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親友や友達と価値観が合わなくなったり、違和感を感じるようになったら

昔からの親友であったり、仲の良かった友達の存在は自分の支えだったりします。

そして何よりそんな友達と一緒にいると自分が元気になれたりする。

それなのに、例えば、環境が変わったり、または何かしらの理由で疎遠になったり、学生から社会人になったり、そんな風にして、いつからか、そんな親友や友達と価値観が合わなくなったと感じることがあるかも知れません。

昔は感じなかった違和感を感じるというか、何かが違うように思ってしまう。

会いたいけど、会いたくはないような気がして、それは何だかとても悲しい気持ちになるものだと思いますし、そんな風に思ってしまう自分を責めたりもして。

今回はそんな、親友や友人と価値観が合わなくなってしまったり、違和感を感じるようになってしまうことについて考えてみたいと思います。

目次

何故合わなくなるのか?

あんなに楽しい関係だったのに、違和感なんて感じなかったのに、何故?価値観が合わなくなるなんて、思いもしなかったことだと思うのです。

ところが、そんなことが起こってしまったりする。

人の価値観というものは変わらないように見えて、実は少しづつ、時には大きく変わってゆくもののようです。

それをお釈迦様は「諸行無常」(しょぎょうむじょう)と教えてくださったのですが、「諸行無常」とは、何も変わらないものはないという意味です。

人も同じように変わらない人は残念ながらいないのだと、思います。

姿形も変わっていきますが、同じように、見えなくても、そうは思えなくたって、人の心も少しづつ変わってゆくわけで。

でも、それはその人が成長した・・ということでもあったりして。

例えば、昔の親友と合わなくなった。それは相手が変わったからかも知れませんし、自分が変わったから、なのかも知れません。

それはまた、お互いに成長したから、かも知れません。

それは残念なことでもあるし、お互いが成長したという証拠なのかも知れません。

だけど、「諸行無常」の世の中である限り、人も変わり続けてゆくし、それはほんの少しの違いかも知れないけれど、そのほんの少しが大きな違和感になってしまうこともあるかも知れません。

それは誰が悪いというわけではないのかも知れません。

だけど、変わってゆくことは、それは悲しいことでもあるけど、どうしようもないものなのかも知れないですね。

それぞれにあるライフステージ

人にはまた、それぞれにライフステージというものがあるようです。

それぞれに用意されたステージが人生にはあって、例えば、今は仕事に一生懸命になる時、今は主婦業に一生懸命になる時、家族との時間を大切にする時・・・という風に「今はそういう時期」というものが必ずあるものだと思います。

その「時期」や「ライフステージ」によって、その時々で、価値観も少しづつ変わってゆくものだと思いますし、それはすれ違いの原因にもなるのかも知れません。

ただその違いやすれ違いは、特に昔、親友だった相手であれば、お互いに合うと感じていた仲だけに、その分ショックも大きくて、そのすれ違いをすごく残念に感じると思うんです。

その変わりゆくライフステージというものは、例えて言えば、人生の道のりのようなものかも知れません。

例えば、学生の頃は、1本の道があって、その道を親友と一緒に笑いながら歩いていて楽しかった。

でも、その道は2つに分かれることがあって、お互いに進むべき道が違っていて。

そうやって離れ離れになることで、価値観、感じ方であったり、考え方、その時の悩みであったり、その時に大切に思うもの・・・というのはどうしても違ってくるのかも、知れません。

でもそれはお互いがお互いにとって大事な道を進んだ結果で、先ほども書かせていただきましたが、どちらが悪いわけでもないのかも知れません。

ただ、そういう風にして道が分かれることがある。

でも、その2つに分かれた道はいずれまたつながるかも・・・知れません。

お互いに「今これをやるべき時期」というものがふっと終わった時、その道は重なるかも、知れないんです。

その時はまた、昔のような二人に戻れるかも知れません。

今は無理に合せなくていい

そうやっていつかまた、二人の道がつながゆく瞬間がやってくるかも、知れません。

僕自身、親友や友人と疎遠になってしまうことがこれまで多くありましたが、そんな時は、いつかまた、道がつながってゆくと信じようとしてきました。

そう思ってみた時、心は少し、楽になれます。

話はまた少し変わりますが、

「何か違う。」

と違和感を感じた時、

1)友達なんだからと無理に合せようとする人
2)違うと思ったら無理をしない人

にわかれるかと思います。

前者の方を選択してしまうと、苦しくなってしまうことがあるかも知れません。

そして、時には自分らしさを失ってしまったりもする。

後者を選択するのは勇気がいることかも知れません。

「何か違う」と思ったら無理をしない・・・というのは、ある意味、二人の関係を諦めることでもあり、それは勇気がいることだと思います。

だけど、その方が自分らしさは失わないで済むのかも知れませんし、寂しさはあっても、お互いに違和感を感じながら苦しむこともないのかも、知れません。

二人の関係を諦めると書きましたが、それは「今は」ということだと思うんです。

「今は」諦めて、言い換えると、今はお互いの違いを受け入れて、無理に合せようとしない。無理に会うこともせず、無理に話を合わせようともしない。

少し離れてみるわけですが、そうすることで、「諸行無常」ですから、また、どちらかが、またはお互いが変わってゆくかも知れません。

その後に会った時、今感じている違和感はなくなっているかも知れない。

無理に合せないで自分が自分でいようとすることで、寂しくなることもあるかも知れませんが、ただ、その方が自分らしくいられるのかも知れません。

また、自分らしくいることで「今は」うまくいかない関係もあるかも知れませんが、だけど、それを受け入れてみることで、また時間が二人を変えて、二人の価値観を少しづつ変えてくれて、また、お互いが笑顔で会える日が来るかも知れません。

そこからまたはじめてみることで、もっとよい関係になれることだってきっとあると、僕はそう思っています。

最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。
感謝。