悩み癖。すぐ悩んでしまう、悩みやすい性格を変える方法とは?
悩むことが癖になってしまうことがあります。悩み癖というものです。これは本当にやっかいで、そして、苦しいものでもあります。
人に相談してもわかってもらえなかったり、「もっとポジティブに考えて」そう言われても、どうしてもそうすることができなかったり。
今回はそんな風にすぐ悩んでしまう悩み癖、または、悩みやすい性格を変えてゆくためにはどうすればいいか?ということについて詳しく見てゆきたいと思います。
目次
悩み癖と悩みやすい性格の直し方は一緒
悩み癖と悩みやすい性格・・この2つの直し方は実は一緒で、同じようにして直してゆくことができると思います。
癖と性格というのは全く別のモノのように思ってしまいますが、実は共通点があります。
心理学の世界では、「性格は習慣が束になったもの」という風に言われることがあります。
そして、癖も、言い換えると、習慣なんですね。
だから、悩み癖を変える場合も、悩みやすい性格を変える場合も、習慣を変えてゆくということが大事なポイントになってきます。
でも、性格なんて本当に変えることができるの?
ということですが、性格の半分は生まれつきのもの、もう半分は後天的なものであると言われています。
そういった研究結果もあるのですが、もしそうだとしたら、持って生まれた半分は変えることはできないことになります。
例えば、敏感な性格ですとか、そういったものを持って生まれてきている場合もあって、それが悩みやすい自分に関係していることもあります。
ただ、残りの半分は変えることができます。
そして、残りの半分は、習慣が大きく関係していて、その習慣を少しづつ変えてゆくことで、その半分も少しづつ変わってゆくことがあります。
例えば、以前は臆病で消極的な性格だった友達が、すごく久しぶりにあったら、積極的な人になっていた・・・なんてこともありますが、それは人は変わることができるという証拠なのだと思います。
不安と悩み癖
悩みとは、「現時点ではどうにもならないことを考えること」だと思います。
もし、どうにかできることであれば、悩みにはならないわけです。
どうにもならないからこそ、悩んでしまうわけで。
もし、悩み癖がある場合は、この「現時点ではどうにもならないことを考えること」が癖になっているのかも知れません。
じゃあ、悩み癖を解消するにはどうしたらいいか?
というと、今、悩んでいることが「現時点ではどうにもならないこと」だと悟ってしまって、その「どうにもならないこと」を考えるのをやめること・・だと思います。
でも、それが簡単にできないから、悩み癖があるのであり、悩みやすい性格をなかなか手離せないのだと思います。
でも何故、「どうにもならないこと」を考えることをやめられないのでしょうか?
その理由の1つは、恐らく不安だと思います。
不安だから、その不安を消すために、「どうにもならないこと」なのに考え続けてしまうわけです。
この場合、不安が悩み癖に深く関係している場合は、「どうにもならないこと」を考え続けることそのものを何とかしようとするのではなく、その根っこの部分にある「不安」への対処方法を変えてゆく必要があるかも知れません。
「不安」への対処方法ということですが、不安をなくしてしまおうとする人は、悩みやすい人であることが多いと思います。
一方で、多少の不安はあって当然だと不安を受け入れることのできる人は、悩みやすい人ではないことが多いと思います。
不安をなくしてしまおうとすると、悩みやすくなるのでは何故か?というと、不安はなくそうとすると大きくなるという特徴があるためです。
だから、例えば、不安を完全になくしてしまおうとすると、逆に不安が高まってしまって、その高まった不安を消すために、さらに悩まなくてはならなくなります。
不安にはもう1つの性質があります。
それは何かというと、不安は受け入れると小さくなってゆくということです。
だから、不安は多少はあって当然だと不安を受け入れようとする人は、どうにもならないことで悩むことが少ないのかも知れません。
この場合は、この不安をなくそうとする癖、習慣を変えてゆくことが悩みやすい自分を変えてゆくことにつながってゆくと思います。
不安に振り回されないために知っておきたい2つのこと
