人から誤解されてしまったら、誤解を解きたい時にやるべきこと
決して悪気があるわけではないのに、誤解されてしまうこともやっぱりあるものだと思います。
そんな気持ちはないのに、人から誤解されてしまうと、どうしたらいいのだろうと悩んでしまうことも・・あります。
簡単に誤解が解けるようなことであったなら、誰もそこまで悩んだりはしないと思うんです。誤解されたら、相手の話を聞いて、自分の事情を話して、謝ってみること・・・それが一番の解決方法かも・・知れません。
でも、それができないほどの誤解があります。
「そうじゃないんだ、そんなつもりじゃないんだ」
・・・僕にもそう思ったことは何度もあります。わかってもらえないと嘆いていた頃もあります。だけど今は、わかってもらおうとはあまりしなくなりました。
わかってもらえない・・・からはじめる
僕は信じていた人達に誤解され、今思えば、よく耐えたなと思うような言葉をかけられた経験があって、ずっと何年も何年もその言葉が頭から離れなくて、誤解を解きたいと思っていたことがあります。
でも、そんなに簡単に誤解が解けるような相手なら、もしくは問題なら、何年も悩むなんてことはないわけで・・。
わかってもらおう、誤解を解こうとすればするほど、溝が深まってゆくようでしたし、僕はそんな中で、自分を信じるということが、全くできなくなっていました。
むしろ、本当は僕は誤解された通りの人間なのではないか・・・そんな自分の中の囁きに、負けてしまいそうでした。
でも、何年も悩んで、自分を見失いそうになって、そんなことを続けていたある時、「もうわかってはもらえないんだ」と思うようになりました。
それは僕が相手を諦めた瞬間でした。
自分の生き方を見せるだけでいい
僕は言葉ではもうその誤解は解けることはないと、ある時に思いました。
そして、わかってもらおうとすることをやめようと思ったんです。
それは、自分のためにそうしようと思いました。
わかってもらおうとし続ける人生は決して楽しい日々ではありませんでした。自分を違う人に見せてみようとしたり、大きく見せようとしたり、わかってもらうために言葉を変えては、自分を伝えようとしていました。
でも、伝わることはありませんでした。
だけど、僕は相手は諦めたけど、自分を諦めたわけではありませんでした。
わかってもらおうとすることをやめて、僕は僕が思った生き方をしてゆこう、自分が目指す生き方であったり、そんなものを自分が未熟であることをしっかりと受け止めた上で、目指してゆけばいい・・・そう思うようになりました。
今は、誤解されたと思っても、言葉を使って必死にわかってもらおうとはしなくなりました。勿論、必要に応じて、言葉で「そうではないのですが・・」と説明はしますし、謝ったりすることもあります。
でも、それでもどうしてもわかってもらいたいと思うことがなくなってきました。
言葉では伝わらないことがあるんだと、思ったからです。そんな時は、言葉じゃなくて、自分の生き方で、もっと細かく言うと、行動であったり、そんなものが人に伝わることもあるんじゃないかな・・と思ったんです。
自分の生き方なんて言うと大袈裟ですね。(笑)
でも、大袈裟だけど、人にわかってもらうことより、自分がどう生きるかを考えはじめた僕の心はすっと楽になれました。
今、誤解されていた僕は、少しづつわかってもらえるようになりました。
わかってもらえるようになったと言っても、ごくわずかかも・・知れません。
以前の僕なら、もっとわかってもらいたいと思ったかも知れません。でも、今は、わずかでもわかってもらえたことはよかったなあと・・・そう思うことにしました。
そっちの方が自分が笑っていられそうだったから・・・です。