過去の自分に後悔したら。過去の自分が嫌い、許せない時に考えたいこと
過去の自分の言動を振り返って、恥ずかしい気持ちになったり、情けない気持ちになって後悔したり・・
または、過去の自分の何か、例えば、誰かに対して言ってしまった言葉が許せなかったり、そんな自分が嫌いで仕方がなかったり・・
そんなこともあるかも知れません。
人は変わり続けてゆくものだし、最初から完璧な人はいなくて、誰もが少しづつ成長してゆくものだからこそ、過去の自分というのは、どうしても恥ずかしく感じるものだと思うのです。
そして、そんな過去の自分に後悔することもあるかも知れません。
ただ、それが、後悔するのが、人間らしさと言いましょうか。
そんな風に思いますし、後悔するのは自分が成長した証なのだと思います。
ただ、その後悔する気持ちや過去の自分を恥じる気持ちが強くなり過ぎて、自分を責めるようになったり・・
または、今に気持ちを向けることができなくなったりした時は、その過去の自分、もしくは過去の自分の言動に対する捉え方というものを少し、変えてみてもいいかも知れません。
今回は、そんな過去の自分を振り返って、恥ずかしいと思ってしまったり、過去の自分が嫌になったりして、後悔が止まらなくなった時に、何をどう考えたら、その恥ずかしい気持ち、強く後悔する気持ちを少し、手放すことができるか?
また、過去の記憶がフラッシュバックするようにして蘇ってくることがありますが、それは何故なのか?ということについても見てゆきたいと思います。
目次
- 人はその時々で精一杯のことをしているもの
- 後悔することに意味がある
- 過去の恥ずかしい記憶は癒されたくて蘇る
- 過去のことをどうしても思い出してしまって苦しい時は?
- 恥ずかしいと思える心が自分に与えてくれるもの
- 自分の未熟さを許すことが他人に寛容な自分にしてくれる
- 過去の弱さが今の強さにつながっている
人はその時々で精一杯のことをしているもの
これは以前にも書かせていただいたことがありますが、人は、その時々で精一杯のことをしていると、思うのです。
勿論、そうではない例もあるかも知れません。ただ、多くの場合、人はその時々で、精一杯のことをしているように思います。
あの時、もっとこうしていればよかった。
あの時、もっとこんな言い方ができたらよかったのに。
あの時、もっと・・・という風に、今、振り返って思ったとしても、それでもその時は、自分なりに精一杯のことをしていた・・ということが多いように思います。
それは、自分のベストではないかも知れません。
それは、自分の100%ではなかったかも知れないし、今の自分ならもっと違う結果になったかも知れないけれど、その時はそれが精一杯だったのかも、知れません。
勿論、やってはいけないこと、言ってはいけないこともあるわけです。
ただ、そういうことを除けば、人はみんな、そんな完璧にはできていなくて、間違ったこともするし、後悔もするもので、冒頭でも書かせていただきましたが、それがある意味、人間らしさのようなものなのかなと、思います。
ただ、完璧ではないし、ベストでもないし、もっと違う何かがあったのかも知れないけど、「その時の自分なりに精一杯やっていたんだ」と、「あの時は、それが精一杯だったんだよ」とその時の自分を少し、許してみると、気持ちが楽になれることがあります。
そうやって過去の自分を少し許してみると、そこにあった事情のようなものが見えてくることもあるかも知れません。
例えば、「あんな言い方をした自分が許せない」・・と思っても、そこに至るまでには、その時の自分なりに何か事情があったのかも知れないわけです。
勿論、先ほども言いましたが、言ってはいけないこと、やってはいけないこともあるわけですが、ただ、そういったことを除けば、過去の自分のその言動だけを一方的に責めるのは、自分自身に対してフェアではないかも知れません。
もっとも、例えば、反省することはいいことだと思うんです。
ただ、反省を通り越して、過去の自分を責めたくなる気持ちが強くなりすぎた時は、その時の自分なりにあった事情にも目を向けてみてもいいかも知れません。
後悔することに意味がある
「あの時の自分は自分なりに精一杯やっていたんだよ」
そんな風に自分を許してみるというのは、後悔しなくていいということではないわけですが、ただ、後悔するということは、意味のあることだと思うのです。
人は、または、人の心は、何かを学ぶために後悔するもので、だから例えば、「恥ずかしいことをした」「恥ずかしいことを言った」と後悔してしまうのは、自分の心が、その中から、後悔することの中から、何かを学ぼうとしているのかも知れません。
だから、後悔が止まらないような時は、無理に後悔を止めようとするのではなくて、変な言い方ですが、あえて、十分に後悔してみるのも一つの方法かも知れません。
後悔することの中に、自分にとって何か大事な学びがあるはずだと、思うのです。
また、そうやって、あえて十分に後悔してみると、不思議と前を向けるようになったりします。
後悔をやめようと思うと後悔がやめられず、後悔してもいいと思うと前を向ける・・というのはとても不思議なものだと思います。
後悔することの中に、自分にとって何か大事な学びがある・・ということですが、自分が人生の次のステップに向かうタイミングで、または人生の新たなステージに立った時に、ふと過去のことを強く後悔したくなったりするのはそのためかも、知れません。
過去の恥ずかしい記憶は癒されたくて蘇る
過去の恥ずかしい記憶が突然のように蘇って、そして、その恥ずかしさに自分が苦しくなる・・ということもあるかも知れません。
そんな風にして、過去のことが何かのきっかけで蘇ってくることもあると思うんです。
そういった過去の恥ずかしい記憶、嫌な記憶が何度も蘇るのにはどうも理由があって、それは何かと言ったら、それらの記憶は癒されたくて蘇るということが多いようです。
言い換えると、その過去の恥ずかしい記憶、嫌な記憶が何度も蘇るのは、自分自身に許されたいと願っているから、なのかも知れません。
過去の自分を思い出して恥ずかしいと思ったり、苦しくなっている時は、過去の自分を責めているのと実は殆ど一緒なのだと思います。
だから、苦しくなります。
ただ、過去の記憶というのは、どうも、その反対のことをしてほしくて自分に蘇ってくるもののようです。
だから、「あの時は、それが自分の精一杯だったんだ」「あの時は仕方がなかったんだよね」と自分に語り掛けてみると、不思議と楽になれることがあります。
また、そうやって、その時の自分を許してゆくと、その記憶が蘇る頻度が少しづつ減ってゆくこともあります。
それは、その記憶が自分に許してもらえたことで、癒されたから、かも知れません。
もっとも、許すことのできない自分の過去の何かもあるかも知れません。
ただ、例えば、恥ずかしいと思うような過去については、許せることが多いかも知れませんし、時間はかかっても、できる範囲で自分自身で許せるような過去については、少しづつ、許していってもいいのかも知れません。
少し後で書いてみたいと思いますが、その自分を許すということが、誰かへの優しさになることもあるように思います。
過去のことをどうしても思い出してしまって苦しい時は?
