嫌いな人との付き合い方。嫌いな人を気にしない方法とは?
「嫌いな人とはどうやって付き合ってゆけばいいですか?」
「嫌いな人を気にしない方法を教えてください。」
そんな風に聞いていただいたことがあります。
そうですね、嫌いな人というのは誰にでもいるものだと思います。
できれば、そういった人とは付き合わずに済めば一番だと思いますが、例えば、職場であったり、または、ご親戚にそういう人がいたり、ご近所さんだったり、サークル、学校など・・どうしても付き合わなければならない場合もあるかも知れません。
そんな時、嫌いな人とはどのように付き合ってゆけばいいのか?嫌いな人を気にしないためにはどうしたらいいか?
今回はそんなことについて考えてみたいと思います。
何故、人は人を嫌いになるの?人を嫌いになる心理とは?
嫌いな人との付き合い方、嫌いな人を気にしない方法について考える前に、そもそも、何故、人は人を嫌いになるのでしょうか。
「嫌い」というのは感情の一種ですが、感情というのは、自分を守るために働いているものです。
ということは、人を嫌いになるのも、自分や自分の何かを守りたいという思いがどこかに隠れているということになります。
「嫌う」という感情が発動すると、人はその(嫌いな)相手に近づかないようになったり、その相手に対して身構えるようになります。
それは、そうすることで、自分を守ろうとしているのかも知れません。
例えば、人として尊敬できない人がいたとします。
この時、その人として尊敬できない人を「嫌いな人」だと思うこともあれば、(自分にとって)「どうでもいい人」だと思うこともあるかも知れません。
その相手が「嫌いな人」になるか、「どうでもいい人」になるかどうかは、その相手が自分に何かしらの害を与える可能性があるかどうか・・・が関係しているかも知れません。
自分に何かしらの害を与えると思った時に嫌いになり、尊敬できない人だけど、自分には無関係だと思えば、どうでもいい人になる・・のかも知れません。
この場合の害を与えるとは、実害だけではなくて、自分をガッカリさせるとか、自分を落ち込ませるとか、そういったことも含まれます。
どうしても付き合わなければならない嫌いな人との上手な付き合い方、または、嫌いな人を気にしない方法・・
・・ということを考えた時、この嫌いという感情の根本にある、相手は自分に害を与える人(与えそうな人)という捉え方の部分を少し、変えることができたら、嫌いな相手とも少し気持ちを楽にして付き合ってゆけるかも、知れません。
「期待」を捨てると嫌いな人が減ってゆく
先ほど、嫌いという感情の根本にある、相手は自分に害を与える人(与えそうな人)という捉え方を少し変えることができたら・・と書かせていただきました。
例えば、相手を自分をガッカリさせる人(害を与える人)だと捉えていると、嫌いという感情は増える一方で、相手と上手に付き合ってゆくなんてことは無理かも知れません。
気にしないなんてこともこの場合はとても難しいです。
じゃあ、どうしたらいいでしょうか?
ガッカリさせられる・・というのは、とても嫌なものですが、ガッカリする・・というのは実は、期待しないとできないことです。
期待して、その期待が裏切られるから、ガッカリするのです。
この場合、自分をガッカリさせる人(害を与える人)という捉え方を変えるには、期待をすることをやめてしまうのが一番の方法かも知れません。
期待するために裏切られて、ガッカリするわけです。
この場合は、期待を捨ててしまうと、その嫌いな相手が嫌いな人から、考えても仕方がない相手という思いに変わるかも、知れません。
例えば、自分の気持ちをわかってもらえなくて、または無視されてガッカリして、そして、そんな相手が嫌いになったとします。
この時、自分の気持ちを少しはわかってくれるのではないか?という期待があって、そして、その嫌いが裏切られたために嫌いになった・・・のかも知れません。
ですので、次からは、相手への期待を少し捨ててみて、(悪気はなくても)「人の気持ちをわからない人」という風に相手を諦めてみます。
すると、次に相手が自分の気持ちをわかってくれなくても、「ほらね、やっぱりそうだ」と思えて、例えば、嫌いになって嫌な思いをする時間がもったいないと・・思えてくるかも、知れません。
相手に期待をする限り、例えば、もっと私の気持ちを考えて欲しい、少しはこちらの事情も理解してほしい・・といった風に相手への期待を持ち続けている限り、相手への嫌な気持ちは捨てられないかも知れません。
ですので、自分が相手に対して抱いている期待、たとえそれが常識的なことであっても、その期待をその嫌いな相手に対しては捨ててしまうことで、その嫌いな相手が気にならなくなってゆくこともあります。
相手の言動を自分への攻撃ととらえず、相手のパターンと考えてみる
人は、自分に害を与える人を嫌いになる・・という心理ですが、例えば、「上司が嫌いです」・・というお話はよく耳にします。
例えば、自分のミスに対して、怒鳴りつけてくるような上司が嫌いだとします。
この場合も、怒鳴りつけられることで、自分が嫌な気持ちになっているのかも知れません。(害を被っているのかも知れません)
言い換えると、上司は自分を攻撃する人のようなもので、だから、嫌いという感情が動き出すのかも知れません。
この場合はどうしたらいいのでしょう・・?
