人が怖い。他人が怖くなった時にできることは何?
人が怖くなってしまう・・・そんなこともあるかも知れません。
例えば、知っている人ではなくて、全くの赤の他人であったり、または、人混みが怖くなってしまったり。何故かわからないけど、見知らぬ人が怖い。
それが嫌で人を避けるようになったりすることもあるかも知れません。
今回は、人が怖くなってしまった時にできることについて、どうしたら人が怖くなくなるか?ということについて、また、記事の後半では怖いという感情そのものについても、考えてみたいと思います。
怖いのは何故か?
人が怖くなってしまう、特に知らない人、他人が怖くなってしまう理由は何なのでしょうか・・?
その理由や原因というのは色々あるかも知れません。
色々なケースがあって、例えば、自分の中で自分に課している何かが、人が怖くなってしまう原因になることもあります。
人に対して、こういう自分でなければならないと・・何かを自分に課していると、それをしていない人が気になったりすることもあります。
それが嫌になったり、または、そういう人を見て、例えば、自分を無視されているように感じたりして、次第に人を避けるようになったり、怖いとどこかで思ってしまったり。
もしそうであれば、自分に課している何かを見つけて、それをできたらいいけど、できない時があってもOKと自分を少し許してみると、怖いという気持ちが薄れてゆくこともあります。
例えば、傷つきたくない・・・という心(思い)があって、それが人が怖いという気持ちにつながっていることもあります※1。
怖いと思っていれば、人に近づくこともなくなり、結果的に傷つくこともなくなります。
この場合は、怖いというのは、傷つかないために、自分を守るために感じているもので、もしそうであれば、傷ついてもいいやと思い定めてしまった時、怖いという気持ちが不思議と消えていくことがあります。
※1・・・何か本当の目的があって、その目的を達成するためにマイナスな感情を感じている・・この考え方については、ベストセラーで、アドラーの心理学を対話形式で学んでゆくことができる本、「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」で非常にわかりやすく解説されています。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見一郎、古賀史健
ただし、人が怖いと思ってしまう原因は色々とあって、これが全員に共通する原因ですというものは、もしかしたらないのかも知れません。
ただ、理由は様々でも、ひとつ、そんな時にできることがあります。
怖いのは見えていないから
人が怖いと思っている時にできることですが・・人は見えないものに対して怖いと感じることが多いようです。
例えば、暗い夜道を歩く時、怖くなったりすることがあるかも知れません。
それは、見えないから、怖いわけです。
そこに何があるか見えないから、誰かがいるかも知れないと思うから、怖くなります。
同じ道でも昼間なら、怖くなかったりします。
それは見えているから、なのかも知れません。
人の場合も、怖いと思ってしまうのは見えていないから、なのかも知れません。
人が怖いなと思ってしまっている時、下を向いて歩いているようなことはないでしょうか。
あまり人の顔を見ていないと言いましょうか。
もしそうであれば、ひとつ、できることがあります。
それは人の顔を見る、人間ウォッチングをする・・・ということになります。
先程の、暗い夜道を歩くお話ですが、人は見えないものであったり、わからないものを怖いと思うある種の特徴があるようです。
だから、人に対しても、人の顔を見ないでいるより、相手の顔を見るようにした方が怖くなくなります。
顔を見る、人間ウォッチングをするといっても、じろじろと見るわけではなく・・
例えば、街でそれを実践する際は、目が合っているかどうかわからない程度の距離から街を歩いている人達の表情を見るようにしてみるのもいいかも知れません。
そうやって色々な人達の表情を観察してみます。
すると、例えば、自分が思っていたこととは違う何かに気づくことがあるかも知れません。
例えば、人が怖いと思っていた時には気づかなかった、相手の表情に気づけたりします。
色々な人がいます。
ニコニコしている人もいれば、悲しそうにしている人もいるし、辛そうにしている人もいれば、疲れているように見える人もいます。
人が怖いと思っている時、人を1つのまとまりのようにして見ていることが多いかも知れません。
だけど、実はそうではなかった。みんな違う表情をしていた、とか、人をまとまりのように見ていたけど、実はそれぞれの人生にストーリーがあるのだろうな、とか・・人を観察することで、そんな何かに気づけたりします。