では、不安をどうやって受け入れたらいいか?または、不安をなくそうとする癖をどうやって変えたらいいか?ということですが、そのためには不安の「正体」を知る必要があるかも知れません。
不安がどういうものであるか?ということがよくわかってしまうと、不安に対して必要以上に反応したり、振り回されたりすることが減ってゆくと思います。
その結果、不安をなくそうとする癖も自然と修正されてゆくことがあります。
不安とは何なのか?ということですが、不安は感情の一種です。
感情というのは、自分を守るために備わっているものなので、不安も実は、自分を守るために自分の中に備わっているもの・・ということになります。
不安というと、悪いことのように扱われることが多いと思いますが、実は不安は自分の味方です。
じゃあ、不安はどうやって自分を守ってくれているかというと、起こり得る最悪の事態を自分に伝えることで自分を守ってくれようとしています。
そういう意味で不安は自分へのメッセンジャーのようなもの。
「こんなことが起こるかも知れませんよ」と最悪の事態を自分に教えてくれているのです。
だから、例えば、「アマゾン川に飛び込んでください」と言われたら・・不安が発動して、「ここで飛び込んだら危ないかも知れない」というメッセージを送ってくれます。
この場合は、不安がいてくれたから、何がいるかわからないアマゾン川にに飛び込むのをやめることができて、命拾いしたかも知れません。
ちょっと極端な例でしたが、ただ、もし不安がいなくなってしまったら、自分の命を守ることができなくなってしまうと思います。
不安だから、暗い夜道を歩くのはやめよう・・そう思えるわけで、不安を全部なくそうとするのは、かえって危ないわけです。
こんな風にして、不安は自分のために働いてくれているものだということを知ることで、多少の不安はあってもいい、不安を全部なくそうとしなくていいと思えてくるかも、知れません。
不安にはもう1つの特徴があります。
それは、不安は不器用だということです。
どういうことかというと、不安というのは、「起こり得る最悪の事態を自分に伝えること」が仕事で、それ以外は何もできません。
つまり、それが本当に起こり得ることなのか、どの程度の確率で起きるのか?といったことを不安は考えてはくれません。不安はとても不器用なのです。
だから、不安が送ってくるメッセージ(不安に思ったこと)は、本当に起こることとは限りません。
「最悪こんなことがあるかもよ」
と不安が教えてくれることは、言ってみれば根拠が薄く、ただの可能性でしかありません。
不安はただ、注意を促しているだけであって、それが実際に起こるかどうかは全く別の問題、むしろ、圧倒的に起こらないことの方が多い・・ということを(不安に振り回されないためには)知っておく必要があります。
実際にある実験では、不安に思ったことの80%は起こらないという結果が出ています。(さらに、起こり得る20%のうちの8割は、対策を立てて対応すれば解決するのだそうです)
不安はただ注意を促しているだけ、実際には起こらないことが圧倒的に多い。
・・ということですが、ただ、やはり自分で体験することで理解できるといいかも知れません。
そのために、不安に思ったことが実際に起きたかどうかを検証する・・ということをしてみるのもよい方法です。
何でもいいですが、例えば、旅行に行く時に不安に思っていたことが実際に起こったかどうか?ということを後になって検証してみるのです。
不安に振り回される人の場合は、常に先の不安について考えているので、その前に不安に思っていたことが実際に起こったかなんて検証はしないと思います。
ただ、そうやって、実際に起こったかどうか?という検証を何度もしてみると、「必要以上に不安に反応する必要はないな」と自然と思えてくると思います。
そうやって検証してみることで、不安の多くが実際には起こらないということが理解できるためです。
こんな風にして、不安というものの本当の姿、役割を理解することで、不安に対する対処方法も自然と変わってゆくと思いますし、それが結果的に、悩みやすい自分を変えてくれることがあるのではないかなと思います。
完璧主義なところがあると悩みやすくなるのは何故?
