから否定されたり、結果を出せなかったり、失敗したりすることで失うものでもあるかも知れません。

でも、「自尊の念に似た自信」は、こんな自分であろうとすること、そして、そう思って実践しようとする自分でいいと、そう思う心なので・・

結果は必ずしも伴っている必要はないし、もっと大切なことは、他人は関係ないので、例えば、人に否定されてしまっても、人に評価されなかったとしても、この「自尊の念に似た自信」は失うことがありません。

こういう自分ならまぁいいかなと思える・・その心がこの場合の自信そのものなので。

自信は何か結果を出したり、または、人に認めてもらったり、褒めてもらったり、評価してもらっても、手に入るものだと思います。

でもその自信は案外簡単に崩れやすいものかも知れません。

一方で、自尊の念に似た自信は、自分の中で完結するもので、自分の中で完結するものだからこそ、簡単には失わないものなのだと思います。

ここからは、そういう自信を持つためにできることは何か?ということを見てゆきたいと思います。

結果より過程を大事にして得る自信は失いにくい

先程も少し書きましたが、結果を出して得る自信や誰かに評価してもらって得る自信というものもあると思います。

ただ、そのやり方で得る自信は失いやすかったりします。

何故かと言うと、自分ではコントロールできない要素が多く含まれているからです。

結果は、自分以外の何かに左右されることがあります。自分ではやれるだけのことをやっても結果にならないこともあります。

人の評価も同じく、自分ではコントロールできないことが多いもので、何をやっても、自分のことを良いと言ってくれる人もいれば、何をやっても、それではダメだと言ってくる人もいます。

結果も人の評価も自分ではコントロールできない、コントロールすることが難しいものだと思います。

そんな自分ではコントロールできない領域にあるものを自信を得るために求めようとすると、たとえ、そのやり方で自信を持てたとしても、それは失いやすい、揺るぎやすい自信になってしまうかも、知れません。

一方で、自分でコントロールできる領域にあるものを大事にしてゆくと、そこで得た自信は揺るぎない自信になることがあります。

例えば、結果が自分ではコントロールできない領域にあるとしたら、そこまでの過程の部分の多くは、自分でコントロールできる領域にあるものだと思います。

自信とは「自分を信じる」と書きますが、結果を出すことで、または人に評価されることで、自分を信じられるようになることもあると思います。

次に同じ場面に出くわした時、以前に結果を出した、評価されたという、信じられるものがあるからです。

ところが、次の場面で結果が出なかったり、評価されなかったりすると、途端に自分が信じられなくなってしまうかも知れません。

一方で、結果そのものではなくて、そこに至るまでの自分の在り方や、自分でこうありたいと思ったことを実践しようとするその姿勢など・・・

そういった結果の一歩手前にある過程を大事にして、それを実践した自分をよしとすることで得る自信というのは失いにくい自信になるように思います。

いつも迷わず、自信に満ちた自分ではなくてもいい

さて、話は少し変わりますが、僕は、いつも自信に満ちた自分ではなくてもいいと思ってます。

時には、迷ってもいいし、時には、自信がない自分がいてもいいと、そう思ってます。

先程ご紹介した平先生は、著書の中で「法隆寺の五重塔が何故1400年以上も倒れなかったかわかりますか?」と読者に問いかけていらっしゃいました。

何故、そんなに長い間倒れることがなかったのか?

