「人生に無駄な時間はない」は本当か?
「人生に無駄な時間なんてない」
そんな風に励まされても、今、自分が無駄な時間を過ごしていると思っているような時は、気休めにしか聞こえないかも知れません。
僕自身、20代の頃はずっと、無駄な時間を過ごしているんだと思い続けてきたので、例えば、「無駄な時間なんてないのだから、前向きに捉えましょう」とは・・・言えませんし、そうは思えない時もあると思ってます。
でも、今、「人生に無駄な時間はないって本当ですか?」と言われたら、無駄な時間はないと思いますと、お伝えするかも知れません。
ただ、それは後になって気づくものなのかも知れません。
人生は失って、得るようにできている
もし、今、自分は無駄な時間を過ごしているんだと思われている方がいらしたとしたら・・・今この瞬間に人生に無駄な時間はないなんて・・思えないと思うんです。
少なくとも、僕はそんな風には考えることができませんでした。
無駄な時間はなかったと思えるのは、もっと時間が経ってからなんだと思うんです。
それは後になってやってくるものと言うか。
人生はでも、うまくできていて、何かを失った後に何かを得るようにできているようです。
だから、今、不安だったり、何もできなかったり、辛かったり、寂しかったりして・・・それは色々なものを、言ってみれば失っているというか、楽しい時間ですとか・・・そういったものを失っているわけですが・・・その失ったことで、次は得られるようにできているように思います。
例えば、年に1回しか会えない友人がいてくれることの幸せ。
もしかしたら、それを幸せだと思えない方もいらっしゃるかも・・知れません。
もっと会えたら嬉しいし、年に1回しか会えないのは確かに寂しいもの。
でも、僕は年に1回でも会える友人がいてくれること、幸せなことなんだと思うんです。
それは、以前にもお話させていただきましたが、僕は5年ほど周りに誰もいないような状況で一人で過ごしていたことがあって、何もできなくてただ孤独に耐えたり、何とか気持ちを誤魔化す日々を過ごしていたことがありました。
でも、その日々が、今、年に1回しか会えなかったとしても、友人がいてくれることは幸せと、そう僕に感じされてくれているのだと、思うんです。
もし、その5年の月日がなかったら、僕は、年に1回しか会えないことに不平不満を漏らしていたかも知れません。
そしたら、今、辛い日々を送っていたかも知れません。
僕が過ごした孤独な5年間を失うことに例えれば、僕は、そうやって失って、そして、気づかぬ間に得ていたのだと思うんです。
でもそんなことに気づいたのは失ってから、何年も何年も経ってからのことでした。
今、無駄な日々を送っていると思っても、それはいつか、自分に何かを与えてくれるかも、知れません。
失って、何かを得る。少なくとも僕はそんなことを信じています。
今は何もできなくても
何も頼れるものがなくて、何も確かなものがなくて、不安な時ってあると思うんです。
そんな時はこうした方がいいというのはわかっていても、どうにも動けない時だったりするのかも知れません。
ただ、何もできないわけではないのかも知れません。
大きく動けなくても、小さいことなら、何か始めたりすることができるのかも。それは例えば、「思うだけ」でもいいんだと思うんです。
「こんなことができたら楽しくなるかなぁ」
それも何かを始めていることになるのかも知れません。
「この日々を自分にいつか生かしたいな」
そう思うことだって、動き出していることになると思うんです。
何かを思ってみる、そうですね、できたら、小さなことでもいいから、楽しいことがいいのかも知れませんし、自分が笑顔になれることでもいいし、ちょっと勇気が湧いてくることでもいいし。
その小さな思いを自分の中にためてゆくと言うか。
どんどん小さな思いで自分をいっぱいにしてゆきます。
その思いが十分たまった時に、自然と1歩を踏み出せたりするのかも知れません。