完璧主義、またはそれに近い状態だと悩みやすくなってしまうことがあります。
ところで、完璧主義の人にはいくつか共通点があると言われています。
それは何かと言うと、
- ①沢山の価値観がある
- ②その1つ1つの価値観の基準が高い
ということです。
これは悪いことというよりも、例えば、仕事などではとても大事なことでもあって、完璧主義の人には、とても優秀な人が多いです。
ただ、悩みやすいということを考えた場合、この自分の中にある沢山の価値観、そして、その1つ1つの基準の高さが自分を苦しめてしまうことがあります。
価値観が沢山あるために、色々なことが気になってしまい、その一つ一つの基準が高いことで、誰かや何かと衝突したり、または、イライラしてしまったり、何かが許せなくなってしまったり・・ということもあるかも知れません。
この場合は、自分の中にある価値観の中で基準がちょっと高すぎるかなというモノを見つけて、少しだけ、その基準を下げてみることで、悩みや悩むことそのものが減ってゆくことがあります。
その具体的な方法や完璧主義全般については下記の記事を書かせていただいていますので、よかったらそちらを参照ください。(ページ下部にも下記の記事へのリンクを掲載しておきます)
完璧主義の2つの根本的な原因。完璧主義をやめたいと思った時は?
完璧主義の4つの治し方、やめる方法とは?
ただ、この完璧主義もある種の習慣なので、その完璧主義につながっている習慣を見つけて、そして、それを少しづつ変えてゆくことが大事なポイントになると思います。
期待を捨てると悩みが減ってゆく
「悩みの多さ」というのは、イコール、「期待の多さ」でもあるかも知れません。
自分の中に、何かや誰かに対しての「期待」が多いほど、悩みも比例するようにして多くなってゆくようです。
例えば、「~するべき」と思うことも、期待していることになります。
例えば、ホテルにチェックインした時に、受付の人は丁寧に接客「すべき」という思いがあると、そうではないサービスを受けた時に、それが苛立ちになったり、または、その苛立ってしまう自分自身が悩みの種になってしまったりします。
そんな時、丁寧な接客ではなかった時に、「こうあるべき」と思うより、「(ここのホテルの接客は)そういうものなのだ」とその状態に何かの判断を下すことをやめて、そのまま「そういうもの」と捉えてみると、次回から「期待」しなくて済むことがあります。
悩みの多さは期待の多さと書きましたが、期待すると、期待が裏切られた時にガッカリしたり、怒りの気持ちが湧いてきます。
「~するべき」もしくは「こうあるべき」という考え方があると、何かに期待してしまいます。
そして、その数が多くなるほど、裏切られることも多くなり、イライラがたまりやすくなります。
だから、「期待」もしくは「こうあるべき」という考え方を(捨てられる範囲で)捨てるほど、自分が楽になれたり、悩まない自分になれることがあります。
もっとも、期待はすべて捨てる必要はないと思いますし、全部は捨てられないと思います。
どうしても期待してしまうことだって、あるわけで。
ただ、捨てられるものは、極力捨てるようにしてゆくといいのかも知れません。悩み過ぎない自分になるためには。
例えば、先ほどのホテルにチェックインする時の例でも、「丁寧なサービス」への期待を捨ててゆきます。
すると、丁寧なサービスではなくても、イライラは生まれず、「ほらね」と思えるかも、知れません。
そこで一つ、悩みが減ることになると思うのです。
また、期待しないということは、喜びのハードルを下げるようなものなので、思わず丁寧な人に出会った場合などは、「ラッキーだったなぁ」と思えるかも知れません。
期待を捨てる、ハードルを下げるということは、そういう意味では、自分の喜びを増やすことでもあるのかなと、思います。
悩むことは、トレーニングをしているようなもの
さて、ここまで悩み癖や悩みやすい性格の直し方について色々見てきました。
自分を変えるには、習慣を変えることが大切・・ということでしたが、習慣はゆっくり変わってゆくもので、悩みやすい自分を魔法のようにして、すぐに変えることはできないかも知れません。
ただ、悩むということも、本当は悪いことばかりではないように思うのです。
人の心は、悩んだ後に強くなることが多くて、だから、悩むということはある意味、心のトレーニングをしているようなものなのかなと。
ジムなんかで行うトレーニングというのは、大体きついものですが、ただ、自分を強くしてくれるものでもあると思います。
悩むことも、辛いものですが、ただ、その中で自分も知らぬ間に強くなれていることもあるように思います。
そういう意味で、悩むということは、言ってみれば滝に打たれるようなものなのかも。
悩んでいる時は苦しいけれど、その中で実は自分自身は成長しているのかも知れません。