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完璧主義の2つの根本的な原因。完璧主義をやめたいと思った時は?

自分にいつも完璧を求めてしまって、疲れてしまうことがある。

そんな自分は完璧主義だと思うし、本当はそんなものを手放したいと思う。

そんな風に思われることもあるかも知れません。

今回はそんな完璧主義の根本的な原因は何なのか?ということについて見てゆきたいと思います。

自己評価と自分のアイデンティティ(自分らしさ)

完璧主義の原因といっても、人によってそれは多少変わってくるかも知れません。ただ、それらの原因を大きく2つにわけると、

・生まれてから手に入れたもの(後天的なもの)
・持って生まれたもの(先天的なもの)

・・があるようです。

先天的なものというと、もう治らないように思われてしまうかも知れませんが、そうではないようです。

それについては後ほど詳しくご紹介したいと思います。

後天的なもの、生まれてから手に入れたものですが、自分自身をどういう風に評価しているか?ということ(自己評価)が完璧主義につながってしまっているケースもあるようです。

もっというと、自己評価が低いことが完璧であろうとすることにつながっているようなケースです

例えば、子供の頃に親に殆ど褒められることがなくて、テストで満点をとった時だけ褒めてもらえた。

そんなことがあったとします。

「子供は褒められたくて生きている。」

そんな風に表現する心理の専門家もいますが、本当にそうなのかも知れません。

子供にとって、親に褒められるということは、自分を認めてもらえた(評価された)ということでもあると思うのです。

だから、親に褒められることがなく、叱られてばかりの子供の場合、自分はダメなんだと、そう思ってしまう子供もいるようです。

そんな子供は、自己評価が低い人になってしまうことがあります。

それだけ親の子供に対する影響は大きいということなのだと思います。

この自己評価の低さと完璧主義がどう関係しているのか?

・・ということですが、親やまたは周りに認められてこなかったことで(自己評価が低くなり)、自分のままではダメだ、今の自分ではダメだという、自己否定感が強くなり、その結果、親に認められるために、または親に愛されるために、今よりも優れた自分になろうとしてしまう・・そんなこともあるかも知れません。

今の自分はダメだという思いで自分を見ているので、自分のダメなところばかりが自分の目に飛び込んできてしまう・・ということもあるかも知れません。

認められるために、または愛されるために、そういう自分のダメなところを何とかしようとしたり、よりよい自分になろうとし続けてゆく中で、最後は完璧な何かを求めてしまうことがあります。

また、そうやって完璧になろうとすることで、自分のアイデンティティ(自分らしさ)を守ろうとしたくなることも、あるかも知れません。

それは自分が自分であるために必要だったことなのかも知れませんし、完璧主義でいることで自分を守ってきたということもある知れませんし。

完璧主義の後天的な原因は勿論、他にもいくつもあると思いますが、そんな風にして、完璧でなければ、受け入れてもらえない、認めてもらえないという思いを、大人になっても持ち続けて、完璧主義をやめられない・・そんなケースもあるようです。

敏感で真面目な性格と完璧主義

持って生まれたもの(先天的なもの)が完璧主義の原因になってしまうケースもあるようです。

その一例ですが、例えば、敏感で真面目な性格の人の場合、完璧主義になってしまうこともあるようです。

例えば、親が物事のマイナスな部分ばかりを見るような人で、自分のいいところではなく、悪いところばかり指摘されて、否定されて育った・・そんな方もいらっしゃるかも知れません。

親がそんな風にして、何事に対しても否定的で批判的だった場合(勿論、その親御さんにもそうなってしまった理由があるわけですが)、子供は言ってみれば、常に完璧を求められる立場になります。

この場合でも、もし、子供の持って生まれた性格が、敏感ではなければ・・親が求めていることを察したり、または親の顔色をうかがったり・・・ということもしないかも知れません。