どうしても過去のことを思い出してしまって苦しい・・そんなこともあるかも知れません。
そんな時は、その過去のことについて考えることを一旦お休みできたらいいのかも知れませんが、それがとても難しかったりします。
そんな時に使えるちょっとしたテクニックがあります。
人の脳は、「~しちゃだめ」と言われるのが苦手のようです。そう考えるとその「~」のことばかりが頭に浮かびます。
ここで、ちょっとした実験をしてみたいと思います。
よかったら一緒にやってみませんか。
さて、じゃあ・・
これから3分間、アイスクリームのことは考えないでください。
アイスクリームのことは考えちゃだめですよ。
3分間、アイスクリームのことは絶対に考えないでください。
・・・
さて、どうだったでしょうか?
恐らく、すぐにアイスクリームが頭に浮かんだのではないでしょうか?
これは、他のことでも同じようなことが言えます。
過去の自分が恥ずかしいと思っている記憶についても、考えないようにしようとすると、余計に考えてしまったりするかも知れません。
そんな時に使えるちょっとしたテクニックですが、あえて、考えてみようとします。
あえて、その過去のことについて徹底的に考える時間を作ってみるのです。
毎日、何時から何時まではそのことについて考えるように自分を強制してみます。
あえて、考えたくないことを考えるわけですが、人の脳は良くも悪くも飽きっぽいところがあって、だから、強制的に考え続けようとすると、そのことに飽きてしまって、不思議とその何かを手放せるようになることがあります。
考えないようにしようと思うと、余計そのことについて考えてしまい、反対に、むしろ徹底的に考えてやろうとしてみると、その何かを手放せる。
・・というのは不思議なものですが、考えたくないことを手放すためにはそんな風にして、徹底的に考えてみることも一つの方法かも知れません。
恥ずかしいと思える心が自分に与えてくれるもの
過去の自分を振り返って、恥ずかしいと感じてしまったり、後悔が止まらなくなったり。
その時のその感覚は言葉ではなかなか表現することが難しい、なんとも言えない嫌な感覚だと思います。
ただ、恥ずかしいと思えたことは悪いことばかりではないかも、知れません。
恥ずかしいと思えたことが自分に与えてくれるものがあると思うからです。
例えば、「謙虚さ」は、その一つかも知れません。
過去の自分を恥ずかしいと思えるからこそ、自分を大きく見せたり、威張ったりしない自分でいられる・・ということもあるかも知れません。
そんな風にして、過去の自分を恥ずかしいと感じたことで得たものを探して、そして、それをこれからの自分の何かに生かしてゆく道もあるかも、知れません。
自分の未熟さを許すことが他人に寛容な自分にしてくれる
人はどうも完璧には作られていなくて、ただ、その代わりに成長するように作られているようです。
だから、完璧に生きようとすることよりも、後悔しないように生きようとすることよりも、反省することであったり、それをこれからの自分の成長につなげてゆくことが大切なことなのかも知れません。
過去の自分を振り返って、恥ずかしいと思ったり、自分は未熟だったと思うこともあるかも知れません。
そんな時は、冒頭でも書かせていただいたように(許せるものに関しては)、「あの時はそれが自分の精一杯だったんだよ」と自分を許してみることで、気持ちが楽になれたり、その過去の何かを受け入れられるようになることもあります。
自分を許すなんていうと、自分に甘くなることのようで、あまりよいことではないように思われてしまうかも知れませんが・・
ただ、人は自分にしていることを人にもしようとするもので、だから、自分を許そうとすることは、人の何かを許すことや、他人に寛容な自分につながってゆくように思います。
過去の自分を少し許してみるということは、形を変えて、誰かへの優しさにもなるかも知れません。
過去の弱さが今の強さにつながっている
最後に、過去の自分の弱さについて。
過去の弱さというものは、実は今の強さにつながっているように思うんですね。
過去に弱い自分がいたからこそ、強くなろうと思えて、それが今につながっている。
だから、ある意味、今、もし自分の中に過去にはなかったような強さがあるとすれば、それは過去の弱さがあったから・・かも知れません。