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考えすぎる性格を直したいと思った時にできる4つのこと

何かあるとすぐに考え過ぎてしまう。

例えば、人間関係でも、あんなことを言わなければよかったかなとか、もっとこうすればよかったかな、と考えすぎてしまったり。

何かをやるにしても、考えすぎてしまって、動き出す前に何だか疲れてしまったり。

そんなこともあるかも知れません。

そんな時、自分のそんな考えすぎてしまう性格を少し直したいと思った時は、どうすればいいでしょう?

今回は、そんな時にできる4つのことについて、ご紹介したいと思います。

「考えすぎることは悪いことじゃない」からはじめる

考えすぎる性格を直したいと思った時にできること・・のお話の前に、こんなことを言うのも矛盾しているかも知れませんが、ただ、考えすぎることは決して悪いこととは限らないと思うのです。

人に「考えすぎだよ」と言われる程、よく考えることが必要な場面は案外多くあるように思います。

仕事でもプライベートでも。

物後をよく考えようとする人にしかできないことが沢山あると思うのです。

考えすぎるということは決して悪いことではなくて、それはむしろ、その人の良いところではないでしょうか。

ただ、自分が苦しくなってしまうところまで考えすぎてしまうところがもしあれば、それは、その苦しさにつながっている過剰な部分については、少し捨てることができたらいいのかも知れません。

つまり、考えすぎること、そのものをやめるのではなくて、一定のラインを越えて考えすぎないようなれたらいいのかも、知れません。

その一定のラインとは、自分が苦しくない範囲と自分が苦しくなってしまう範囲の境目にあるラインになります。

ここからは、そのラインを超えないために、どんなことを習慣にすればいいか?ということについてご紹介してゆきたいと思います。

また、ここからは、考えすぎる=自分が苦しくない範囲を超えて考えすぎる・・という意味だと思っていただければ幸いです。

性格とは習慣が束になったもの

さて、前置きが長くなりましたが、考えすぎる「性格」を直す・・なんていうと、とても難しいことのように感じてしまうかも知れません。

実際に性格をガラリと変えることは簡単なことではないと思います。

ただ、「性格は習慣が束になったもの」・・心理学の世界ではそんな風に言われることがあります。

性格そのものを直すなんて言うと難しく思えてきますが、習慣であれば、それを全部、または一気に変えることはできなくても、1つ1つなら、変えることができるかも知れません。

全部変える必要なんてないと思うのです。

ただ、今回の場合は「(自分が苦しくなる範囲まで)考えすぎてしまうことにつながっている習慣」を少しづつでも変えていけたら、それがいつかは、考えすぎてしまう性格を変える可能性があります。

ここからは考えすぎてしまう性格は、自分の中のどんな習慣が作り出しているものか?

また、考えすぎてしまう性格を変えるために、どんなことを新たに習慣にしていったらいいか?

・・ということについて見てゆきたいと思います。

1)コントロールできないものを考える習慣があると考えすぎてしまう

物事には、自分ではコントロールできないものとコントロールできるものがあるように思います。

例えば、将来のこと。

将来、会社がどうなってしまうか?というのは、自分ではコントロールできません。

将来に備えて、貯金をはじめよう・・・は自分でコントロールできます。

例えば、人のこと。

相手は自分ではコントロールできません。

ただ、自分のことであれば、コントロールできることがあるかも知れません。

(自分が苦しくなってしまう範囲まで)考えすぎたりすることがない・・という人の多くは、自分でコントロールできることを考えていることが多いようです。

一方、考えすぎてしまう人は、自分でコントロールできないことを(も)考えているケースが多いようです。

これも一つの習慣なのだと思います。

自分でコントロールできるものを考える習慣。
自分ではコントロールできないものを考える習慣。

もし、自分でコントロールできないもの、例えば、「相手をどうするか?」ということを考える癖、習慣があれば、それを少しやめてみて、今度は「自分はどうするか?」と考えることを習慣にしてみてもいいかも知れません

自分でコントロールできるものを考えると、答えがすぐに出ることが多く、考えすぎてしまうことも減ってゆくことがあります。

2)他人基準で考える習慣があると、考えすぎてしまう

先ほど、答えが出ると考えすぎてしまうことが減ってゆく・・と書かせていただきました。

考えすぎて苦しくなってしまうのは、答えが出ないから・・でもあるかも知れません。

言い換えると、答えが出ないものを考える癖、習慣があると、考えすぎてしまうことが多くなってゆきます。

例えば、人にどう思われたかな?

