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寂しい原因と寂しさを乗り越える2つの方法とは?

寂しい気持ちが強くなってしまったり、寂しさに自分が押しつぶされてしまいそうになったり。

そんなこともあるかも知れません。

寂しさは、誰かと、例えば、好きな人や仲のいい友達と会えない時に感じるものだったり、一人の時に感じるものでもあるけれど、誰かといても感じる理由がわからない、漠然とした寂しさのようなものもあるかも知れません。

ただ、虚しい気持ちの原因とその解消方法とは?でも書かせていただきましたが、寂しさというものは、誰の心の中にも多かれ少なかれあるもので、また、寂しさというのは、後程詳しく書きますが、人にとっては必要なものでもあると思います。

ただ、今回はその寂しいという気持ちが強くなり過ぎた時にはどうしたらいいか?寂しい気持ちが強くなり過ぎてしまう原因やその乗り越え方などについて、見てゆきたいと思います。

また、寂しい気持ちが元々人よりも少し強いと感じる方もいるかも知れませんが、そんな、寂しい気持ちが人よりも少し強いということについても記事の最後で考えてみたいと思います。

寂しい気持ちはどこからやってきて、自分の中にたまってゆくの?

寂しさというものは、多くの人の心にあるものだと思います。

その寂しさがどこから来たのか?ということについては、心理の世界でも色々な考え方があります。

結婚や恋愛、ビジネス、家族の問題について取り組んでいらっしゃる、心理カウンセラーの根本裕幸先生は、寂しさを一番初めに感じ始めるのは、人が生まれた時だと言います。

もっというと、お母さんのお腹から出る時。お腹の中にいた時は、母親と一緒、一体だったわけですが、生まれてくる時に、分離をするわけです。

その分離した瞬間に感じ始めるのが寂しさだと。

人は、母親から離れて一人になって生まれてきて、そして、最後(最期)も、一人でこの世を去ってゆくわけで、そういう意味では寂しさや孤独というものは、人が生まれ持った宿命なのかも知れません。

後程、書きたいと思いますが、宿命であるからには、何か意味があって、持っているものなのかなと、思うのです。

先程ご紹介した根本先生ですが、寂しさは案外古い感情でもあるとあると指摘されています。

それは自分の中に、かなり前からある感情であることも多く、かなり前の感情だからこそ、人は知らぬ間に抑圧していることが少なくない、と。

感情というものは、不思議と人の心にたまってゆくものが多く、例えば、怒りという感情も抑圧することで人の心にたまってゆきます。

寂しさも、これまで生きてきた中で、どこかで、それは幼少期だったかも知れないし、学生時代だったかも知れないし、または大人になってすぐの頃だったかも知れませんが、どこかで強く感じて、そして、それを抑圧してしまったことで、今も尚、感じているものでもあるかも知れません

抑圧していて、それが癖になっていると、寂しいという感情は心にどんどんたまってゆくので、人よりも寂しい気持ちが強くなってしまう・・そんなこともあるかも知れません。

寂しい気持ちを抑圧するとは、例えば、寂しいと思っちゃだめだと、自分を抑制することもその1つかも知れません

そんな時は、寂しい気持ちを否定せずに、ただ、あぁ、自分は寂しいのだなと、自分のありのままの気持ちを否定せずに、また、何とかしようとせずに、ただ、見つめてみると、抑圧せずに済むこともあります。

自分の気持ちを否定せずに、また、何とかしようともせずに、ただ見つめるということはつまり、自分の気持ちに寄り添うということだと思います

寂しい気持ちは意味があってやってくる

先程、寂しいという気持ちが宿命であるからには、何か意味があって、持っているもの・・・と書かせていただきました。

じゃあ、寂しさの意味は何なのか?

・・ということですが、寂しさがあるからこそ、人を求めたくなるものだと思います。

例えば、人が恋しくなったり、わかりあえる友が欲しくなったり。

もし、寂しさというものが人になかったら、友達や恋人、パートナーは必要なくなってしまうかも、知れません。

そうすることで、友達や恋人、または夫や妻、または自分の子供もそうですが、そんな人達と得ることができたであろう、喜びであったり、つながりであったり、そういったものも得られなくなってしまうかも知れません。

そういう意味では、寂しさというものは自分を、わかりあえる友や、大好きな恋人、人生を共にしたいと思えるパートナーへと導いてくれるものでもあるのかも知れませんね。

また、寂しさがなくなって、人を求めなくなったら、人との関係も薄れていって、ぶつかることもなくなって、だから、(ぶつかることで)自分が磨かれることも少なくなってしまうかも知れません。

ちょっとおかしな話にはなりますが、僕(筆者)はもし、生きることや生まれてきたことに何か意味や理由があるとするなら、それは、自分を磨くためではないかなと、そう思っています。

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その自分を磨くという目的を果たすため、必要になってくるものの1つが寂しさではないかなと思うのです。