それは、「揺れやすいから」だと。

先生は、人も一緒なんだと。まったく悩まない人、安定している人はいなくて、信念を曲げない人は案外もろいものだと、おっしゃいます。

それよりも、悩んだり、迷ったりして、揺れながらでも前に進んでいる人の方が案外強いものだ、と。

法隆寺の五重塔ではありませんが、迷ったり、悩んだり、時には自信がなかったりする自分がいてもいいんだと思います。

自分の考えであったり、自分がやっていることに自信がないことがあってもいいと思います。

それよりも大事なことは、平先生がおっしゃるように、迷いながらでも、揺れながらでも、前に進むことなんだと思います。

(自分に自信がないと思っても)すぐに自信が持てなくてもいいと思います。

揺れながらでも、迷いながらでも、その時々の自分を大事にして、自分の在り方を大事にしてゆくことで、自信というものは、少しづつ、ついてゆくものではないかなと、思います。

そして、それは大きな自信ではなくてもいいと思うのです。

小さな自信でいい。

そう思います。

自信と考え方の「習慣」

人には色々な、心や又は考え方の癖、習慣があるようです。

例えば、自分に足りないところを見る習慣のある人もいます。
一方で、自分にあるものを見る習慣のある人もいます。

どちらの人も、何かを持っていて、何かがないわけです。

全部持っている人はいませんから、何かを持っているということは、何かを失っていたり、または何かを背負っていたり、いずれにしても、何かを持っているだけ・・・ということはないわけです。

話がちょっとそれましたが・・

ただ、人にはそんな習慣や癖があるようです。

自分に足りないところを見る習慣のある人。
自分にあるものを見る習慣のある人。

どちらが自信を持っていて、どちらが自信を持てないでいる人でしょう?

答えは簡単だと思うのです。

自分にあるものを見る習慣のある人は、きっと、自信が全くない・・・ということはないのではないかなと、思います。

これはつまり、自信がないのはある意味、習慣の問題・・・ということだと思います。

もし自分に、先程の前者の人のような「自分に足りないところを見る習慣」があったなら、または、何か自分から自信を奪ってゆく心の習慣があったなら・・それをちょっとだけでも変えてみることで、自信というものは戻ってくるかも知れません。

ただ、ちょっとだけ変えてみるといっても、「自分に足りないところを見る習慣」がある人は、やめようと思っても、どうしても自分に足りないところを見てしまうと思うのです。

そんな時は、自分に足りないところを見たら、「自分にあるものを2つ探す」というルールを作って、それを実践してみるのもよい方法だと思います。

そして、それを毎回実践してみます。

「あぁ、自分には○○がないな・・」

と思ってしまったら、「あ、そうだ、あるものを2つ探すんだった・・。自分にはこれとこれがあるかな・・」

・・・という風に、実践してゆきます。

ないものを見た時、気持ちは下がりますが、あるものを見た時、気持ちは明るくなります。

こんな風にして、今の自分のまま、自信をつけてゆく方法もあります。

どうしても人と比べて自信を失う時は?

話はまた少し変わりますが、どうしても人と比べてしまって、それで自信を失ってしまう・・そんなこともあるかも知れません。

これもある種の習慣だと思います。

人と比べてしまうことについて、また、どうやったら、人と比べることをやめられるか・・ということを書くと、長くなってしまうので・・これについては、また次回、機会がある時に記事を書きたいと思います。

ただ、今、ほんの少しだけ書かせていただくと、目に見えるもので自分を評価している限り人と比べたくなると思います。

目に見えるものとは、結果や成績、持ち物とか、肩書とか・・または、何かの数、例えば、友達の数なんかもそうかも知れませんし・・

そんな目に見えるもので自分自身を評価しようとしたり、自分の価値を決めていたりすると・・人と比べたくなるかも知れません。

一方で、目に見えないもの・・

例えば、冒頭でご紹介したような「自分はこうありたい」という気持ちですとか、または、自分が信じるもの(信念とか人としての理想とか)、そういった見えないものを大事にして、それに対して、自分はどこにいるか・・・ということで自分自身を評価というか、認めてゆくというか、そんなやり方をしてみると、人と比べる必要がなくなってゆくことがあります。

これはまた別のお話になってくるので、これについてはまた別の機会に詳しく書いてみたいと思います。

人と比べる癖。人と比べてしまう原因と直し方とは?

長文になりましたが、最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。
感謝。