不当に恵まれた人への嫉妬を手放す
同じように頑張っているのに自分だけが評価してもらえない・・・からの続きになります。
繰り返しになりますが・・・大して頑張ったように見えなくて、努力もしていないのに恵まれているように見える人。
例えば、容姿端麗で注目を浴びる人・・・裕福な家庭に生まれて欲しいものが何でも手に入る人・・・お金持ちと結婚して、豪邸に住んでいる人・・・。
そんな人と自分を比べてしまって、あまりよくない感情を抱いてしまうのは、相手の人が不当に恵まれていると思ってしまったから・・・かも知れません。
それは不公平のように見えるから・・・だと思うんです。
恵まれている・・・それがすごい努力をした結果のものであるなら、誰も嫉妬などはしないと思うんです。
だけど、容姿端麗など・・・すでに持って生まれたものがあって、さらにその人が注目されたりすると・・・公平ではないと、少なくともそう見えてしまいます。
そう見えてしまって、その感情が高まった時に人は嫉妬という感情を抱いてしまうのかも知れません。
不公平だから・・・相手によくない感情を抱いてしまう・・。
でも、その不公平というのは、もしかしたら、そうではないのかも知れません。
人は何かを得て、何かを失うもの
僕は人って、何かを得たら、何かを失うものだと、そう思うようになりました。
他人が羨ましいと妬んだり、嫉妬したことも勿論あります。今でも羨ましいなぁと思うことはよくあるんです。でも、嫉妬まではいきません。嫌な感情は湧いてこないようになりました。
それは物事の見方を少しだけ変えたから・・だと思ってます。
何かを得た人は何かを失った人でもあると思うんです。
・・・例えば、注目を浴びる人。多くの人から注目を浴びる人は、人気のある人でもあるのかも知れません。そして、それはその人の得た部分で。
でも何かを得たら何かを失う・・・それが本当だとしたら、何か失っているものもあって。注目されるということは、批判されるようになるということでもあります。
芸能人などはどんな人であっても全員に好かれるわけではなくて、根拠もないひどい悪口も言われたりします。
・・・例えば、裕福な家庭に生まれて欲しいものが何でも手に入る人。得たモノはお金に不自由しない・・・ということ、何でも手に入るということかも知れません。
失ったモノは・・・共感してもらえないことだったりするかも・・知れません。多くの人が持っていないものを持っている人は、共感してもらえない人でもあると思うんです。
それはとても寂しいことじゃないかな・・と思うんです。
そうやって、相手の得た部分、その一部分だけを見るのではなくて、失った部分も見ようとしてみて、(これは以前にもご紹介した考え方ですが)・・・相手の全部を見た上で、すべてを自分と交換したいと思うだろうか?と自分に問いかけてみます。
相手の羨ましいと思った部分、例えば、お金持ちであるとか、容姿とか友達が大勢いることとかだけじゃなくて、せっかくですから、家族も交換しましょう。友達も、住んでいる家も趣味も自分のペットも。
そうやって全部丸ごと相手と交換したいと思うか・・・?
・・・と考えた時、相手への嫌な感情はもしかしたら、手放せるかも・・知れません。
何で「全部交換したいか?」と考えたら、「まぁいいか」と思えるのか・・?
相手とすべてをそっくりそのまま交換したいか・・・本当に相手の失ったものに目を向けることができたら、そうは思えないかも知れません。
それはきっと、相手の失ったものと、自分が得ているものを比較できたから・・・だと思うんです。
嫌な感情になる時、他人に嫉妬してしまう時はその反対のことをしているわけで。
でも、その嫌な感情は自分が恵まれている部分に思いを向けた時に、少し捨てられそうな気が僕はしています。
僕は、いつも自分に言い聞かせていることがあるんです。
それが「何を見て、何を思うか」ということで、以前にもご紹介させていただいたことがありました。
ある方を見るのか、ない方を見るのか・・・ない方を見たら、簡単に自分が嫌いになれます。
人はその「ある方」、つまり、自分の持っているものや自分の良さって、一生懸命探さないと見つけられないものだと思うんです。
人と自分を比べてしまって落ち込んだ時というのは、「今はまさに自分の良いところを探す時ですよ」・・・という1つのサインなのかも知れません。
その一生懸命探さないと見えない自分の良さを見つけてゆくことも、前回お話させていただいた自己肯定感というものを高めてゆく1つの方法だと思うんです。