職場での評価、仕事に対する評価が不公平で悔しさを感じた時は?
職場における評価が不公平だと感じてしまう。
そんなこともあるかも知れません。
会社における人事制度も色々とあって、年功序列と決めている会社もあるかも知れません。
ただ、成果主義と言いながら、実際は年功序列であったりすることもあるかも知れませんし、また、成果主義ではあるけれど、明らかにえこひいきされている人がいるケースであったり、または、仕事をしていないのに評価が高い人がいるということもあるかも知れません。
今回は、職場、会社での評価が不公平だと思った時に、どうしたら、自分の気持ちを落ち着かせて、今の状況を前向きに乗り越えてゆけるか?ということについて考えてみたいと思います。
えこひいきされたり、仕事をしていないのに評価されている人がいる
本来であれば、仕事に対する評価というのは、公平であるべきだと思います。
一生懸命、努力して頑張った人が評価されるべきだと思います。
努力していない(ように見える)人であったり、仕事をさぼっているような人が上手に上司に気に入られて、頑張っている自分と同じ評価だったり、努力を続けている自分よりも評価が高いというのは、誰だって悔しいものだと思うのです。
ただ、もし、上手に渡り歩いているだけで、仕事に対して不真面目であったり、さぼったり、やるべきことをやらなかったりしているのであれば、いつか、やったことに対して、それなりの責任を自分で取ることになるのではないかなと、思います。
実際にそうやって、ある日、突然解雇されるケースも多々あります。
そうなった時に、それまで真面目にやってきた人がそれまでよりも評価されることも多いわけで、そういう意味では、仕事をさぼったり、一生懸命でない人というのは、真面目に仕事に取り組んでいる人達の引き立て役なのかも、知れません。
真面目な人ばかりの会社であれば、真面目であることが当たり前なわけです。
不真面目な人がいるからこそ・・真面目な人が引き立つのであって。
仕事に対して、不真面目な人に腹が立った時は、そんな風に考えてみてもいいのかも知れません。
ただ、中には、不真面目というわけではないけど、不公平だと思うような評価のされかたをしている人もいるかも知れません。
えこひいきされているような、そんな人であったり。
えこひいきされている人がいると思う 77%
以前、100人以上を対象に職場でえこひいきされている人がいると思うか?・・・というアンケート調査が行われています。
その結果はこんな形になりました。
【職場でえこひいきされている人がいると思うか?】
いる・・・77%
わからない・・・10%
その他・・・7%
いない・・・6%
全体の77%が、職場にはえこひいきされている人がいると回答しています。
同じように努力しているのに、または、自分の方が頑張っているのに、仕事の内容から見ても自分の方が評価されるべきだと思うのに、そうではなかったりすると、やっぱり悔しいものだと思います。
だけど、実際には、この調査結果ではないですが、そういった会社、職場が多いのかも知れません。
じゃあ、そんな不条理な世の中で、または、不条理な会社の中にいるのだと思った時、自分には何ができるでしょうか?
次にそんなことについて考えてみたいと思います。
仕事では、時に少しずる賢い位でいい
評価されるべき人が評価されないということは、社会の中で頻繁にあることだと思います。
優秀な人が評価されるとは限りません。
優秀なのに、評価されない人は大勢います。
努力しているのに、努力していない人と評価が一緒なのは、おかしなことだと思います。
ただ、そういう世の中なんだと知った時に大事なことは、自分はどうするのか?ということなのだと思うのです。
相手(上司や会社)を変えることはできないと思います。世の中も変わらないかも知れない。
変えられるものがあるとすれば、自分だけなのだと思うのです。
じゃあ、どうしたらいいのか?
