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こだわりととらわれの違いとは?こだわりが強いことは悪いことか?

何かに「こだわる」こと、何かに「とらわれる」こと。

この2つは似ているようで、実は大きな違いがあります。

今回はそんな、こだわりととらわれの違いについて、また、こだわりがある、こだわりが強いというと悪いことのように扱われることもあるかも知れませんが、こだわりが強いことは本当に悪いことなのか?ということについても書かせていただきたいと思います。

主体性があるかないか

まず最初にこだわりととらわれの違いから見てゆきたいと思います。

こだわりととらわれにはいくつかの大きな違いがあります。

その違いを見分けるため、または、自分がやっていること、考えていることは、「こだわり」なのか、それとも「とらわれ」ているのかを判断するためのキーワードは「主体性」になります。

主体性とは辞書で調べると「自分の意志・判断で行動しようとする態度」(出典:デジタル大辞泉 小学館)と出てきます。

こだわりにはこの主体性があります。
とらわれにはこの主体性がありません。

「こだわり」は自分がそうしたいからやっていることが多いですが(主体性がある)、「とらわれ」は、そうせざるを得ないためにやっていることが多いです。(主体性がない)

自分で決めているか、いないか

こだわりには、自分に決定権がありますが、とらわれは、自分で決めているというより、又は、自分の意思や判断で行動しているというよりは、そうせざるを得ない状態です。

また、こだわりには、全部ではなくても、自分でコントロールできる部分がありますが、とらわれは、自分でコントロールしているというよりは、何かにコントロール、または支配されている状態です。

こだわりも完全にはコントロールできない部分があるかも知れません。

例えば、部屋を綺麗にしてからでないと、仕事に集中できないというこだわりがある場合、仕事に集中するため、部屋を掃除したくなるわけで、その思いは完全に自分でコントロールできるわけではないかも知れません。

ただ、そうしたくなる思いは完全にはコントロールできなくても、その思いにコントロールされているところまではいかず、あくまでも決定権は自分にある、自分がそうしたいから、やっているわけです。

一方、とらわれの場合は、そうしなければならない状態であって、その思いに対して自分でコントロールできることが殆どなく、どちらかというと、その思いやそのとらわれている何かにコントロールされている、支配されている状態です。

得るものがあるか、ないか

こだわることで多少は自分が辛くなってしまうこともありますが、こだわることで得ているものもあるかも知れません。

例えば、自分はホームシアターのある家に住みたいという強いこだわりがあったとします。

そのこだわりがあるために、なかなかその条件にあった家が見つからずに苦労することもあるかも知れませんし、そのために余計お金がかかるかも知れません。

ただ、それでも、ホームシアターを手に入れることで、幸せな時間を手に入れることができるかも知れません。

こだわることで失うものもあるけど、得るものもあるわけです。

一方、とらわれている場合は、何かを得るというより、何か(多くの場合はマイナスな何か)を打ち消す必要があるために思っていることが多く、多くの場合、とらわれることで自分が辛くなってしまうことの方が多いかも知れません。

言い換えると、とらわれても、自分に得るものがない、または殆どないわけです。

だから、自分がやっていることが「こだわり」なのか「とらわれ」なのか迷った時は、自分はそのやっていることから何かを得ているのか、いないのかと考えてみてもいいかも知れません。

こだわりが強いことは悪いことじゃない

こだわりが強いことは悪いことではないと思います。
むしろ、いいことでもあると思うのです。

例えば、仕事の分野でもスポーツの分野でもそうですが、その世界で秀でている人の多くは何か自分なりの「こだわり」を持っていることが多いです。

そのこだわりがその人に個性を与えたり、またはそのこだわりが差別化につながって成功する人も多いようです。

こだわりが強い人の中には、その強いこだわりに、自分が疲れてしまう方もいらっしゃるかも、知れません。

もっと、色々なことにこだわらず、大らかでいれたら、と思ってしまったり。

そして、そうやってこだわりを捨ててゆくことで、自分が自由になれることもあるかも知れません。

ただ、こだわりが強い性格も、こだわりが強くはない性格でも、いいところばかりではないと思うのです。

こだわりがないから、いいことばかりかというとそうではないかも知れません。

こだわりが重要になってくることだってあります。例えば、仕事ではそういう場面が多いかも知れません。

こだわりが強いからこそ、できることがあるはずだと思うのです。

だから、こだわりが強いことは悪いことではないと、僕はそう思います。

「こうしたい」という思いを大切に、「こうあるべき」という思いを捨てる

「こだわり」の強さが時に、「とらわれ」に発展してしまうようなケースもあるかも知れません。

「こだわり」と「とらわれ」はここまでご紹介させていただいたように大きな違いがあるけれど、1つ間違えると、「こだわり」が「とらわれ」になってしまうこともあるかも知れません。

ではそうさせないためにはどうしたらいいでしょうか?

そのために必要なのは、「こうしたい」という思いを大切にすることと、「こうあるべき」という思いを捨てることだと思います。

「こうしたい」という思いで(それが思うように叶わなくて)苦しむこともあるかも知れません。ただ、「こうしたい」と思うから、得ることができるものもあると思います。

一方、「こうしたい」が「こうあるべき」という風になると、得るものより、失うものが多くなってしまうことがあります。

「こうあるべき」と思うと、そうではないものを避けなくてはならなくなることもあるかも知れません。

「こうしたい」はそうではなくて、何かを避けるというより、何かを目指してゆく思いです。

どちらが楽か?というと、恐らく、後者の方、何かを目指してゆく方だと思うのです。

「こうしたい」と「こうあるべき」は似ているようで、違っていて、どちらも同時に持つことはできません。

「こうしたい」という思いを大切にすれば、「こだわり」が生まれ、「こうあるべき」と思えば、「とらわれ」てしまう。

こだわりを持つためには、「こうあるべき」という思いや、言ってみれば、世の中の不条理のようなものへの執着を捨てる強さが必要なのかも知れませんね。