・・と考えることが習慣、癖になっていると、考えすぎてしまうことが多くなってしまうかも知れません。

というのも、自分以外の人がどう思ったかは、多くの場合、いくら考えても答えが出ないためです。

相手が何を思ったかというのは、自分がどんなことをどれだけ考えても・・わからないことが多いかも知れません。

相手に聞いてみることはできます。でも、本当にどう思ったかはそれでもわからないかも知れない。

また、人は時間と共に過去に対する解釈も変わってゆくことがあります。

例えば、「あの時、はっきり言われた時は、自分だって好きでそうしているわけじゃないと思ったけど、今になって考えると、あの言葉を掛けてもらってよかった」・・なんて風に思うこともあるかも知れない。

だから、人にどう思われたかな?と考えることが癖になると、考えすぎてしまうことも多くなってしまうかも知れません。

答えが出ないから、答えがないからです。

自分基準でいい

先ほどの、

人にどう思われたかな?

・・・と考えることは、相手を基準に自分の言動などを判断しようとしている・・ということになると思います。

例えば、

「あんなことを言ってしまって、嫌われたかな?」

・・・と考えることも、相手を基準にして、自分が言ったことがどうだったのかと判断しようとしているわけです。

こんな風に、相手基準で考えると、どうしても不安になってしまいがちです。

それは相手がどう思ったかということは、自分にはわからないこと(答えがでないこと)だから、だと思います。

自分にはわからないことを考えるとどうして不安になるか?というと、不安には「わからないことを考えるほど大きくなる」・・という特徴というか、性質があるためです。

お化け屋敷などはいい例かも知れません。

そこに何がいるか「わからない」から怖いのであって、何がいつ出てくるのだろう・・と(わからないことを)考えるほどに、怖くなっていったりします。

では、相手基準で考えることが癖になっていて、それが考えすぎてしまう原因になっている場合は、どうしたらいいでしょうか・・?

この場合は、相手基準ではなくて、自分基準で自分の言動を判断してみる・・ということが一つの方法かも知れません。

「あんなことを言ってしまって、嫌われたかな?」

・・と考えることは、(相手がどう思ったか?という風に)相手を基準にして、自分の言動(言葉)を判断しようといていることになります。

もし、自分基準にするなら、どう考えればいいでしょう・・?

それは例えば、

「自分はどんな気持ちで、あんな風に言ったのだろう?」

・・と考えてみてもいいかも知れません。

すると、例えば、

「もしかしたら、もっと違う言い方はできたかも知れないけど、(友達を)勇気づけるつもりで言ったことだったのかな」

・・と思えたりするかも知れません。

相手基準で考えると、どう受け取られたかと考えて、答えは出ませんが、自分基準で考えると、答えが出てくることがあります。

どう受け取られたかという答えは出ませんが、自分がどういうつもりで言ったのか?・・ということであれば、答えは出るわけです。

例えば、言い方を間違えてしまうことってあると思うのです。

人はロボットのようにはできなくて、時には間違った言い方をしてしまうことだってあるかも、知れません。

先ほどの例も、「相手に対する気持ちは間違っていなかったけど、言い方が悪かったかもな。後で謝ろう」

例えば、そんな風に思ったり。

自分基準で、自分がどういう自分でいたいかということを基準に、人間関係における自分を判断しようとしてゆくことで、本当に反省すべきことと、そうではないことが見えてくることがあります。

また、自分が思っていたようなこと(例えば、「嫌われたのではないか?」というようなこと)が自分の思い込みだったかも知れないと、思えてくることもあるかも知れません。

もっとも、自分基準といっても、それは、自分勝手に振る舞うことでもなければ、自分の考え方を相手に押し付けることでも、相手を尊重しないということでもなくて。

この場合の自分基準とは、自分の言動を判断する基準を相手の中ではなく、自分の中に持つ、ということになります。

それはまた、どういう自分でいたいかという自分の在り方を大切にしてゆくということでもあると思います。

そして、不思議なことにそうやって自分の在り方や自分の基準を大切にしていると、相手の在り方であったり、相手が大事にしていることも尊重できるようになるというか、そんな不思議なことが起こったりもします。