ということですが、まず、その会社で評価される人の特徴を探ってみることも良い方法かも知れません。
評価をするのは人ですから、何か傾向があるかも知れません。
「会社は好き嫌い人事で成り立っている」
そんな風に指摘する専門家の方もいらっしゃいますが、そんな会社もあるかも知れません。
そんなことを知った時は少し賢く、反発するよりも、何が好かれて、何が評価されるのか?ということを探ってみる必要があるのかも知れません。
評価をするのは人なのですから、少し立場を変えて、評価する側の立場になって、自分だったら、どんな人を評価するだろうか?どんな人だったなら、えこひいきしたくなるだろうか?と考えてみます。
すると、自分がやるべきことが見えてくるかも、知れません。
ここで少し、例え話になりますが・・
自分は小料理屋を営んでいたとします。
上司は、その小料理屋にやってくるお客さんのようなものだと考えてみます。
小料理屋にやってくるお客さんは、料理の腕だけでは・・常連客にはなってくれないかも、知れません。
それだけでは、えこひいきしてはもらえないと思うのです。
お店では、お客さんにえこひいきしてもらう必要があると思います。繁盛店になるには。
えこひいきしてもらう理由をお客さんに与えないといけないというか。
実際の職場でも、上司(社長、上司、または自分に評価を下す人)は上司ではなくて、自分のお客さんだと思ってみた時、何か、自分にできることやそのヒントが見えてくるかも知れません。
そんな考え方をしてみるのも一つの方法かも知れません。
自分がやったことに対して、しっかりと評価してもらうためには。
ただ、そこまでして、評価されても嬉しくないと、自分がおかしいと思っている人事制度の中で、評価されても・・・と思われる人もいらっしゃるかも知れません。
確かに、そうかも知れません。
しかし、そのおかしい人事制度を(自分が上に行って)変えるために、そうやって、努力を続けているような方もいます。
僕は仕事では時に、少しずる賢い位でもいいと、そう思ってます。
特に不条理な会社の制度の中では。
人には、評価される場所、求められる場所、輝ける場所があると思う
不条理な会社の中にいると思った時に自分にできることは何か?ということについて少し見てきました。
ただ、ここまで書いてきておかしなことを言うようですが、僕は人には、求められる場所というか、輝ける場所というか、そんな場所が必ずあるように思ってます。
以前の会社ではひどい評価だったのに(ひどい扱いだったのに)、転職してから、非常に高く評価されるようになったという人もいます。
そういう意味で、人には、自分の力が発揮できる場所というものがあるのかも知れません。
もっともそれは、今の会社かも知れません。
ただ、今までの自分のやり方が少し間違っていただけかも知れない。ただ、今の上司と合わなかっただけかも知れない。
ただ中には、成果主義といいながら、実際には年功序列のような評価しかしてくれない会社もあるかも知れません。
それがわかった時、そのやり方を受け入れるのも一つの方法だし、それをきっかけにして、自分が本当に求めている働き方を見つめ直してみるのも一つの方法なのかなと、思うのです。
これは僕の古くからの友人の話ですが、彼はとにかく優秀な人で、だけど、不器用というか、よく言えば、真面目で正義感が強いのですが、悪く言うと自分を曲げるのが嫌いで、世渡り下手というか。
彼は、勤めていた会社で、新しいプロジェクトをいくつも立ち上げてゆくほどの優秀な人材だったのですが、正当に評価してもらえることはなく、悔しい思いを沢山したそうです。
ただ、彼はその悔しい思いをきっかけに、自分は本当はどんな仕事、働き方をしてゆきたいのだろうか、と考えるようになった。
その後、彼は自分が本当にやりたかったことを見つけ、転職。
以前の会社では正義感の強さがあだとなったわけですが、新しい会社ではむしろ、その正義感の強さと自分を曲げない姿勢が評価されて、「あの時の悔しい気持ちが報われた」と話してくれました。
悔しさは力のある証拠。悔しさは自分を動かすエンジンのようなもの
僕は悔しさというのは、まだ、自分にできることがあるという証拠なのだと思ってます。
そして、その力がある証拠だと思うのです。
悔しさがあるから、人は成長できるものだと思います。悔しさがなくなってしまったら、人の成長はそこで止まってしまう。
満足できないから、その満足を求めて、動き出そうと思えるわけです。
そういう意味では悔しさというのは、自分を動かすエンジンのようなものではないかな、と。
悔しさというものは、誰かを責めるためのエネルギーに使うこともできますが、それよりも、これからの自分のために、自分が求めていたものを手に入れる力に変えようとしてみてもいいのかも知れません。
悔しい時に、ぐっとこらえること。
それがきっといつか、自分の大きな力になります。