長い付き合いの友達や親友と縁を切りたいと思った時に考える3つのこと
おかしな相談室
「長い付き合いの友達と縁を切りたいのですが、踏ん切りがつきません。昔はよく一緒に遊んだ親友のような存在だったのですが、社会人になった頃から少しづつ違和感を感じ始め、相手が結婚したあたりから合わないと感じるようになりました。
何ていうか自分以外の人に全く興味がないというか、自分勝手というかわがままというか。会う度に疲れたり、すごく悲しくなってしまうので、もう自分の中で拒絶反応が出ています。
ただ、昔のように話せる時もあるし、昔彼女にしてもらったことに感謝もしていて、だから、「もう限界、縁を切りたい」と思いながら踏ん切りがつかずにいます。
長い付き合いの友達と縁を切りたいなんて思っている自分も嫌だなと思ったりします。
思い切って縁を切った方がいいと思いますか?」
長い付き合いの友人、親友だった人とそんな風にして合わなくなってしまうのは、本当に寂しいことですね。
どうでもいい人に対してそんな風に思ったりはしないと思うんですね。
恐らく、相手に対して色々な思いを送ってこられたのではないかなと思います。
また、そういう思いを返してもらえなかったり、無視され続けたからこそ、そのように思われたのではないかな、と。
冒頭のお話を少しまとめると、
- 違和感をすごく感じているけど、昔してもらったことに感謝もしていて縁を切れない
- 縁を切りたいと思う自分も嫌になる
- 縁を切った方がいいかどうか?
という3つがポイントになると思いますが、今回はこの3つについて見てゆきたいと思います。
目次
感謝の気持ちに振り回されて、自分の素直な心に従えない時
最初の「違和感をすごく感じているけど、昔してもらったことに感謝もしていて縁を切れない」ということですが、昔、相手がしてくれたことだったり、それに対する感謝の気持ちがあると、やっぱり、自分の素直な気持ちに従うということがなかなか難しいですよね。
それに、今はどうであれ、してもらったことに対する感謝の気持ちを持つということはすごく大事なことだと思います。
それは友達に対する本当の優しさだと思うんですね。
相手に対する優しさって、関係がうまくいっている時は比較的簡単に持てるものだと思うんです。
ただ、こんな風に関係がうまくいっていない時に、相手への優しさを持つのはすごく難しいことだと思います。
ただ、これは色々な場面で言えることかも知れませんが、例えば、「昔の相手に対する感謝の気持ち」が原因で、今の自分の素直な気持ちに嘘をついたり、自分を犠牲にしているような時は、感謝の気持ちにあまり振り回されないようにする必要もあるかも知れません。
もっとも、相手がしてくれたことに対する感謝の気持ちというのはすごく大事なものだと思うのです。
ただ、その気持ちに振り回されてしまって、今の自分の本当の気持ちに嘘をついて、自分を犠牲にしたりすると、それが「私はこんなにやっているのに」という気持ちになったり、相手に対する残念な気持ちに変わってしまうことがあります。
そんな時は、感謝の気持ちにあまり振り回されないように注意する必要があるかも知れません。
感謝の気持ちにあまり振り回されないようにするといっても、色々なやり方があると思いますが、「~してくれた」という気持ちに振り回されている時は、「したことが返ってきた」と考えてみてもいいかも知れません。特に今回のような例では。
何かをしてもらうのが申し訳ないと思って、何かを受け取るのが苦手という人もいらっしゃるかも知れません。
そんな時は、「何かを返さなきゃ」と思っていて、だから、何かをしてもらうのが苦手だったりして。
ただ、心理学には返報性の原理(何かをしてもらうと、自分も同じように何かを返したくなる心理のこと)という言葉もありますが、相手はお返しとして、自分に何かをしてくれたのかも知れません。
ちょっとややこしい説明だったかも知れませんが・・
ただ、相手はすでに「あなた」から何かを得ていて、そのお返しとして、何かをしてくれた・・のかも。
「与えたものが得るもの」
という風に言われることがありますが、得るということは、与えているということでもあると思うんですね。
これは、自分が与えている感覚はなくても、相手は得ていることも多いので、自分では気づかないことも多いのですが・・
少し話を戻すと、「~してくれた」という気持ちに振り回されている時は、言い換えると、「お返しをしなくてはいけない」という気持ちに振り回されている時でもあるのかなと思います。
だけど、相手はお返しとして「~してくれた」のかも知れなくて、だから、こちらから、さらなるお返しはもう必要ないのかも。
もっとも、色々なケースがあると思うので、一概に全部そうですとは言えませんが、ただ、友人関係というのはそういうことが多いように思います。
「与えたものが得るもの」なのだと思います。
違和感を感じたまま付き合ってゆくのはいいこと?
違和感をすごく感じている・・ということですが、違和感を感じたまま付き合ってゆくことはいいことでしょうか?
