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過去の自分の言動を恥ずかしいと思って後悔した時にできること

過去の自分の言動を振り返って、恥ずかしい気持ちになったり、情けない気持ちになって後悔する。

そんなこともあるかも知れません。

人は変わり続けてゆくものだし、心も成長し続けてゆくものだからこそ、過去の自分というのは、どうしても、恥ずかしく感じるものだと、思うのです。

そういう意味で、後悔するのが人間らしさと言いましょうか。
そんな風に思います。

ただ、その恥ずかしいという気持ちや後悔する気持ちが強くなり過ぎて、自分を責めるようになったり、今に気持ちを向けることができなくなったりした時は、その恥ずかしいと思った自分の言動に対する捉え方というものを少し、変えてみてもいいかも知れません。

今回は、そんな過去の自分を振り返って、恥ずかしいと思ってしまった時、後悔が止まらなくなった時に、何をどう考えたら、その恥ずかしい気持ち、強く後悔する気持ちを少し、手放すことができるか?

また、過去の記憶がフラッシュバックするようにして蘇ってくることがありますが、それは何故なのか?ということについても書いてゆきたいと思います。

人はその時々で精一杯のことをしているもの

これは以前にも書かせていただいたことがありますが、人は、その時々で精一杯のことをしていると、思うのです。

勿論、そうではない例もあるかも知れません。ただ、多くの場合、人はその時々で、精一杯のことをしているように思います。

あの時、もっとこうしていればよかった。
あの時、もっとこんな言い方ができたらよかったのに。

あの時、もっと・・・という風に、今、振り返って思ったとしても、それでもその時は、自分なりに精一杯のことをしていた・・ということが多いように思います。

それは、自分のベストではないかも知れません。

それは、自分の100%ではなかったかも知れないし、今の自分ならもっと違う言動になったかも知れないけれど、その時は、それが精一杯だったのかも、知れません。

勿論、やってはいけないこと、言ってはいけないこともあるわけです。

ただ、そういうことを除けば、人はみんな、そんな完璧にはできていなくて、間違ったこともするし、後悔もするもので、冒頭でも書かせていただきましたが、それがある意味、人間らしさのようなものなのかなと、思います。

ただ、完璧ではないし、ベストでもないし、もっと違う何かがあったのかも知れないけど、「その時の自分なりに精一杯やっていたんだ」と、「あの時は、それが精一杯だったんだよ」とその時の自分を少し、許してみると、気持ちが楽になれることがあります。

後悔することに意味がある

「あの時の自分は自分なりに精一杯やっていたんだよ」と自分を許してみるというのは、後悔しなくていいということではないわけですが、ただ、後悔するということは、意味のあることだと思うのです。

人は、または、人の心は、何かを学ぶために後悔するもので、だから、「恥ずかしいことをした」「恥ずかしいことを言った」と後悔することは、その中から、何かを学ぼうとすることでもあるように思います。

だから、後悔が止まらないような時は、無理に後悔を止めようとするのではなくて、変な言い方ですが、あえて、十分に後悔してみるのも一つの方法かも知れません。

後悔することの中に、自分にとって何か大事な学びがあるはずだと、思うのです。

また、そうやって、あえて十分に後悔してみると、不思議と前を向けるようになったりします。

過去の恥ずかしい記憶は癒されたくて蘇る

過去の恥ずかしい記憶が突然のように蘇って、そして、その恥ずかしさに自分が苦しくなる・・ということもあるかも知れません。

そんな風にして、過去のことが、何かのきっかけで蘇ってくることもあるかも知れません。

そういった過去の恥ずかしい記憶、嫌な記憶が何度も蘇るのにはどうも理由があって、それは何かと言ったら、それらの記憶は癒されたくて蘇るということが多いようです

言い換えると、その過去の恥ずかしい記憶、嫌な記憶が何度も蘇るのは、自分自身に許されたいと願っているから、なのかも知れません。

過去の自分を思い出して恥ずかしいと思ったり、苦しくなっている時は、過去の自分を責めているのと実は殆ど一緒なのだと思います。

だから、苦しくなります。

ただ、過去の記憶というのは、どうも、その反対のことをしてほしくて自分に蘇ってくるもののようです。

だから、「あの時は、それが自分の精一杯だったんだ」「あの時は仕方がなかったんだよね」と自分に語り掛けてみると、不思議と楽になれることがあります。

また、そうやって、その時の自分を許してゆくと、その記憶が蘇る頻度が少しづつ減ってゆくこともあります。

それは、その記憶が自分に許してもらえたことで、癒されたから、かも知れません。

もっとも、許すことのできない自分の過去の言動もあるかも知れません。

ただ、恥ずかしいと思うような過去については、許せることが多いかも知れませんし、時間はかかっても、自分自身で許せるような過去については、少しづつ、許していってもいいのかも知れません。