3)不安や恐れをなくそうとする習慣があると、考えすぎてしまう

不安や恐れのようなものをなくそうとする習慣、癖があると、考えすぎてしまうことが多くなるかも知れません。

もっとも、不安や恐れのようなものが自分の中にある時は、なんだかそわそわして、落ち着かないものだと思います。

だから、それを手放したいと思うことは当然のことだと思うのです。

そして、不安については、不安になった時の6つの解消方法・対処方法などでその手放し方、対処方法について書かせていただきましたが、手放す方法もあると思います。

ただ、全部を手放すことはできません。
不安を完全になくすことはできません。

もし、不安が完全になくなってしまったら、むしろ、大変なことになります。

不安に思うから、暗い夜道を歩かないでおこうと思えるわけです。

泥棒に入られるのではないかと不安に思うから、家の鍵を閉めようと思うわけです。

完全にはなくならないようにできている不安を、嫌だからなくそう、完全になくしてしまおうとすることが癖、習慣になっていると、考えすぎてしまうことが多くなってゆきます。

不安がなくそうとしても(全部)なくならない、だから、何とかしたくて、また考える、でもなくならない、だから、また考える・・・

・・という風にして、不安を完全になくそうとすることが癖になっていると、どうしても考えすぎてしまったり、堂々巡りのようにして、同じことを何度も考えなくてはならなくなります。

じゃあ、この場合、どうしたら考えすぎてしまうことをやめることができるでしょう?

そのためには、不安を(完全に)なくそうとする癖、習慣をやめて、下記の記事でもご紹介していますが、十分に対策はした上で、残った不安を受け入れる、そのままにしておくということを新たな習慣にしてゆくこと・・だと思います。

不安になった時の6つの解消方法・対処方法

どうしても残る不安を何とかしようとすると、考えすぎてしまうことが多くなります。

ただ、残った不安を受け入れようとすると、それは自分を守るためにあるものなんだと思ってみると、不思議と気持ちは落ち着いてゆくことがあります

考えすぎないで済んでいる人の多くは、そんな風にして、不安はあって当たり前・・と考えていることが多いようです。

4)完璧に生きようとするとすると、考えすぎてしまう

これもある意味、習慣かも知れませんが、完璧に生きようとすると考えなければならないことが多くなって、結果的に考えすぎてしまうことがあります。

この世の中は、ある意味、不完全な世の中で、完璧にはできていなくて、だから、完璧に生きようとすると、あれこれと考えなければならないことが多くなり、結果的に自分が苦しくなったり、場合によっては、行動できなくなってしまったりします。

完璧に生きようとする、ということは、よりよく生きたいということでもあって、例えば、嫌な思いはしたくないとか、自分にとってマイナスなことは排除してしまいたいと思うことも、そうかも知れません。

ただ、世の中も、人そのものも不完全なものだと思います。

その中で完璧を求めようとすると、どうしても、考えすぎてしまいます。

その場合は、自分が執着しているものは何か?と考えて、その執着しているものを少しづつでも手放すようにしてみると、考えすぎてしまうことにストップをかけることができることがあります。

または、期待を捨てることでもいいかも知れません。

完璧にいくことはないと、期待を予め捨てておくのです。

すると、気持ちが楽になれることもあるかも知れませんし、期待を捨てることで考えすぎる必要もなくなってゆくこともあります。

考えすぎる性格は短所じゃない

さて、ここまで考えすぎてしまう性格を直したいと思った時にはどうしたらいいか?ということについて見てきました。

考えすぎて苦しくなってしまう時は、その苦しさにつながっている考え方の癖や習慣を少しづつでも変えていけたらいいのかも知れません。

ただ、冒頭でも書かせていただいた通り、考えすぎてしまうことそのものは、僕は悪いことではないように思っています。

例えば、世の中にある、人気のあるモノは、そういった、考えすぎてしまうほど、物事を突き詰めて考えることができる人が作り出していることが多いようです。

もっとも、先ほども書かせていただきましたが、自分が苦しくなってしまうまで考えすぎてしまう部分は変えてゆけたらいいのかも知れません。

ただ、考えすぎることそのものは、間違っても短所ではないように思います。

最後まで記事にお付き合いいただいて、ありがとうございました。