人に愛されたいと思うほどに愛されない不思議なルール
人に愛されたいと思う時があります。彼に愛されたい、妻に愛されたい、周りの人達から愛される人になりたい。
でも、どうもこの「愛」というのはとても不思議なルールがあって、それは何かというと、「愛されたいと思えば思うほどに、愛されなくなる」・・・僕はそんなルールがあるように思うようになりました。
自分の気持ち100%、相手への気持ち100%
愛というのは、手に入れようと思っても、決して手に入らないものなのかも・・知れません。愛を手に入れた・・・なんて話、そういえば、あまり聞きません。
「愛されたいと思えば思うほどに、愛されなくなる」
その理由はもしかしたら、「愛されたい」という気持ちでいる時は、自分のことを思っているから・・・なのかなと・・・僕はそう思うようになりました。
もし、相手のことを100%考えていたら、その時は「愛されたい」ではなくて、「愛したい」という風に感じると思うんです。
自分のことを思っている時、不思議と人は自分を愛してはくれないようです・・。
愛情というものを得るには、それとは別のことをする必要があるのかも知れません。
愛を手に入れる方法
愛は手に入れようと思っても決して手に入らない・・・そう言っておきながら矛盾するかも知れません。
でもあえて、そういう方法があるとするならば・・・愛というのは、得ようとすると失って、与えようとすると、得られるものではないかな・・・とそう思うんです。
つまり、愛は与えれば与えるほど、自分にもっともっと返ってくるようにできている・・・そういう仕組みなんだと思うんです。
自分にとっての大切な人ってどんな人だろう・・・?
そう考えてみます。
それは例えば、自分のことを大切にしてくれる人だったりします。
例えば、僕のことを大切にしてくれる人は、僕に愛情を与えてくれているのだと思うんです。だから、僕はそんな人が好きで、僕も愛情をその人にお返ししたいと思います。
今までのことをふと思うと、愛情は与えた以上に返ってくるのかも知れないなと・・・そう思うことがあります。
人は与えてもらった愛情以上のものを返そうとする、そんな心理があるのかも知れません。
もし、そうだとしたら、愛情というのは与えれば与えるほどに、自分にはそれが返ってきて、しかも、それは溢れんばかりに返ってくる・・・・ということになります。
愛じゃなくても「愛情」でいい
僕は今、「愛」という言葉を連呼しておりますが(恥じらいもなく・・)、普段は全く使いません。以前にもちょっと書かせていただきましたが、「愛」という言葉は自分にはちょっと恥ずかしい。
それに、本来「愛」というのは、相手の幸せや喜びを思う気持ち100%の状態のことを言うのだと思うんです。
でも、僕なんかではそこにたどり着くことはきっと難しいだろうなあ・・・と思ってしまうんです。そんな完璧にはなれないだろうな・・・と。
だから、僕は「愛情」という言葉を「愛」の代わりに使いたいと思っていて。
「愛情」とは相手の幸せや喜びを願う気持ち50%、自分の気持ち50%のことを言うのだと思っています。
それならできそうです。「愛してる」なんて言って仮に自分の気持ちがガンガン前に出てきたら恥ずかしいので・・、そう逃げているだけかも・・知れませんが。
でも僕はその「愛情」というものを大事にしていきたいと思っています。