少し後で書いてみたいと思いますが、その自分を許すということが、誰かへの優しさになることもあるように思います。

どうしても思い出してしまって苦しい時は?

どうしても、過去のことを思い出してしまって苦しい・・そんなこともあるかも知れません。

そんな時は、その過去のことについて考えることを一旦お休みできたらいいのかも知れませんが、それがとても難しかったりします。

そんな時に使えることですが・・

人の脳は、「~しちゃだめ」と言われるのが苦手のようです。そう考えるとその「~」のことばかりが頭に浮かびます。

ここで、ちょっとした実験をしてみたいと思います。

よかったら一緒にやってみませんか。

さて、じゃあ・・

これから3分間、アイスクリームのことは考えないでください。

アイスクリームのことは考えちゃだめですよ。

3分間、アイスクリームのことは絶対に考えないでください。

さて、どうだったでしょうか?

恐らく、すぐにアイスクリームが頭に浮かんだのではないでしょうか?

これは、他のことでも同じようなことが言えます。

過去の自分が恥ずかしいと思っている記憶についても、考えないようにしようとすると、余計に考えてしまったりするかも知れません。

そんな時に使えるちょっとしたテクニックですが、あえて、考えてみようとします。

あえて、その過去のことについて徹底的に考える時間を作ってみるのです。

毎日、何時から何時まではそのことについて考えるように自分を強制してみます。

あえて、考えたくないことを考えるわけですが、人の脳はよくも悪くも飽きっぽいところがあって、だから、強制的に考え続けようとすると、そのことに飽きてしまって、不思議とその何かを手放せるようになることがあります。

考えないようにしようと思うと、余計そのことについて考えてしまい、反対に、むしろ徹底的に考えてやろうとしてみると、その何かを手放せる・・というのは不思議なものですが、考えたくないことを手放すためにはそんな風にして、徹底的に考えてみることも一つの方法かも知れません。

恥ずかしいと思える心が自分に与えてくれるもの

過去の自分を振り返って、恥ずかしいと感じてしまったり、後悔が止まらなくなったり。

その時のその感覚は言葉ではなかなか表現することが難しい、なんとも言えない嫌な感覚だと思います。

ただ、恥ずかしいと思えたことは悪いことばかりではないかも、知れません。

恥ずかしいと思えたことが自分に与えてくれるものがあると思うからです。

例えば、「謙虚さ」は、その一つかも知れません。

過去の自分を恥ずかしいと思えるからこそ、自分を大きく見せたり、威張ったりしない自分でいられる・・ということもあるかも知れません。

そんな風にして、過去の自分を恥ずかしいと感じたことで得たものを探して、そして、それをこれからの自分の何かに生かしてゆく道もあるかも、知れません。

自分の未熟さを許すことが他人に寛容な自分にしてくれる

人はどうも完璧には作られていなくて、ただ、その代わりに成長するように作られているようです。

だから、完璧に生きようとすることよりも、反省することであったり、それをこれからの自分の成長につなげてゆくことが大切なことなのかも知れません。

過去の自分を振り返って、恥ずかしいと思ったり、自分は未熟だったと思うこともあるかも知れません。

そんな時は、冒頭でも書かせていただいたように(許せるものに関しては)、「あの時はそれが自分の精一杯だったんだよ」と自分を許してみることで、気持ちが楽になれたり、その過去の何かを受け入れられるようになることもあります。

自分を許すなんていうと、自分に甘くなることのようで、あまりよいことではないように思われてしまうかも知れませんが・・

ただ、人は自分にしていることを人にもしようとするもので、だから、自分を許そうとすることは、人の何かを許すことや、他人に寛容な自分につながってゆくように思います

過去の自分を少し許してみるということは、形を変えて、誰かへの優しさにもなるかも知れません。

最後まで記事をお読みいただいて、ありがとうございました。