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上から目線の自分、謙虚になれない自分を直す3つの方法

つい上から物を言ってしまったりすることがあったりします・・。
勿論、そんなつもりはないのに結果的に考えてみたら・・・です。

僕は謙虚でいれない自分を情けないと悔やんで、恥ずかしくて、そんな自分が嫌になっていたことがありました。

だけど、やっとその原因がわかったんです。

1.本当は認めて欲しい気持ち

謙虚になれなかった理由の1つは、認めて欲しいという気持ちが心のどこかにあるから・・・そう思いました。

認められたい、評価されたいという欲求があって、それが何らかの理由で満たされないまま大人になってしまうと、大人になっても認められたいという気持ちが強く出てしまうことがある・・・ある専門家の方がそんな風におっしゃっていました。

その気持ちがあると・・・謙虚にはなれない。そう思った時、この認めて欲しいという欲は捨てた方がいいと・・・そう思いました。

そのために何ができるだろう・・・そう思った時に面白いことに気づきました。それは逆のことをすると、つまり、認められたいという欲を捨てるには、相手を認めようとすることだと。

相手を認めよう・・・そう思った時、何故か認めて欲しい欲がなくなっていたりします。

この人はすごいな、この人はこんなところが立派だな・・・そうやって人の良いところ探しをしてゆくと・・・なぜかその相手に向けた思いのようなものが自分にも返って来たりします。

相手から返ってくることもあるし、そうでなくて、自分の中から何か違うものが返ってくることもあって。

認めてもらうことに一生懸命だったのに、認めてみようと思った時に、その思いを捨てられていたなんて・・・とても面白いものだなぁ・・と思いました。

2.自信がないこと

本当に自信がある人は他人の評価などは必要ないのかも・・・知れません。ところが、自信がなかったり、中途半端な自信しかないと他人に評価を求めたくなって・・。

そういう気持ちの裏返しが、謙虚にどうしてもなれない自分につながっていたりするのかなと・・。

本当の自信というのは自分の中で完結するものなのではないかなと、ある時思うようになりました。それは他人の評価に依存する必要はないのではないかなと。

もし、自分には本当の自信がないと思ったら、まず自分で自分のことを評価してあげる必要があるんじゃないかなと・・思ったんです。それは自画自賛するということではなくて・・・客観的に自分を見るというか・・。

自信がある人は普段から自分に対してポジティブな言葉をかけていたりします。ところが、自信がない時は他人には強がってみせても、心の中では自分に対してネガティブな言葉をかけていたりするんです。

自分を客観的に見てみて、その中に、こういう自分でもいいかなと思えるものを見つけてゆく、そういう風に思えることを実践してゆく中で・・・自信というものは自ずとついてくるのではないかなと、そこに他人の評価というものは本当は関係ないんじゃないかなと・・・僕はそう思ったんです。

3.実るほど頭を垂れる稲穂かな

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」・・・僕が大事にしたいと思っている言葉なんです。

稲穂は実ってくるほどに重くなって、頭が下がってくるような形になります。人も同じで学びをどんどん重ねてゆくほどに、他人に対しては謙虚な態度で接することができるようになるもの・・・そういう意味だと思っています。

ある方が多くのことを学んでゆくと、自分がいかに小さい存在であるかということに気づくとおっしゃっていました。そして、人は誰もが自分より優れた点が必ずあるものだと。

それをお聞きして、はっとなりました。
自分は勉強不足なんだと思い知らされました。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

人に対して謙虚な自分になるには学び続けるしか方法がない・・・僕は自分にそう言い聞かせました。