「人は人、自分は自分」、お釈迦様が語られた心を楽にする考え方
今回はお釈迦様が語られた「人は人、自分は自分」という考え方について少しご紹介したいと思います。
「人は人、自分は自分」
相手がどうであれ、自分は自分でいればいい、自分は自分が良いと思うことをただ実践してゆけばいい・・そんな考え方です。
これは例えば、誰かを羨ましいなと思った時に、自分は自分のままでいいと思うために口にすることもできますし、また、対人関係で何かマイナスなことが起きた時に、自分を楽にする考え方でもあるのかも知れません。
今回は、何か対人関係でマイナスなことが起こった時に自分を楽にする方法について考えてみたいと思います。
誰かを羨ましいなと思った時にどうやったら「人は人、自分は自分」と思うかについては人は人、自分は自分。他人が羨ましい気持ちが強くなりすぎたら?で書かせていただいていますので、よかったらそちらを参照ください。
信じられないことをしてきたり、言ってきたりする人がいたら?
例えば、信じられないことを言ってきたり、して来たりする人がいるかも知れません。
人の気持ちを全く考えてくれない人、人の思いを踏みにじる人、お礼を言わない人、悪口を言う人・・・例えば、そんな人を前にして、心が乱れたりすることがもしかしたらあるかも知れません。
そんな時は、その相手を諦めきれていない時というか、何かを手放せていない時というか。
それはわからせてやりたいという思いであったり、または、自分の何かを守ろうとして、そしてその思いを手放せていなかったり。
そんな時はその諦めきれていないものを手放すことで自分がその苦しい思いであったり、またはストレスですとか、そういったものから楽になれることがあります。
ただ、どうやって諦めるのか・・・が難しいわけで。
そんな時は、
「そういうことをする人もいるかも知れないけど、私はそういうことをしないように努力しよう。」
・・・そう思うことで気持ちが楽になれることがあります。
この言葉はお釈迦様がある修行僧に語られた言葉でした。
「自分はそういうことをしないようにしよう」、そう思うことで相手の問題と自分の問題とをわけてしまうことができるのかも知れません。
「人は人、自分は自分」、そういう風に人と自分の問題を区別してしまうと、相手を諦められたりすることがあります。
冒頭の人の気持ちを全く考えてくれない人、人の思いを踏みにじる人、お礼を言わない人、悪口を言う人・・・がいても、
人の気持ちを全く考えてくれない人がいるかも知れないけど、自分は相手の気持ちを考えられるように努力しよう。
人の思いを踏みにじる人がいるかも知れないけど、自分は相手の気持ちを大切にしよう。
お礼を言わない人がいるかも知れないけど、自分はお礼を言うことを忘れないようにしよう。
悪口を言う人がいるかも知れないけど、自分は悪口を言わないようにしよう。
お釈迦様なら、そのように言ってくださったかも知れません。
それは相手をどうにかするのではなくて、自分がどうするか・・・と考えることでもあると思うのです。
人がしてくれなかったことより、自分がしなかったことを省みる
「人は人、自分は自分」に通じるものがあると思うのですが、他にもお釈迦様が語られた言葉があります。
人間関係で悩んだ時のお釈迦様の3つの言葉でもご紹介させていただいたお釈迦様の言葉が、
「他人が何をし、何をしなかったということを問題にすべきではない。自分自身が何をし、何をしなかったかを顧みなさい」
・・・ということでした。
人が何をして、何をしてくれなかったか・・・ということを思うより、自分がしたこと、しなかったことを振り返りなさい・・・そんなお釈迦様の言葉です。
訓戒のような、そんなある意味厳しささえ伝わってくる言葉ですが、僕個人的にはお釈迦様はきっと、そうした方が自分が楽になれるんだよと・・・そう伝えようとされたのではないかなと・・・そう解釈しています。
自分はどうだったのか?と考えた時、楽になれる
相手がしてくれなかったことで悲しくなってしまうこと、残念に思うこと・・・そういうことはあるものだと思うんです。
何でしてくれないのか?何故?
・・・そう思っている時は相手から自分・・・という流れでしか物事が見えなくて、だけど、それを自分から相手・・・という流れに変えて考えてみるとまた違った感じ方になることがあります。
先程のお釈迦様の言葉のように、「自分自身はその相手のためにどんなことをしてきたのか、ずっと相手に100%の思いやりを持って接してきたか?相手を認めようとしてきたか?相手の気持ちをわかろうとしてきたか?」
・・・例えば、そんな風に自分自身を振り返ってみた時に、
「自分のことで一杯一杯だった頃はそんな余裕はなかったかも知れない」・・・例えば、そんなことが思い浮かんで来たり、「相手の思いに気づけなかったことももしかしたらあったかも知れない・・・」・・・そんな風に思うことがあったりします。
そして、そう思えた時はもう気持ちが楽になれていたりすると思うんです。
自分に何を教えてくれようとしているのか?
これはテーマは違いますが、以前に少しご紹介させていただいたことですが、
「この人は自分に何を教えてくれようとしているのか?」
・・・ある方が教えてくださった言葉ですが、そう考えることも1つの方法なのかなと思うんです。
相手がしてくれなかったことを個人的に受け取ろうとすることもできますが、もっともっと大きな視点で、そのことについて考えてみます。
「この人は自分に何を教えてくれようとしているのか?」
でもいいし、この場合は、例えば、「神様がいるとしたら、この出来事を通して自分に何を教えてくれようとしたのだろう・・・?」と。
そんな風に考えることが僕はよくあります。
そう考えることで個人的な問題だったものが、形を変えて、自分のテーマに変わったりすることがあるように思ってます。
少し話がそれてしまいましたが、「人は人、自分は自分」そう考えて、相手と自分を切り離して考えて、人をどうするかより、自分がどうするか?と考えた時、色々な悩みが悩みではなくなってゆくことがあります。
そしてやっぱり、どうにかできるのはいつだって、相手ではなくて、自分だけ、なのだと、僕はそう思っています。