自分を押し殺して得る嫌われない安心感と必要とされている思い
嫌われたくない、自分が好かれている、自分は必要とされているのだというある種の安心感のようなものが欲しくて、自分を押し殺してしまうことがあるかも・・知れません。
人から必要とされることが自分の価値のように感じてしまうことも、もしかしたら、あるのかも知れません。
僕に「必要とされる人になりたいです」と話してくださる方もいます。
そして、そうなるために自分を押し殺そうとされる方もいます・・。だけど、僕はそれを続けてゆこうとすると苦しいのではないかな・・と思うことがあります。
勿論、そう思われるようになったのには何か深い理由があるのだと思うんです。
それはなかなか手放せるものではないのかも知れませんが、でも、相手に合せて自分を押し殺すことを続けて、苦しくなってきたら、それはもっと違うことを目指した方がいいというサインなんだと思います。
大事なことは1つだけ
人から大事にされたい、人から必要とされたい気持ちに負けてしまって・・・相手に合せようとしてしまったり、自分の気持ちよりもまず相手の気持ちを優先させようとしたりしてしまうことがあります。
相手の気持ちを考えられることは、それは素晴らしいことだと思います。
だけど、必要とされる人になるためにやっていることだっとしたら、そのやろうとしていることは、相手を大事にして、自分を粗末にしている・・・ということなのかも・・知れません。
ここで1つ大きな問題があります。
それは、人は自分自身に対してしていることしか、人からは得ることができない・・・ということです。
自分を粗末にしていると、同じように自分を粗末にする人が集まってきます。自分の気持ちを押し殺してまで相手に合せようとする・・・すると、人の気持ちを考えず、何でも聞き入れて欲しいと思う人が自分の周りに集まってきます。
人から大事にされたい・・・そう思った時に最初にやるべき大事なことって1つだけだと思うんです。
それは自分を大事にするということ・・・だと思います。
自分を大事にできる人は、大事にされる人です。
自分を粗末に扱う人は、人から粗末に扱われる人です。
必要とされたい・・・もしそう思われている方がいらしたとしたら、ご自分が自分自身に対してどうか必要な人でいてあげてください。
自分は孤独じゃない・・・そう心から思える時
誰かから必要とされているという思いが叶った時、幸せでいられるだろうか・・・そう思った時、僕はその幸せは偽物の幸せなのではないかな・・と思ったんです。
必要とされる人になりたい・・・そう思った方がいらしたとしたら、僕にはその気持ちがよくわかります。僕がそうだったから・・・です。
でも、それは孤独を誤魔化してはくれるけれど、自分を押し殺して、嫌われない人になろうとすることで得られる安心感と必要とされている思いは、本当は自分をもっと孤独にするものだと思うんです。
自分は孤独じゃない・・・そう心から思える時ってどんな時でしょう。それは、誰かとわかりあえた時だったりするのかな・・・と思います。
相手の気持ちがわかって、自分のこともわかってもらえた時・・・人は自分は一人じゃないんだと思えるのだと・・思うんです。
必要とされる人になっても、僕の孤独は消えたりはしないと・・・そう思ったんです。もし、自分を押し殺すことで嫌われない人になったり、必要とされる人になったら、わかってほしいと思う人は自分の周りに集まってくるかも・・・知れません。
だけど、その人達はわかって欲しいとは思っている人達でも、自分のことをわかってくれる人だろうか・・・と考えてみます。
僕は、そうではないように思うんです。それは無理だと思うんです。何故なら、自分を押し殺しているからです。自分を押し殺して相手に合せる・・・「自分」がどこかに行ってしまっているんです・・。
だから、わかってもらえることもない。
いくらわかってあげたところで、その関係は自分を孤独から解放してくれるどころか、もっともっと自分を孤独にしてゆきます。
僕はそれは本当に寂しいことだと・・・そう思いました。
本当に誰かとわかりあえるには、ある意味、嫌われる勇気を持って生きなければならないのかも・・・知れません。
自分が自分でいること・・・それだけで、嫌われてしまうことがあるかも知れません。でもそれは、大袈裟に言えば、自分らしく生きることの代償なのかも知れません・・。
自分の人生の中で本当に大切な人、わかりあえる人は、本当に限られています。そんなに多くはいないと思うんです。もしかしたら、片方の手の指・・・全部使わなくても数えられる程度かも・・知れません。
でも、僕は自分を押し殺して、どれだけ多くの人に囲まれることよりも、少なくても本当に自分をわかってくれる人を大事にして生きた方がきっと人生は楽しくなるんじゃないかな・・・と思うんです。