その場合は、同じ親でも完璧主義にはならない子供もいるかも知れません。

自分は完璧主義だけど、兄弟、姉妹は完璧主義じゃない・・ということもあると思います。

また、敏感で尚且つ「真面目な性格」というのも関係しているように思います。

敏感でその場の空気などを感じ取ったりし過ぎてしまう上に、真面目だからこそ、完璧に「なろうとする」ということもあるように思います。

そういった敏感で真面目な性格も完璧主義には関係しているのかも知れません。

ここまで、完璧主義の原因について、いくつか見てきました。

完璧主義は、色々な原因があって意図せずに手に入れてしまうものなのかも、知れません。

ただ、そんな完璧主義に自分がひどく疲れてしまった時は、少しだけでも、完璧であろうとすることをやめることができたらいいのかも知れません。

全部ではなくてもいいと思うです。少しだけ、手放そうと思ってみることから始めてもいいのかも知れません。

完璧じゃなくても、魅力的

冒頭で、自分のアイデンティ(自分らしさ)というお話をさせていただきましたが、完璧でいようとすることで自分のアイデンティを保ってきた・・そんなこともあるかも知れません。

そして、その背景には、自己否定があったり、完璧にならないと人には受け入れてもらえないという思いがある・・ということもあるかも知れません。

そして、完璧ではないと受け入れてもらえない、愛してもらえない、認めてもらえないと心のどこかで感じている方も、いらっしゃるかも知れません。

勿論、マイナスなところばかりを見て、そして、そういう人のマイナスな面を許さないような人もいるかも知れません。

ただ、そういう人ばかりではないようです。

ある方が「自分の弱さ、完璧ではないところに、人からの感情が流れ込んできたように思えた」・・というお話をされていました。

そのお話をお聞きした時に、「なるほどなぁ・・」と思ったのです。

このお話は、自分の弱さとか自分の不完全なところに対して、相手からの愛情(であったり、または共感であったり・・etc.)が注がれたように感じた・・ということだったのですが、

人は不思議なもので、自分の弱さや自分の不完全なところを隠したくなるものだけど・・だけど、人に対して心を強く惹かれるような魅力を感じるのは、その弱さや不完全さでもあるのかも、知れません。

人は、

完璧ではないから、支えたいと思い、
完璧ではないから、応援したいと思い、
完璧ではないから、共感できて、
完璧ではないから、魅力的に見える

・・のかも、知れません。

完璧な自分ではなくても、受け入れてくれる人がいる

完璧な自分ではなくても、受け入れてくれる人がいるんだと信じてみることも、完璧主義を手放してゆくためには大切なことなのかも知れません。

勿論、こういうあなたでなければ、受け入れない、認めない・・という人もいるかも知れません。

もし、そんな人が自分にとって、とても近い存在の人だったなら・・それはどんなに辛いことでしょうか。

例えば、それが自分の親だったら、本当に辛いことだと思うのです。

だけど、実際の世の中というのは、そういう「こういうあなたでなければ、受け入れない、認めない」という人達ばかりではないようです。

完璧な自分ではなくても、受け入れてくれる人がいるようです。

1)「こういうあなたでなければ、受け入れない、認めない」という人達
2)完璧な自分ではなくても、受け入れてくれる人達

がもしいたとしたら、大事なことは、自分はどちらを見て生きてゆくか・・ということなのかなと、思います。

1)こういうあなたでなければ、受け入れない、認めないという人達を見て生きてゆくということは、人にどう思われるかを気にして生きるようなもので、自分が自分ではいられなくなることも多く、何より、人が求める自分にならなくてはなりません。

だから、完璧主義でいようとすると、自分が本当は何をしたいのかがわからなくなってしまうこともあるかも知れません。

一方で、2)完璧な自分ではなくても、受け入れてくれる人達を見て生きてゆくということは、自分が自分のままでいようとする・・ということになると思います。

完璧な自分ではなくて、受け入れてくれる人、自分の弱さも含めてあなたのままでいいよと言ってくれる人を見て生きようとすると、自分らしくいられるかも、知れません。

そして、そういう人、あなたのままでいいと言ってくれる人は世の中に必ずいます。

不思議なことに、世の中にいる人の2割はそのままの自分を受け入れてくれる人達、2割はそのままの自分ではだめだと言ってくる人達、残りはどちらでもない人達・・世の中はそんな風にできているようです。

「あなたのままでいい」と言ってくれる2割の人達を見て、残りの人達は諦めてしまうこともまた、完璧を求めすぎてしまう自分を手放す1つの方法なのかも知れません。

さて、今回は完璧主義の原因についていくつかご紹介してきました。次回は、完璧主義の治し方について考えてみたいと思います。