人を信じられない。人を信じるためにはどうしたらいい?
信頼していた人に裏切られて、人を信じられなくなった。
そんなこともあるかも知れません。
その信じていた人が、そして、裏切った人が自分に近い人だったりすると、もう立ち直れないような衝撃を受けることがあります。
そんなことがあると、人を信じたり、信頼することが怖くなってしまって、(本当は相手を信じていたいという自分の本当の気持ちとは裏腹に)どこかで相手を信じきれない自分がいて、だから、相手と本当の意味でつながることができず、孤独を感じてしまうことも、あるかも知れません。
そんな時、何から始めたらいいのでしょうか。
今回は、信じていた人に裏切られてしまったことで、人を信じられなくなった時・・・どうしたらまた人を信じられるようになるかということについて、考えてみたいと思います。
今すぐに信じられなくてもいい
どうしても信じられない。人を信じるのが怖いということもあるかも知れません。
人に裏切られたりした時は、それは当たり前のことで、どうしても信じられない時、人を信じるのが怖い時は、信じられなくてもいいと思うのです。
少なくとも、今は。
今は、信じられなくてもいい。
そうやって自分の今の素直な気持ちを受け入れてみると、少し心が楽になれることがあります。
怖くていいと思うんです。信じることが。
怖くてもいいけれど、ただ、それを否定しない方がいいかも知れません。
つまり、怖いと思っちゃだめだとは、思わない方がいい。
というのも、「自分は怖いんだな」と今の自分の本当の気持ちを受け入れてからでないと、うまく先に進めないことがあるからです。
怖いと思っちゃだめだと思うと、自分の本当の気持ちを誤魔化さないといけません。
それでも無理に人を信じようとしたら、自分に嘘をついていることになります。
自分に嘘をつくと、不思議なもので、相手も同じことをしているのだろうと思えてきてしまう。
つまり、相手も嘘をついているように思えてきて、人を信じられなくなったりすることがあります。
だから、自分は怖いんだ、と。信じることが怖いんだよ、と。そして、今はそれでもいいんだ、とそう思ってみます。
すると隠すものもなくなって、自分に嘘をつく必要もなくなります。
人に裏切られて、人を信じられなくなった時は、そんなところから、はじめてみてもいいのかも知れません。
そんな風にして自分に正直でいることを続けてゆくことで、少しづつ、人を信じることが怖くなくなってゆく・・そんなこともあると思います。
その次は何をしたらいい?
自分に正直でいることを続けてゆくことで、自分に嘘をつかないことを続けてゆくことで、もし、気持ちに変化が出てきたら、次は何をしたらいいのでしょうか?
人を信じるのが怖い、というこの「怖い」という感情は、自分を守るためにやってくることが多いようです。
「怖い」と思うからこそ、無闇に人を信頼しないで済むわけで、それは悪いことばかりではなくて、良いことでもあると思うのです。
ただ、怖いという気持ちが大きくなりすぎると、誰も信頼することができなくなってしまって、人に裏切られることもなくなりますが、相手とつながっている感覚も得られなくなってしまうかも、知れません。
こんな時は、少しだけ、自分を守ろうとすることをやめてみると、怖さがその分だけ薄れてゆくことがあります。
勿論、自分は守らなくてはいけないわけです。生きてゆくためには。
だけど、守り過ぎているのだとしたら、その過剰な部分を少しやめてみると、怖いという感情をその分だけ捨てることができるようになることがあります。
でもその守ることをやめるのが難しいわけで、じゃあ、どうやったら、守り過ぎてしまうことをやめることができるでしょうか・・?
