人生のシナリオは自分が書いたものなのか?
自分の人生のシナリオは実は自分自身が書いたものである・・・精神世界の分野の専門家の中にはそう指摘する方が多くいらっしゃるようです。
どういうことかというと、自分の人生のシナリオや運命のようなものは、生まれてくる前に自分自身で書いたもの・・・ということで、例えば、出会う人であったり、結婚する相手、自分に起こる大きな出来事のようなものは、実は最初から自分で決めていた・・・ということです。
僕は人生のシナリオを自分が書いたかどうかについて、それが正しいとか正しくないとか言いたいわけではないのですが、そう思うことで心が楽になることもあるのではないか・・・と思うことがあります。
生きていると、どうしても納得できないことが起こったりします。どうしても乗り越えられない別れもあるし、いつまで経っても癒えない悲しみもあると思うんです。
どんな時にふと、人生のシナリオは自分で書いたもの・・・ということが頭をよぎることがあるんです。
苦しみや悲しみを乗り越えるには
自分の人生のシナリオがあったかどうかはわかりません。
でももし、そうだとしたら、何故自ら辛い体験を盛り込んだり、苦しい思い、悲しい思いをするようなことを自ら書き込む必要があるというのでしょう?
それはもしかしたら、人が辛い経験をして成長するようにできているから・・・かも知れません。
それを知っていて、あえて、自分で盛り込む・・・というのなら、もしかしたらそういうこともあるのかな・・・と思うことがあります。
どうしても癒えない悲しみもやっぱりあって、どうしても納得できないようなことも世の中には溢れていたりします。
僕は人生のシナリオを自分が書いたかどうかを証明することはできませんが、少なくとも、そういうシナリオがあったということ、それを自分が書いたということを考えてみることで、そういうどうしても納得できない苦しみや悲しみや、行き場のない思いなどを乗り越えられることもあるように思っています。
それが運命なんだ・・・そう思うことで乗り越えられることもあります。
日常の中のあらゆる悩みも例えば、何か悲しいことがあっても、それは自分が自分を成長させるために仕組んだシナリオなのだ・・・と考えてみた時、少し前向きになれたりすることもあって。
本当は嫌な思いなど、したくはありません。(・・・本音です)
ちょっとした悩みであったとしてもそういうことが重なってゆくと、もう毎日生きるのが辛くなってしまうこともあります。
そんな時に、ふと、人生のシナリオは自分が書いたとしたら・・・と考えると、何かその悩みが今あることに意味があるのではないか?とか、それを乗り越えることに意味があるのではないか?と考えることができたりします。
悩みから抜け出すにはそんな小さなきっかけだったり、ちょっとだけ視点を変えることだけで十分だったりすると僕は思っています。