夫婦喧嘩が多い夫婦と少ない夫婦の小さな違い
夫婦でも、夫婦喧嘩が多い夫婦とそれほど多くない夫婦がいます。でもその違いなんて実は小さなものだったりするのかも知れません。
少なくとも僕はそう感じています。
僕は以前は自分の考えは相手にはっきりと伝えるべきだと思っていましたし、わかりあえないことがあれば、ちゃんと話し合うことが大切で、時にはお互いに歩み寄る・・・ということが大事なのだと、そう思っていました。
歩み寄るというのは、とてもよい解決策のように思っていました。でも、そうするまでに相手と喧嘩になったりすることが多かったんです。
僕は結婚してからもう10年以上が経ちますが、妻とあまり喧嘩をしていません。年に数回ちょっとした言い合いになる程度です。
でもそれは僕が結婚して成長したから・・・ではなくて、妻がやってくれたこと・・・が大きな要因だったように思うんです。
理性で主張していても、その裏にあるのは「感情」
夫婦喧嘩のはじまりは、どちらかが、またはお互いが自分の主張を相手にすること・・・だと思います。
この方が正しい、普通はこう考えるものだ・・・というように理性で自分の正当性を主張しているかのように見えます・・・でもその裏にあるのは、「自分の思うことをそのまま受け入れて欲しいのに、それをしてくれない」という相手に対する苛立ち(悲しみの裏返し)・・・という感情ではないかな・・・と思うことがあります。
だからこそ、お互い言い合いを続けているうちに、何が問題だったのか、何を解決したらいいのかがわからなくなってくることがあります・・。
それは自分が抱えた感情を隠して、理性で相手を自分の思うように変えようとしたから・・・ではないかなと。
でもそんな時は、かえって自分の素直な感情の部分、悲しかったことや辛かったこと・・・そういうことを相手に伝えた方が、相手にもその気持ちが伝わるのではないかなと思ったりします。
自分が素直になると相手も素直になってくれたりして。
自分がして欲しいことをしてあげる・・・それが自分がして欲しいことをしてもらうための一番の方法なのかなと、ある時、そんなことを思いました。
どんな違いでも、わかってあげることができる人
夫婦喧嘩をあまりしない夫婦がやっていること、それはお互いがやっているのか、夫だけ、妻だけがやっているのかはわかりませんが、それは、相手を「わかってあげる」ということだと思うんです。
でも自分の価値観とは違うことをどうやったら「わかってあげられる」のかなと思った時、それはきっと、相手の価値観そのものをわかってあげる、もしくは相手が正しいことを受け入れることではなくて。
それはきっと、「相手が自分とは違う考え方や価値観を持っていることをわかってあげる」・・・ということではないかなと思ったんです。
このやり方なら、相手が正しいと認めることをしなくても、わかってあげることができます。相手は自分とは違うということをわかってあげる・・・ということですから、自分の考え方を捨てたり、自分が犠牲になる必要もありません。
相手は正当性を主張してくるかも知れません・・・でもその裏にあるのは感情であり、それは「自分のことをわかって欲しい」という思いであると思うんです。
それをまずわかってあげること・・・が大切だとしたら、その相手が言っていることが正しいか正しくないかは、実は関係のないことで、大切なのは、相手の「感情」や「わかって欲しいという思い」を受け入れてあげることなのかも知れません。
人はその「自分のことをわかって欲しい」という感情が満たされなかった時に、今度は理性で何かしらの理由をつけて、正しさを主張してくるのかも・・・知れません。
でも、本当はただわかってほしかったのかも・・。
僕の妻はそれをただ実践してくれていたのかも知れないとある時にやっと・・気づきまして・・。僕は主張ばかりしていたのですが、彼女はそれをただただ、受け入れてくれていた。
それは違いを違いとして受け入れてくれていた・・・ということだと。
だから彼女は「そうだよね。」「わかるよ。」というような言葉をよく使ってくれていました。その言葉が僕を変えたのかも知れません。
いつの間にか、僕の主張はどんどん小さくなっていって・・・。いつの間にか、彼女の言うことに対して「わかるよ。その気持ち」なんて言っていたり。
これは夫婦だけじゃなくて、どんな人間関係でも言えるのかも知れないなあ・・・とある時思って。情けない話ですが、僕はずっとわかって欲しかっただけなのだろうな・・・と。