人に対して寛容になれない自分の未熟さが嫌になったら
人に対して寛容になりたい・・・自分を変えようと思って自分を磨いてゆく中でそんな風に思われることがあるかも知れません。
自分を磨こう、自分を変えたい・・・と思うのは、対人関係の中で寂しい思いをしたり、辛い思いをしたりして、もっと楽に生きることができたらと、そう思ったことがきっかけだった・・・そんな方もいらっしゃるかも知れません。
そして、そうやって自分を磨いてきたつもりだったのに、まだ、人を許せない自分がいたり、人に対して寛容になれない自分がいると思った時は自分の未熟さに気づいてガッカリしてしまうこともあるかも、知れません。
今までやってきたことは何だったんだ、と。
だけど、自分の未熟さを感じること、そのものが成長した証だと思うんです。
自分の未熟さに気づくのは自分が成長したから
自分の未熟さに気づいてガッカリした・・・そんなことがあるかも知れません。
だけど、自分の未熟さに気づいたことそのものが、自分が成長した証拠、だと思うんですね。
成長したからこそ・・・自分が変わったからこそ・・・気づけるのが、自分の未熟さでもあると思うんです。
だから、自分は未熟だな・・・と思った時はガッカリするだけではなくて・・・ここまで自分はよく頑張ったと自分自身を褒めてあげてもいいのかも知れません。
それは成長の証、なのですから。
未熟な自分でもいいと受け入れることから
人に対して寛容になれない、少なくとも、自分が理想とするような・・・人に対して寛容な自分にはなれていないと思った時、自分を責めることもできます。
だけど、自分を責めることでは僕は次にはつながらないと思っていて。
人に対して寛容になりきれていない自分がいる。だけど、今は、その自分でもいいと、今の自分を受け入れてみます。
言ってみれば、今の自分に対して寛容になってみるわけです。
すると・・・面白いことに人に対しても少し、寛容になれたりする。
人に寛容になれていない自分を許すことで、人に寛容になれる・・・不思議なものですが、どうもそんな風にできていて。
人に対して寛容になりたいけど、今の自分はそうはなれていない。
だけど、僕はそれでいいと思うんです。それは人に対して寛容にならなくてもいいという意味ではなくて、ただ、そこから始めればいいのだと思うんです。
そこからはじめて、自分がこうなりたいと思う自分に向かって、明日からまた一歩踏み出してゆけばいいと思うんです。
時には優しくなれなくてもいいと思うんですね。
人はそんなに完璧にはできていないようです。勿論、間違ったことをした時はそれをしっかりと受け止めることは大切で。
そこで後悔してしまうこともあるかも知れませんが、その後悔を反省に変えて、また自分がなりたい自分へと歩いてゆけばいいと、僕はそう思っています。
自分に厳しい方や高い理想を掲げてそこに向かって一生懸命頑張っている方ほど・・・自分を責める傾向があります。
ただ、そういう時に、未熟だと思った自分を受け入れてゆくこともまた、それも自分磨きの1つなのではないかなと、僕はそう思っています。
自分に厳しい方にとって、自分を許してゆくこと、未熟だと感じた自分を許してゆくことは難しいものだと思いますが・・・
それが自分にとって難しいと感じれば感じるほど・・・自分を許してゆくことは、自分を大きく成長させることにつながってゆくのではないかなと、思います。
自分磨きや自分を変えること、自分を成長させること
・・・というと、どうしても自分の欠点や未熟な部分を改めてゆくこと・・・と考えてしまいがちですが、僕は、その欠点や未熟さを今はそれでもいいと許すこと、認めてゆくこともまた、自分磨きや自分を成長させることになるのではないかなと、そう思っています。