子供がいない夫婦として生きてゆくことについて
子供がいない人が生きがいを見つける方法がありましたら記事にして下さいとある方に言っていただきまして、あれから僕に何が書けるだろうかと考えていました。
色々考えたのですが、やはり自分のことを書くしかできないなと思いまして、今回は言っていただいたことそのものにはならないかも知れませんが・・・僕の話をさせていただきたいと思います。
僕は結婚してもう10年以上が経ちますが、子供がいません。子供が嫌いですかと言われることがあるのですが、子供は好きなんです。
友人達の子供達には人気です・・・と勝手に思ってます。(笑)
子供連れの親子を見て羨ましいと思わないですか?と聞かれることがありますが、正直羨ましいなぁと思うことはよくあります。
妻はよくいくお店で小さな子供服が売っていたりすると、それを手にとってニコニコしながら眺めています。
そういう時はやはり子供がいないことに切なくなることもあったりします。
ある方がしてくれた話で気持ちが晴れた
僕の友人にも子供がいない夫婦が結構いまして、本当に辛い治療を続けてきた夫婦、病気が原因で子供ができない夫婦、子供ができないことを相手のご両親に何度も責められてきた夫婦・・・色々な思いをしている人がいて、そんな人達の話を聞いて、自分達だけじゃないんだなとそう思ったりします。
結婚してから10年が経って、今はもう覚悟を決めていますが、どの位前だったでしょう、子供がいない人生というものに、なかなか言葉にできない思いがあった頃がありました。
そんな時にある方からこんなお話をしていただいたんです。
夢物語だと思って聞いていただければ幸いです・・・長年連れ添っているのに子供がいない夫婦というのは、前世で相手(夫や妻)と事情があって生き別れたり、死別したり、一緒になりたくてもなれなかった二人で、前世またはその前に沢山の子供を育てた人みたいだ・・・そんな話をしてもらいました。
その話をお聞きした時、モヤモヤしていたものがまるで霧が晴れるかのように・・・スゥーっとなくなってゆく気がしました。
そう思うことにしようと、その時、決めたんです。
きっと、この人生だからこそ、自分にできることがあると。
人には宿命みたいなものがあるのかなと、思うことがあります。自分の人生というのは、自分のものであって、自分のものでないような・・・それはもしかしたら、与えられたものなのかなと・・・そう思ったりもします。
全部は与えられなくて、与えられたものとそうでないものがあって。
きっと、与えられなかったものを見ようとした時に人生は辛いものになって、与えられたものを見ようとした時に、道が開けたりするのかな・・・と。
僕はそんなことを思っています。
何かを得るから幸せ・・じゃない
僕はすべてのことにおいて、何かを得れば何かを必ず失うものだと・・・そう思ってきました。
だから、自分にないものがあるとそう思った時、自分は代わりに何を得ているのだろうと・・・そう思うようにしてきたんです。
子供がいないことで、失ったものは確かにあるけど、得ているものもあるだろうと、そう思ったりします。
子供がいる友人夫婦を見て、いいなぁとは思っても、何で自分は・・・という風にはもう思わなくなりました。
それは、彼ら(彼女ら)が大変な思いをしながら、一生懸命子供を育てるために頑張っていることを知っているからで。
何で自分は・・と思っていた頃は人のその一部分だけを見て、その奥にあるものを見ようとしていなかったのかも知れません。
僕はここ数年で色々な方からお子さんのお話を聞かせていただく機会に恵まれました。
色々な苦しみも悩みも抱えながらでも、一生懸命頑張っている方ばかりでした。
そういうことは普段は見えないことで。
そういう見えないことに思いを馳せた時に、例えば、子供のいる友人達を見た時、自分に子供がいないことを思うより、何故か、がんばって・・・と思っていたりします。
子供がいない人生に思い悩んできて、ある時、もし、今、この与えられたものの中で幸せとか楽しみとか、喜びとかを探そうとできないのなら、子供ができたとしても僕は今度は他のことで思い悩んでいるのではないか・・・そう思いました。
何かを得るから幸せ・・じゃない・・・そう自分に言い聞かせました。
今の自分や自分が囲まれているもの、持っているもの、与えられたものの中に、幸せとか大袈裟なものではなくても、小さくてもいいので、嬉しいなとか楽しいなとか、ついているなとか・・・・そういうものを見つけていこうと思ったんです。
そんなことを重ねてゆく人生も悪くはないかなと、そう思ってます。