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人は人、自分は自分という考え方。他人が羨ましい気持ちが強くなりすぎたら?

以前、「人は人、自分は自分」、お釈迦様が語られた心を楽にする考え方という記事を書かせていただきました。

その中で、「他人がしたことやしなかったことを思うのではなく、自分が何をし、何をしなかったか」を省みることが大切だというお釈迦様が語られた言葉をご紹介しました。

今回は、他人が羨ましく思えてしまって、その気持ちが強くなりすぎてしまった時、何をどう考えたら自分が楽になれるか?・・ということについて考えてみたいと思います。

目次

「人は人、自分は自分」とは思えない?

他人を見て、羨ましいなと思うことってあると思うんです。

そして、それは悪いことでもなんでもなくて。

ただ、その気持ちが強くなりすぎてしまうと・・・何故か、自分が情けなく思えてきたり、自分がみじめに思えてきたりすることがあります。

以前、人と比べてしまう、劣等感を捨てるには?で、空を飛ぶ鳥を見て劣等感を感じる人はいないと書かせていただきました。

空を自由に飛ぶ鳥を見て、「いいなぁ。あんな風に空を飛んでみたいなぁ」と羨ましく思う人はいるかも知れません。

だけど、「自分は空を飛べないなんて、情けない人間だな」と思って、劣等感を感じたりする人はいません。

それは、空を飛ぶ鳥と自分(人間)とを区別していて、比べていないから、だと思います。

ところが、相手が人間になった途端に何故か、自分とその相手を比べたくなったりします。

こんな時、「人は人、自分は自分」と思えたら、楽になれるのかも知れません。

だけど、「鳥は鳥、自分は自分」と思うのは簡単でも、「人は人、自分は自分」とすぐにそう思うことは難しいことかも知れません。

そんな時はどうやったら、「人は人、自分は自分」と思えるでしょうか・・?

他人が羨ましく思えた時にはここを見る

世の中にはどうも、不思議な法則がいくつかあるようです。

その一つが「正負の法則」と呼ばれるものです。

これはどんな法則かと言うと、「何かを得たら、何かを失う」というそんな法則です。

だから、何かを得ているように見える人は、必ず何かを失っていることになります。

他人が羨ましいなと思ってしまうことがあったとします。

そして、その気持ちが強くなりすぎて、自分が苦しくなってしまったとします。

そんな時は、その相手の一部分しか、見ていないはずです。

例えば、友達が大勢いる友人を見て、羨ましいなと思ったとします。

そして、その気持ちが少し強くなってしまって、その相手に比べて、友達が少ない自分は情けない・・・と思ってしまったとします。

そんな時は、その相手の一部分しか、見ていないと思うのです。

友達が大勢いる・・・というところしか、見ていないわけです。

だけど、ここにも正負の法則が働いていて、得たものがあるということは、失っているものもあるはず、です。

この場合は、友達が大勢いるということが得ている部分であれば、失っている部分もあります。

それは例えば、一人一人の友達との時間が多く持てない・・ということかも知れません。

多くの友達がいても、自分の時間は限られていて、だから、友達が多くなるほどに、一人一人の友人と過ごせる時間が減って、浅いお付き合いになってしまうこともあるかも、知れません。

または、友人が多いということは、その分だけ、人間関係の悩みが増えてしまうこともあるかも知れません。

得ているものがあるということは、失っているものもあるということだと思うのです。

例えば、芸能人の方は、脚光を浴びて、多くの人に好かれたりすることもあるかも知れませんが、その一方で、どこに行くにも見られていたりして、自由を感じられないこともあるかも知れません。

得ている人は、何かを失っている人でもあると思うのです。

そういうことを考えた時、その人の一部分だけじゃなくて、その裏にあるものであったり、もっと全体を見ようとした時、人を羨ましいと思うことはあっても、それ以上、例えば、相手と自分を比べて、自分を情けなく思う必要はないと、そう思えるかも、知れません。

そして、そう思えた時、「人は人、自分は自分」だと思えることがあるんじゃないかなと、思います。

人の幸せな話を見聞きして落ち込んだ時はどうしたらいい?

人の幸せな話を聞いて、そして、自分と比べてしまって落ち込んでしまった時もやはり、先ほどのように、相手の一部分だけではなくて、もっと全体を見る必要があるのだと思います。

例えば、友人達が結婚して幸せになってゆくのを見て、自分が情けなく思えてきた・・・そんなことがあったとします。

そんな時は、相手にあって、自分にないものを見ているのだと思います。

だとしたら、その反対のことをしてみてもいいのかも知れません。

つまり、自分にあって、相手にはないものを見ようとしてみます。

もし、それができないと思った時は、相手の持っているものと自分が持っているものを全部交換したらどうなるだろう?と考えてみます。

全部交換します。

結婚したという事実だけじゃなくて、例えば、友達も交換します。親も交換します。自分の持っている服であったり、バッグであったり、時計であったり、車であったり、趣味も・・・全部です。

全部相手と交換します。

そんな風に考えてみた時、自分にも持っているものがあると思えてくるかも知れません。

そんな風に考えてみた時、自分はこのままでも悪くはないかなと、思えてくることがあるかも知れません。

人の幸せな話を見聞きして、自分が情けなく思えた時は、それは自分が持っているものを再確認する必要があるよというサインなのかも、知れませんね。

人がうまくやっているところを見て、自分は情けないと思った時は?

では、人が何かをうまくやっているところを見て、それに比べて自分は情けないなと思った時はどうしたらいいのでしょうか?

例えば、人の成功を羨ましいと思って、その気持ちが少し強くなりすぎてしまったような時です。

そんな時もここまでご紹介してきたような見方をする、捉え方をしてみるのも良い方法だと思います。

もう1つ・・

羨ましいという気持ちの行き先は2つあると思います。

1つは、自分は情けないという気持ちです。

もう1つは、自分も頑張ろうという気持ちです。

例えば、悔しさを感じた時、その悔しさをバネにして大きく伸びてゆく人もいますが、羨ましいと思った時も、自分も頑張ろうと思えば、その気持ちは自分の力になります。

だけど、何かしらの形で自分のことを諦めてしまった時、その羨ましい気持ちは自分を苦しめてしまったりする。

そういう意味では、自分のことは諦めてはだめなのかも知れません。

羨ましく感じて、自分もそうなりたいという気持ちがあって、だけど、自分には無理だと思った時、その羨ましい気持ちが自分を辛くする。

羨ましく思うことも、自分もそうなりたいと思うことも、自分の力になることだと思います。

だけど、最後の自分には無理だというところだけは・・そう思うと、最初の羨ましい気持ちが自分を辛くさせてしまいます。

自分のことを諦めないといっても、同じようになる必要はないし、同じことをする必要もないし、同じ努力も必要ないと思うんです。

ただ、人にはきっと、その人なりの輝き方というものがあるのだと思います。

大事なことは誰かと同じように輝くことではなくて、自分にしかない輝き方を見つけることで、その輝き方を見つけるために、また、その輝き方で輝くために、自分がやれることをやってゆくことなのだと思うんです。

自分を磨く・・なんて言いますが、誰かと同じように磨く必要はないのかも知れません。

自分なりに、自分が輝けるように、自分を磨いてゆくことが大事なのだと、思います。

羨ましいという気持ちはそんな自分の輝き方を見つけるきっかけにすることができると、僕はそう思っています。

最後まで記事をお読みいただいて、ありがとうございました。
感謝。