今回の場合、自分を守りたくなるのは、傷ついてしまったから・・なのかも知れません。
裏切られてしまったり、残念な思いをしたり、悲しい思いをしたり、そんなことが重なると、もうそんな思いはしたくはないと、必要以上に自分を守りたくなることがあります。
すると、今までのように人を信じられなくなったりしてしまう。人を信じることが怖いとまで思えてくる。
そんな時にできることがいくつかあります。
傷を癒すこと
1つは、傷を癒すことだと思います。
裏切られてしまったり、悲しい思いをしたのであれば、その傷をまず癒すこと。
転んでできた擦りむき傷と違って、人に裏切られてできた傷は、綺麗に消えたりはしないかも・・知れません。
だけど、癒すことはできるかも知れない。
例えば、過去の嫌な記憶が何かのきっかけで湧き上がって来たりすることがありますが、それは、癒されたくて湧き上がってくるものかも、知れません。
癒し方は色々あると思います。
専門家のカウンセリングを受けてみることも一つの方法かも知れません。心理療法といって、薬ではなくて、心を訓練してゆく治療方法もあります。
また、何か過去の嫌な記憶が湧き上がって来たときに、
「考えないようにしよう」
と思うことは、その傷を癒していることにはなりません。
そんな時は、「考えないようにしよう」よりも「辛かったよね」「あんなことを言われたら、嫌になって当たり前だよ」と自分を自分の大事な親友だと思って、自分に語りかけてみることも、とても効果があります。
自分にかける言葉を変えてゆく。すると、自分自身に対する感じ方というものもどんどん変わってゆきます。
そういう傷の癒し方もあります。
その人を信じようとした「自分」を信じてみる
傷が癒えてくると、相手を信じてみようかなと思える瞬間がやってくるかも知れません。
ここからは少し「人を信じるということはどういうことか?」ということについて、考えてみたいと思います。
人を信じる・・ということは、こういうことである・・というのは、人によって変わってくるものだと思います。
ただ、僕は、人を信じるということは、自分を信じるようなものかも知れないなと、ある時からそう思うようになりました。
ちょっとわかりにくいかも知れませんが・・
人を信じるとは、その相手を信じるということよりも、その相手を信じようとした自分を信じてみること、かなと。
少し話はそれますが、
「人が何を考えているか・・なんてことはわからない。」
これはある心理の専門家の言葉ですが、その言葉を聞いた時、「なるほどなぁ」と思いました。
専門家でも人が何を考えているかなんてわからない。だから、この人はこういう人だから信頼できる・・・なんてことも、本当の意味ではわからないのかも知れません。
こうしたら、この人のこういうところを見たら信じられるかどうかがわかる・・・というものも、ないわけではありません。
ただ、それでも本当のところはわからない。
だけど、自分のことであれば、わかります。
自分がその相手を信じたいのかどうかは自分でわかっているはず。
もし、その相手を信じたいと思ったら、信頼できる人だと思ったのなら、そう思った「自分」を信じてみる。
それなら、全ては自分の中で完結しています。
もし、万が一、自分が思ったことが間違っていたとしても・・相手ではなくて、自分を信じたわけですから、相手に裏切られたわけじゃない。
ただ、自分が間違っていただけで。
勿論、それでも悲しいことに変わりはないわけですが、ただ、相手に裏切られたというより、ただ、自分の考えが間違っていたんだと思えたら、悲しい気持ちにはなっても、立ち直れない、人を信じることが怖い・・・というところまでは行かずに済むかも知れません。
自分のために信じてみる
人を信じるのは、誰かのためじゃなくて、自分のため・・でいいと僕はそう思ってます。
誰かのため、相手のためとか、または、それが正しいことだから・・とかではなく、自分のために信じてみる。
人を信じることで自分が得られるものって沢山あると思うのです。
例えば、つながりとか。
人を信じなければ、傷つくこともなくなるかも知れませんが、ただ、信じないということは距離を置くということで、つながりのようなものも感じられない。
だからといって、誰でも信じましょう・・とはならないわけで、本当に信じたいと思えた人だけ、でいいと思うんです。信じてみるのは。
ただ、誰かのためではなくて、自分のために信じてみる。
少なくとも、人に裏切られてしまって、人を信じることが怖くなった時には、そこからもう一度スタートしてみてもいいのかも知れません。
勿論、相手を思って、相手を信じてみることだって、時には大切なことだと思うんです。
ただ、最初は「自分のため」でいいのかも知れません。