ただ、こういった寂しさは人の心にあってもいいものだとしても、例えば、大きな寂しさ、非常に強い寂しさというか、そんなものを感じてしまうこともあるかも知れません。

こういった大きな寂しさを感じてしまう時があるとしたら、それはどんな時でしょう。

僕はそれは、

1)自分の存在意義や存在価値を感じられない時
2)誰かの存在と自分の存在につながりが感じられない時

・・ではないかなと思っています。

1)の自分の存在意義や存在価値を感じられない時、というのは、言葉の通り、自分がここにいる意義や意味を感じられない時であったり、または例えば、自分が進むべき道を見失った時、一生懸命になれるものがなくなった時にも、そう感じることがあるかも知れません。

2)の誰かの存在と自分の存在につながりが感じられない時というのは、わかりあえない時もそうかも知れません。

単純に一緒にいるだけでは、または恋人と手をつないで体はつながっていても、つながりを感じられないこともあるかも知れません。

ここでいう、つながりは、物理的なつながりではなく、精神的なつながりということになると思います。

この2つが、大きな寂しさを乗り越えるという意味では鍵になってくるような気がします。

寂しい気持ちを乗り越えるには?

寂しいという気持ちは誰もが持っているもので、それは持っていてもいいものだと思います。

ここまで書かせていただいたように、持っていることに意味があるためです。

ただ、大きな寂しさがある時はどうしたらいいでしょう。どうやったら、大きな寂しさを乗り越えることができるでしょう。

そのためには、先ほどの2つがヒントになってくるように思います。

1)自分の存在意義や存在価値を感じられない
2)誰かの存在と自分の存在につながりが感じられない

・・という2つです。

この2つ、またはどちらかを感じていたとしたら、それを変えてゆくことで、大きな寂しさというものも乗り越えられるかも知れません。

1)自分の存在意義や存在価値を感じられない

自分の存在意義や存在価値を感じられないという時にできることについては、自分の存在意義や存在価値がないと思ったら考えるたった1つのことにて書かせていただいたので、ここでは簡単に書きたいと思いますが・・

心理学者のアドラーは、自分が他者にとって役に立っている、貢献していると感じられた時、自分の価値を感じることができる、そう語っています。

このアドラーのいう貢献とは、大きなものだけではなく、小さなものも含めているようです。

つまり、誰かの役に立つこと、小さなことでも誰かに喜んでもらえる自分になろうとすることが、大きな寂しさ、または漠然とした理由がみつからないような寂しさを乗り越える方法となり得るのではないかなと、思います。

どんな小さなことでもいいと思うのです。

誰かの役に立てていると自分が思えることが大事なのだと思います。

誰かの役に立てている、貢献できている、または自分がしたことが喜ばれたという思いでもいいのですが、そういった思いは寂しさよりも大きなもので、だから、そんな思いが寂しさを包み込んでくれることがあります

2)誰かの存在と自分の存在につながりが感じられない

例えば、誰かといても、または多くの人に囲まれていても感じる寂しさというものもありますし、一人の寂しさよりも、人といて寂しいと思うことの方がもっと辛いこともあります。

それは、相手と自分の間に、本来はあるはずのつながりが感じられないから、かも知れません。

じゃあ、どうやって、誰かと自分の存在との間につながりを感じられるようになるでしょう。

どうやったら、つながりというものを得ることができるでしょう。

これは、きっととても難しいことだと思いますが、ただ、つながりは、どうも、自分から与えないと得ることができないものなのかも知れません。

人から何かを得ようとすると、寂しくなりますが、自分から与えようとした時は不思議と寂しくはなかったりする。

与えるということが、どこかでつながりを自分に感じさせてくれるのか、与えることで、相手から何かを結果的に得て、それが自分につながりを感じさせてくれるのか・・

それはわかりませんが、ただ、与えないと始まらない、与えないと得られない、自分から手を伸ばさないと得られないのが、つながりなのかも知れません

愛情であったり、友情であったり、または優しさ、思いやり・・・

それらは自分から与えるものであるとわかっていても、気づくと、その反対のこと、与えるのではなくて、求めていたりすることもあるかも、知れません。

そんな本当はわかっていたはずのことを思い出してみることも、大きな寂しさを乗り越えるための最初の一歩になるのかも知れませんね。

人よりも寂しい気持ちが強いことは、悪いことじゃない

ここまで寂しさについて、色々見てきました。

ここで冒頭でちょっと書かせていただいたお話に戻りますが、例えば、人よりも寂しさが強いという人もいるかも知れません。

そして、人よりも寂しい気持ちが強いことで、辛いこともあると思います。

寂しさは、例えようのない大きな暗闇のようなもので、その中にいる時は、色々なものが自分からなくなっていってしまうようで、辛かったりする。

だけど、人よりも寂しい気持ちが強い人だからこそ、できることもあるように思うのです。

寂しい気持ちが強いから、人に温かくなれたりすることもあります。

寂しい気持ちが強いから、与えることができる人になれることもある。

また、寂しい気持ちが強い人でないと、わかってあげることのできない人の心の痛みのようなものもあるかも知れません。

寂しい気持ちが強い人でないと、できないことが沢山、あるように思うのです。

だから、人よりも寂しい気持ちが強いということは、悪いことばかりではなくて、むしろ、それは自分にしかできないものがあるということなのかも知れません。

世の中には、そんな自分の寂しさを生かして、誰かに感動を与えていたり、誰かの心を救っている人も大勢いるようです。