この場合は、怒鳴るという行為を自分への攻撃と捉えるのではなく、少し違う捉え方に変えてみてもいいかも知れません。
人が大きな声で怒鳴るのは、多くの場合、何かに困っている時だと思います。
何かに困っているから、大きな声を出して、その困った状況を何とかしようとしていることが案外多いです。
この怒鳴る上司も、部下が自分の思い通りに動いてくれないことにとても困っていて、その困った状況を何とかしたくて怒鳴っているのかも・・知れません。
つまり、「怒鳴っている=困っている」のです。
だから、怒鳴られることを、自分への攻撃とは思わずに、それは相手が困った時にとる行動パターンなのだと、捉えてみます。
上司が部下に困った時にできることは怒鳴るということ以外にもあります。
例えば、部下とじっくり話し合う、何故できないのかを部下自身に考えさせる、部下に手本を見せる・・などなど、色々な行動をとることができるわけです。
怒鳴るというのも、その行動(パターン)の一つなのかも知れません。
今回は怒鳴ってくる上司を例にしましたが、嫌いな相手の言動を自分への攻撃と捉えずに、相手の行動パターンと考えてみることで、その嫌いな相手がそれほど気にならなくなってゆくこともあるかも、知れません。
勿論、全く気にならなくなるなんてことはないし、そんな風に思う必要もないと思います。
嫌いな人はいてもいいと思うのです。
ただ、嫌いという感情が膨らんできて、自分が苦しくなった時には、そんな風にして、相手への捉え方を変えてみてもいいのかも知れません。
心の距離を置いて付き合ってゆく
どうしても付き合わなければならない嫌いな人との付き合い方・・・ですが、大切なことの1つは距離を置くということだと思います。
嫌いという感情と距離というのは深く関係しています。
距離というのは物理的な距離もそうですが、心の距離もそうです。
例えば、接客業をしていたとします。
この時、相手が同じような性格の人でも、その相手が職場の同僚だった場合と、相手がお客様だった場合では、感じ方が全く違ってくるように思います。
同じことを言われても、相手が職場の同僚だった場合はカチンと来ることがあるかも知れませんが、相手がお客様だった場合は、笑ってスルーできたりする。
その違いは恐らく「距離」だと思うのです。
物理的な距離もそうですが、心の距離が深く関係しているように思います。
お客様とはビジネスライクに接しているので(距離を大きくとっているので)、嫌いという気持ちがそれほど大きくならない。
ところが、職場の同僚の場合はそれに比べて距離が近いのかも知れません。
この場合は、職場の同僚に対しても、お客様と同じ位に距離をとってみてもいいかも知れません。
簡単に言うと、ビジネスライクに付き合うということになります。
ではプライベートの場合はどうでしょうか?
プライベートの場合は、フォーマルに付き合ってゆくのがいいかも知れません。嫌いな人とは。
そうやって距離を大きくとる工夫をしてみるのも、嫌いな人と上手に付き合ってゆくためには大事なことだと思います。
「この人は自分に何を教えようとしているのか?」
嫌いな人とは無理に付き合ってゆく必要もないし、できれば、付き合わないようにするのが一番だと思います。
ただ、どうしても付き合うはめになったような場合は、「この人は自分に何を教えようとしているのか?」と考えてみてもいいかも知れません。
言い方は悪いですが、相手を自分の成長のために利用しようとしてみるのです。
人はどうも、すべてがうまくいっている時よりも、何か辛い思いをしたり、苦しい思いをしている時に成長するようにできているようです。
これはトレーニングや筋トレのようなものかも知れません。
トレーニングも、している最中はきついけれど、自分(の筋肉)は強くなっていたりします。
嫌いな人と付き合うということは、そういう意味では、トレーニングをするようなもの、滝に打たれるようなものなのかも知れませんね。
幸せになればなるほど嫌いな人がいなくなるという法則
世の中には、不思議な法則のようなものが結構あります。
その一つが、幸せになるほど嫌いな人がいなくなる法則・・・というもののようです。
不思議なことに、幸せだと感じられる時は、嫌いな人がそれほど気にならなくなったり、嫌いな人そのものが減っていったりします。
だとしたら、嫌いな人をどうにかして、わからせようとしたり、その嫌いな人を何とかしようとするよりも、自分が幸せになること(そのためにできることに一生懸命になること)がある意味、嫌いな人を気にしないための一番の方法なのかも知れません。
つまり、嫌いな人に意識を向けるのではなくて、自分の幸せや自分の好きなことであったり、自分が笑顔になれることに意識を向けてゆくということです。
人が意識を向けられる先は限られています。
だから、何かに夢中になっている人は悩みが少なかったりするのですが、夢中になるというところまでいかなくても、少しづつでも、自分が笑顔になれることの方に意識を向けてゆくことで、嫌いな人の重要度が下がってゆく・・ということはあるように思います。