違和感といっても、一時の違和感で終わるということもあると思うんですね。
例えば、相手に何か大変なことがあった後だったり、何か大きなショックを受けた後、または、病気になってしまったりして、体調が思わしくないような時は本来の相手ではないわけです。
だから、当然違和感も感じるわけで、そういった違和感であれば、いずれは解消されることもあると思います。
ただ、そういうことじゃなくて、一時の違和感じゃない時は、自分の素直な気持ちを尊重してもいいように思います、僕は。
自分が違和感をすごく感じたのだから、それでいいいと思うんですね。
色々な正義があると思うんです。自分の中に。こうするのが人として正しいことだ・・という。
だけど、感情的に考えるんじゃなくて、冷静になって理性で考えてみて、それでも違和感を感じるのであれば、そこには自分なりにそう感じた真っ当な理由があるはずだと思うんですね。
そういったこと、自分の素直な気持ちを無視して付き合っていっても、恐らく、自分にとっても、相手にとってもいいことはないかも知れない。
自分の気持ちを犠牲にして何かをすると、「やってあげているのに」という気持ちがどうしても湧いてきます。
そういう気持ちがあると、もう何をやっても関係は良くならなかったりして。
だから、自分に嘘をついたり、自分を犠牲にするのは、お互いにとって良いことではないかも知れないなと。
「縁を切りたいと思う自分も嫌になる」
長い付き合いの友達なのに、昔の親友なのに、縁を切りたいなんて思っている自分も嫌になる・・というのはそうですね。
それが友情なのですよね。
どうでもいい人に対してはそんな風には思わないだろうし、友達を雑に扱う人でもそんな風に悩んだりはしないでしょうから。
だから、すごく大事なことなんだと思います。
「縁を切りたいと思うなんて」と一度立ち止まってみることは。
ただ、1つ言えることは、「縁を切りたい」と思ったということは、縁を切りたいと思うほどの衝撃を自分が受けてきた・・ということでもあると思うんですね。
多くの人は、ちょっとやそっとのことでは長い付き合いの友人に対して「縁を切りたい」とまでは思わないと思います。
言い換えると、そう思うだけの事情が自分にはあるということだと思います。
縁を切った方がいいかどうか?
「縁を切った方がいいと思いますか?」
ということですが、これは人には決められないことだし、人に決めてもらうと恐らく後悔します。
どんな決断でも、自分で決めたのであれば、「自分がそうしようと思ったんだから」と思えます。だけど、人に決めてもらうと、どうしてもその人のせいにしたくなってしまいます。
ただ、こうした方がいいということではなくて、1つの選択肢として、縁を切る前にできることもあるのかなとは思います。
縁はいつでも切れます。
だけど、一度切ってしまった縁を結び直すのはとても難しいです。
縁を切るというのは、最後のカードだと思うんですね。それは最後のカードでいつでも出せるけど、出してしまったら、そこで終わりです。
だから、特別な事情がない限り、長い付き合いの人といきなり縁を切るのは、僕はあまりいい選択肢ではないように思っています。
じゃあ・・ということですが、距離を置くというのが1つの選択肢なのかなと思います。
物理的にも、心の中でも、距離を置いてみるというか。少し離れてみます。
お誘いがあっても、上手にお断りしてみる。
こんな時は嘘も方便だと思うんですね。これはただの嘘ではなくて、友達との縁を何らかの形でつないでゆくための嘘なので。
「どうやって距離を置いたらいいですか?」
と聞かれることがありますが、距離を置く際は、いきなり離れるのではなくて、徐々に離れていくといいかも知れません。少しづつ連絡を減らしていって、少しづつ会う機会を減らしていって・・という風に。
心の中でも距離を置く・・と書きましたが、どういうことかというと、相手は、少なくとも今はそういう人なのだと諦めることが心の距離を置くことになると思います。
反対に、「なんでわかってくれないの?」「なんで人の気持ちを無視するの?」という風に相手に変わることを求めると、心の距離が近くなり過ぎて、自分が苦しくなることがあります。
諦めれば、心は自由になれます。
諦められないのは、悲しいから・・ということも多いわけですが、ただ、諦めると、その気持ちも手放せたりします。
諦めるということは、自分が大人になるということでもあると思うんですね。だから、諦めるということは、イコール、成長するということでもあって。
でも、何故、すぐ縁を切るのではなくて、距離を置くのか・・・というのは、縁はいつでも切れるから、切ったらそこで終わりだから・・・というのもありますが、もう1つ理由があって。
それは、人は変わってゆくものだからということです。
昔は親友だったのに、今は全く合わなくなってしまった・・というのは、相手が変わった、もしくは自分が変わった、お互いが変わった・・ということだと思います。
それはでも、またこれからどちらかが、またはお互いが変わる可能性があるということでもあると思うんですね。
「諸行無常」という言葉があります。
「諸行無常」とは、何も変わらないものはないという意味ですが、人も同じで、少しづつ変わってゆくものだと思います。
だから、いつかまた、昔のように戻れるかも知れないわけで、たとえ今はその可能性は低くても、ゼロではないわけです。
だからこそ、縁は切らないでおいた方がいいのではないかなと、僕はそう思っています。
縁を切るにしても切らないにしても、または距離を置くにしても・・辛い決断であることに変わりないわけですが、ただ、どのような決断であっても、最後は自分が笑っていられる方を選ぶことが、自分のため、ひいてはお互いのためになるのではないかなと、僕はそう思います。