寂しさや虚無感(虚しさ)に負けない自分になる
時々やってくる理由もない寂しさであったり、虚しさ・・・そんなものに負けそうになる時があります。
そんな虚無感であったり、寂しさというのを感じる時、人は殆どの場合「動いていない」時・・・ではないかな・・・と思うんです。
人は黙ってじっとして考えると・・・何の工夫もなしではマイナスの方向に引っ張られてしまう傾向があるようです。
それは多くの人が持っている「心の癖」なのかも知れません。
だから、そうやって、マイナスなことを考えてしまっても、悲観的になる必要はないと思いますし、自分だけがこんなマイナスなことばかり考えて情けない・・・と思われる必要もないと思うんです。
それは多くの人が「やってしまっている」ことだと思います。
だめだ・・・なんだか虚しい・・・と思われても、それは多くの人が持っている心の癖だと捉えてみることで自分だけじゃない、と心が少し楽になれるかも・・知れません。
その上でできることがあるのだと思います。
自分を支えるもの
人は何かしらに支えられているのだと思います。それが何かあっても崩れ落ちないで済む自分にしてくれているのだと・・・思うんです。
例えば、子供の存在が自分を支えてくれていたり。例えば、友人の存在。その人の存在や言葉に自分が強くなれたりします。
それは自分が情熱を傾けられる何かだったりするかも知れません。一生懸命になれるもの・・・それが自分の人生を支えていたりして。
それはまた、本であったり、言葉であったり、何か自分が大好きなもの・・・バッグであったり、時計、車、服、宝石・・・そんな自分が時間を忘れて夢中になってしまうようなものであったり、心が癒されるものであったりするのかも・・・知れません。
だけど、人の心にはいくつかの特徴があって・・・その1つが「気分の波」なんだと思うんです。
それはまさに、寄せては返す波のようなもので、自分ではコントロールできないもの・・・なんだと思うんです。そして、その気分の波が下がったところで感じるものが、虚しさであったり、理由のない寂しさであったりするのだと思います。
そして、その波というものは、自分を支えてくれている何かに対してもそれぞれに波があるんだと思うんです。情熱を傾けていたものでも、ある時、波がやってきて、突然のようにどこか思うようなやる気が湧いてこなくなる時もあります。
でも、それは自分ではどうしようもない波のせいなのかも・・知れません。
だから、そんな時は、少しそのものから離れることでその波を乗り越えることができます。
自分を支えるものを分散してゆく
そうやって、少し離れることで、その波は乗り越えることができますし、いずれまたその思いであったり情熱などが戻ってくると思います。でも、それまで、気分は下がってしまうわけで・・。
その時に感じる虚しさには負けそうになるかも知れません。
でも、そんなものに負けないで済む方法があります・・・それは、自分を支えるものを分散させてゆく・・・ということだと思うんです。
自分を支えるものが1つだけ・・・という方は、きっと落ち込みやすい方・・・なのかも知れません。
例えば、自分の子供がすべて・・・という親御さんは、何か子供とうまくいかない時に人の何倍も落ち込んでしまうし、気持ちの切り替えもなかなかできないかも知れません。
自分の夫や妻がすべてという場合も同じように、気持ちの波が大きくなりやすいのだと思います。
いつも楽しんでいるように見える人、気分の波が少ないように見える人は、きっと、自分を支えるものをいくつも持っている人なんだと思うんです。
夫がすべてだと、夫と何かあれば、ちょっとしたことでも深く悩んでしまいます・・・。
でも、他に自分を支えるもの、自分が情熱を傾けることができるものであったり、一生懸命になれるもの、見ているだけで癒されるものだったり、話を聞いてくれる友人の存在であったり・・・そういった自分を支えるものを分散させている方は、相手に対してもちょっとしたことなら、許してあげられるだけの心の余裕があるかも・・・知れません。
分散させる・・・と言いましたが、分散したものをさらに分散させてゆくと、自分の土台というものがしっかりとしてきます。
例えば、お友達・・・分散という言葉はこの場合適当ではありませんが、あえてそう言わせていただくと・・・お友達も親友とだけ会うのではなくて、まだ知り合ったばかりの人と会ってみたり、また、この人とはこういう楽しみ方をする、あの人とはこう楽しむ・・・という風に楽しみ方も分散させてゆきます。
趣味も1つ見つけたら、その楽しみ方というのも分散させてゆきます。
例えば、ピアノをはじめよう!と思ったら、発表会で弾くこともそうですし、例えば、インターネットの動画サイトで曲を披露するのもいいし、全く違う分野の曲にトライしたり、時には弾き語りをしたり・・・。
そんな風にして、楽しみ方というのもただ上達する・・・ではなくて、形を変えて、楽しみ方というものを増やしてゆくことで、その趣味に対する気分の波というのも穏やかになってゆくのかも知れません。
「見つけて、増やして、分散させる」ことで、土台というものがしっかりとしてきて、それが自分をしっかりと支えてくれれば、虚無感であったり、寂しさというものにも勝てるのかも知れないと僕はそう思っています。