そうやって、人を観察してゆきます。
そして、それを続けてゆきます。
すると、少しづつですが、人が怖くなくなってゆくことがあります。
昼間の道と夜道のお話のように、見えているものは、それほど、怖くはなかったりします。
そうやって色々な人を(相手の人に失礼にならない程度の距離から)観察していると、「あぁ、自分と一緒なのかな」・・・例えばそんな風に思えて来たりすることもあるかも知れません。
人はそれぞれ違いますが、みんな悲しくなったりもすれば、疲れることもあるし、辛くなったりすることもあって。
何故、自分は人が怖くなったのだろう・・・とあれこれ考えてしまうと、どんどん深みにはまってしまうことがあります。
原因は幼少時代にあったのではないか、子供の頃に何か原因があったのでは、と自分の過去に何か原因を探したくなることがあります。
そして、そこに原因があるのかも、知れません。
だけど、原因を探ることも大切なことかも知れませんが、もっと大切なことは、原因が何であれ、それを今、乗り越えてゆくことなのだと思います。
過去はどうにもできなくても、今であれば、何かできるかも知れません。
少し話がそれましたが、いずれにしても、人間ウォッチングを繰り返して、相手を見るようにしていると、人があまり怖くなくなってくることがあります。そうなった時にはもう、何故人が怖くなったのだろうかとは・・・思っていないかも、知れません。
そうやって、考えて答えを出そうとするのではなくて、実践することで自然と問題がなくなってゆくと言いましょうか、そんな悩みの解決方法もあります。
動いてみる、実践してゆく中で手に入るものは沢山あるようです。
例えば、勇気ですとか、そういったものも、最初はなくても、それでも実践してゆくことで湧いてくることがあります。
世界は自分の投影物
少し話は変わりますが、世の中というのは、自分の投影物なのかも知れません。
同じ世の中のはず・・なのですが、人によって見えているものが全く違っていたりします。
例えば、似たような境遇にいるはずなのに、ある人には不安な世の中に見えて、ある人には、希望に満ちた世の中に見えていたりすることがあります。
それは何故かというと、恐らく、見ているモノが違うからだと思うのです。
同じ世の中だけど、その世の中のどこを見るかによって、その見え方は大きく変わったりします。
どこを見ているか・・・というのは、ある意味、癖や習慣のようになっているものかも知れません。
ある人は、世の中の不安なところばかりを無意識の間に(習慣のようにして)見続けてしまっているのかも知れない。
ある人は、世の中にある希望ばかりを無意識の間に(習慣のようにして)見続けているのかも知れない。
どこを見るかという、たったそれだけの違いでしかないのに、それは、自分の今の気持ちを大きく変えていったりします。
どこを見るか・・というのは、癖や習慣になっていて、すぐに変えることは難しいけれど、ただ、それは癖や習慣であれば、自分次第で変えようとすることはできるかも知れません。
今の世の中に感じている不安を5つ書いてください。
と言われて、それを実践したら、不安になるかも知れません。
だけど、今の世の中でよかったなと思えることを5つ書いてください。
そう言われて、それを実践したら、気持ちは少し明るくなるかも知れない。
全く同じ世の中で、何も変わっていません。だけど、どこを見るかで、気持ちは大きく変わっていったりします。
そうやって考えてゆくと、世の中というのは、自分の投影物なのかも知れないなと、そう思うのです。
自分が見ようとしたものが見えて、自分の心にあるものが見えたりして。
人が怖い時に何をしたらいいか?という本題からそれてきたので、この辺にしたいと思いますが、ただ、怖いという感情も、自分の見方に関係しているのかも知れません。
怖いと感じてしまう見方をしていたり、怖いと感じてしまうものを意図せずに、無意識の間に見てしまっているのかも知れません。
そんな時は、自分は何を見ようとしているんだ?と自分に問いかけてみます。
そこに自分の怖いという感情を手放すヒントがあるはずだと思うのです。
もっとも、怖いという気持ちはあってもいいと思うのです。全部なんて捨てない方がいいです。
世の中には色々な人がいて、他人というのは、ある程度、怖いものと思っていた方が自分を守れたりします。
だけど、過剰な怖いという気持ちは捨てた方がいいかも知れませんし、それは、時間はかかっても、捨てることができるものだと思います。
そして、その時に大事なことが、「何を見るか」ということなのだと、思います。